第1話:少年トビィの日常
フォルティス・グランダム。
アマル大陸の中央に座す、六大国のひとつであり、大陸六同盟の長でもある王国だ。
国土の広さは、アマル大陸に存在する六大国家中最小であり、最大の領土を誇るフェルム帝国の五分の一程度。さらに肥沃とは言いがたい土地柄ゆえ、食料の自給自足が出来ず、基本的に他国との貿易で自国の資源を賄っている。
だがフォルティス・グランダムには交易の主となるような資源、あるいは戦略性の高い生き物は特別存在せず、希少性の高い鉱石や宝石の類もそこそこな産出量であるため、永く六同盟の長を務め続けていること自体が大陸の七不思議と揶揄されるような国であった。
決して豊かとは言いがたく、さらに国力も並程度。数多く存在する中小国を押しのけ、大陸に名を馳せる六大国として、フォルティス・グランダムがその存在感を発揮し続けているのは何故か?
それは一重に、フォルティス・グランダムが数年に一度のペースで産出している“特産品”のおかげである。
普通であれば、並国家として蹴落とされるだけであろうフォルティス・グランダムが誇る“特産品”……その名を、勇者と呼ぶ。
「……かつて、この世界を……特にアマル大陸を中心に巨大な闇が広がり、人々を絶望に叩き落した時代があった」
フォルティス・グランダムの場内敷地に存在する講義堂の中の一室。三十組の机と椅子、その全てにまだ幼いと見える少年少女が姿勢正しく腰掛け、教壇に立つ一人の女性魔導師の言葉に耳を傾けている。
魔導師は大きな黒板の前を左右しながら、手の中の書物に視線を落としながら、ゆっくりとその内容を部屋の中にいる者たちに言い聞かせてゆく。
「その闇の中心に座した魔王。その強大な力により、世界が、人が、この世のすべてが滅ぼされるのは時間の問題かと思われていた……。だが、そうはならなかった」
教壇の前に立ち、魔導師は書物を手にしながら部屋の中にいる者たちのほうへと向き直る。
「君たちもよく知る、勇者……このフォルティス・グランダムの初代国王であるアルス・フォルティス。そしてその仲間たちが、魔王の討伐に乗り出し、そして絶望の根源たる魔王に勝利した。世界から闇は打ち払われ、大陸を含め、生き物すべてに光は降り注いだとされる、大陸暦の始まりだ」
だが、と魔導師は一つ呟き、手の中の本を閉じた。
「アルス・フォルティスはそれですべてが終わったとは考えなかった。彼は魔王が死せず、大陸のどこかで眠り、いつの日か復活するのではないかと考えた」
魔導師はゆっくりと教壇から部屋の中にいる少年少女たちの顔を眺めてゆく。
誰も彼もが真剣な表情で、魔導師の方をじっと見つめ、その話に耳を傾けている。……若干名、眠そうに目を擦ったり、舟を漕いだりしているが、まだ幼いことを考えれば許容範囲だろう。
魔導師は苦笑しながら話を続けた。
「故に備えが必要だ、そう考えたアルス・フォルティスは、自分たちのあとを継げる者を養成すべく、魔王の居城となっていた、大陸中心の町に拠点を構え、そこで幼い子どもたちを纏め、育成し始めた。アルス・フォルティスのその考えは多くの賛同者を得て、彼が立ち上げた養成施設は徐々に大きくなり、やがて一つの国となって栄えるようになった……」
魔導師は手にしていた本をそのまま教壇の上に置き、一つ頷く。
「これがこの国、フォルティス・グランダムの大まかな成り立ちとなる。実際の立ち上がりは相応の時間がかかったそうだが、今のこの国の基礎となっている部分は、魔王討伐から数えて一年程度で完成したといわれている」
「せんせい! それが、今から百年くらい前の話になるんですか!?」
一人の女の子が元気良く声を上げ、質問をした。
魔導師は一つ頷き、少女の質問に答える。
