第10話:翌朝
いつものように、朝七時に集合した勇者候補生たちの前に立ち、ゲンジは声を張り上げる。
「それでは本日の訓練を始める! 昨日の訓練結果を考慮し――!」
「あ、あの、教官!」
朝礼を始めたゲンジを、慌てた様子でフランが止める。
ゲンジは一旦朝礼を止め、フランのほうへと視線を巡らせる。
「なんだ、フランチェスカ」
「まだ、全員揃っていません! トビィ・ラビットテールが……」
そう言って、フランはその場に集まった候補生の列を見回す。
その中には、いつも自信なさげに前を向いて立っていたはずのトビィの姿が見えなかった。
「……まだ、来ていません。せめて、朝礼は彼が来るのを待つべきでは……」
フランの言っていることは正論だ。今この場に揃っている勇者候補生たちは、その頂を競い合うと同時に、互いを支えあう仲間であるはずだ。
一片でも欠けがあると言うのは、よろしくない話だ。訓練の中には、コンビやチームを組んで、連携を高めるというものもある。
フランの生真面目さに感心したようにゲンジは一つ頷く。
「なるほど、お前の言う通りかもしれん。だが、一人のために全体の訓練を遅らせるわけにもいかん」
「ですが……」
なおも食い下がろうとするフランチェスカ。
そんな彼女を遮ったのは、ダトルであった。
「フラン! 先生が良いって言ったんだから、気にするんじゃねぇよ!」
「ダトル……貴方ねぇ……」
フランはダトルの物言いに不愉快そうに眉をしかめるが、彼の言葉を肯定するようにゲンジは続けた。
「フランチェスカ。なんであれ、トビィ一人のために、無為に時間を過ごすわけにはいかん」
「教官……」
「それに、この場にいないということは、トビィは今はこの街にいないということだろう」
「え?」
ゲンジの言葉に、フランはあっけにとられたような表情になる。
いない、とはどういうい意味か? そんな彼女の疑問を表情から読み取り、ゲンジは答える。
「昨日、全ての訓練が終了した後、奴にはアイマへ信書を届けるように命じた。朝までには戻るように言っておいたが、間に合わなかったようだな」
「アイマへ……? それは、何故でしょうか?」
「トビィへの懲罰の一環だ。一昨日のテストの回答結果が思わしくなかったのでな」
「へっ……」
懲罰、と聞いてダトルが嘲笑を浮かべる。ゲンジがいなければ、そのまま高笑いでも始めそうな雰囲気である。
「……わかりました」
フランも不満げな表情を浮かべるが、それ以上何かを口にすることなく引き下がった。
理由なくこの場にいないのであれば怠慢だが、ゲンジの命を受けていないのであれば一応納得するようである。
「……では、本日の訓練内容を確認する! 昨日の訓練結果を考慮し――!」
一先ずは全員が静かになったのを確認し、ゲンジは改めて朝礼を開始した。
勇者候補が一人だけ、いないことを除けばいつも通りの朝であった。
一方その頃。ゲンジの命により、アイマへと手紙を届け終えたトビィは。
「おぉーい、トビィ君! 今度は、こっちも手伝ってくれんかねぇー!」
「あ、はい! 今いきますー!」
太陽が顔を出したばかりの時間から、忙しなく村中を駆け回っていた。
アイマは首都へ野菜を下ろす山間の農村の一つであるが、あまりにも世間離れした