「そうだ。正確には百二十四年前と言われているが、当時の文献はほとんど残っておらず、フォルティス・グランダム完成と同時に始まったとされる大陸暦も戦後の混乱のせいか、その正確性に疑問が持たれている。だから、大体百年前で正しい」
「百年で、こんなに大きなお城が出来るんですね!」
別の少年が瞳を輝かせながら、窓の外を見つめる。
その視線の先には、燦然と輝く太陽の光を浴びながら聳え立つフォルティス城の姿があった。
魔導師は少年の言葉に対しては、軽く首を振って否定した。
「いいや。今あるフォルティス城は、元々魔王との決戦の地に立っていた廃城を再利用したものだ。細かな部分は改修を重ねているが、それでも大部分はもっと古い時代に立てられたものらしい」
「そうなんですかー……」
少年は魔導師の言葉に残念そうな呟きを零す。
そんな彼を見て、魔導師は微笑みを向け、こう言った。
「だが、君がこの城を見て立派だと思っただろう? 城の大本は借り物だったとしても、君がそう感じた部分は我々の祖先が、フォルティス・グランダムの先人たちが築き上げた物だ。君が立派だと感じた部分は、紛れもなく我々が作り上げたものなのさ」
「そっかー……!」
少年の瞳の中に輝きが戻るのを確認し、魔導師は一つ大きく頷く。
「そして、君たちはそんな国に生まれ、育ち、そしてフォルティス・グランダムの礎たるもの……“勇者”を目指してここ“フォルティスカレッジ”へとやって来た。君たちが今座っている席につけなかった者も多くいる中、その席を得られた幸運な君たちは、今日も輝くフォルティス城のように、自らを磨き上げ、明日の勇者として羽ばたかなければならない」
真剣に話を聞く少年少女に熱弁をふるう魔導師。
だが、そんな彼女を遮るように、フォルティス城の時計塔の鐘が大きな鳴き声を上げる。
「む……もう昼か」
十二時を告げるその鐘の音を聞き、魔導師は話をきちんと終えられなかったことを悔いながらも、そこで話を切り上げた。
「……とまあ、途中ではあるが勇者に対する心構えはそんなところだ。まだ話したりないが、お昼の時間になってしまった。皆、食堂に向かいなさい」
「「「「「はーい!!」」」」」
魔導師の言葉に、子どもたちは元気な声をあげ、我先にと講義室を飛び出していく。
バタバタと慌しい音を立てながら食堂に向かって駆け出す子供たちの背中を見て、魔導師は一つため息を吐いた。
「まったく……静かに話を聞いていたと思ったら、これか」
子どもたちのバイタリティに呆れつつ、自身も本を片手に講義室を退室する。
そして食堂に向かう途中で廊下から講義堂の外に目をやると、午前中の訓練でへとへとに疲れた者たちも群をなして食堂に向かっているのが見えた。
「ふむ……今年もそこそこの人数が入ってきたが……勇者になれるものが、果たして現れるものかね」
数年に一人。それが、フォルティス・グランダムが排出できる、勇者の平均人数だ。
去年は、誰も勇者の頂へと至れなかった。その前の年もだ。
現在、この国に属する勇者は全部で十三人。そのうち一人は、そろそろ四十路の大台に突入してしまう、高齢勇者。世代交代などを考えれば、今年度中に一人は生まれて欲しいものだが、現在卒業を控えている者たちの中に、その兆しは現れていない。
彼女はかすかに顔をしかめながらも、一つため息を吐き呟いた。
「……かの予言にある、七星。その一つとされる少年に、期待するとしようか」
魔導師がちらりと廊下の外を見下ろした時、一人の少年が、猛烈な勢いで食堂のある方向へと駆け抜けているのが見えた。
少年―――トビィ・ラビットテールは周りの視線など気にならないとでも言うように、砂煙を上げながら走り去っていった。
城の周りを十週。それを何とか規定時間で終えたトビィは、全身から汗を吹き上げながらも食堂の列の中に混じり、自分の順番が来るのを待っていた。
フォルティス・グランダムに存在する、勇者育成施設フォルティスカレッジ。勇者学園とも呼ばれるその施設の一つである食堂は、上は成人直前から下は十歳未満の子どもまで、全員揃えば数百人は優に超える勇者候補生全員が一度に食事を取れるだけの広さを持つ、フォルティス・グランダムでも屈指の大食堂だ。
戦場とも見紛う厨房の中で働く給仕のおばちゃんの一人に日替わり定食を注文し、トビィは自分の分の昼食を受け取る。
今日のお昼は魚の塩焼きに、堅焼きパンと野菜スープ。この国では標準的な昼食だ。
先ほどまで荒々しかった呼吸を何とか落ち着けつつ、トビィは自分の座れる席を探して食堂の中を歩き始める。
……そんな彼の背後から、忍び寄る影が一つ。
影は自身の定食が乗った盆を片手で支えつつ慎重に近づき、ぎりぎりのところで不意打ち気味にトビィに声をかけた。
「よぅ、トビィ!」
「え」
トビィが自分の呼ばわる声に振り返った瞬間、影の主はその隙を突いてトビィの定食から焼き魚を奪い去った。
「あっ!?」
「はっは! さっきの勝負に負けた罰だ! こいつは俺がいただくぜ!?」
先ほどの訓練でトビィを負かした剣士である少年――ダトルは、得意げな笑みを浮かべながら悠々とトビィから奪い去った焼き魚に口をつける。
「ん~! うまいなぁ、塩焼き! 疲れた体には、やっぱり魚の塩焼きだよなぁ!」
「あ、あぁ~……」
焼き魚を奪われたトビィは、しばらく自分の焼き魚が食べられているのを呆然と眺めていたが、やがて諦めたように肩を落とし、自分の席を探そうとする。
そんな彼の反応が面白くないのか、ダトルは一瞬顔を険しくし、それから何かを思いついたようにトビィの定食に手を伸ばす。
「……辛いものを食べたら、喉が乾くよなぁ?」
「え?」
「だからテメェのスープもよこしな!」
言うが早いか、ダトルはトビィの野菜スープにも手を伸ばす。
その指先が野菜スープの椀に触れる、その寸前。
「やめなさい、ダトルっ!!」
「っ!」
「あ……」
険しい剣幕で、一人の少女が咆える。
ダトルは伸びた手を慌てて引っ込め、トビィは声のしたほうに顔を向けた。
僧服のようなものを身に着けた少女が、肩を怒らせながらダトルとトビィの間に割って入ってきた。
「あなた、いい加減にしなさい! 訓練の勝ち負けは成績にも関係ないはずでしょう!」
「なんだよ、フラン……。男の間に割ってはいるなよ! これは男同士の勝負なんだぜ!」
僧服の少女――フランの叱責に、ダトルは言い訳じみた反論を試みるが、フランはその程度で引きはしない。
「あなたの言う男は、弱いものいじめをして満足するような小さい存在なの!? 恥を知りなさい、恥を!!」
「っ! なんだと……!」
ダトルはフランの言葉にあっという間に顔を紅くし、彼女に掴みかかろうとするが、場所が食堂であることと手に自分の昼食をまだ持っていることを辛うじて思い出し、何とか踏みとどまった。
「……チッ!」
そして荒々しく舌打ちし、その場をさっさと立ち去ってしまった。
フランは憤懣やる形無しといった様子でその背中を見つめていたが、すぐに視線をトビィのほうへと向ける。その視線は、ダトルを見つめるものとそん色ない険しいものだ。
トビィは険しい視線を向けられる理由が思いつかずおろおろするが、一先ず礼を言う事にした。
「え、えと……フランさん、どうもありが――」
「あなたも! 招かれ組だから舐められてるのよ!? しゃきっとして、ダトルぐらい跳ね除けなさいよ!」
フランはトビィの礼を最後まで聞くことなく、そう言い切るとさっさとその場を立ち去ってしまった。
トビィはお礼を言い切ることが出来ず、間抜けに口を開いていたが、すぐにため息と共に肩を落とし、自分の座る席を探し始める。
もうすでに一杯になってしまった食堂の席だが、端っこくらいいくらでも探せば見つかる。肩身の狭い今のトビィにとって、端っこを探すくらいは、どうということはなかった。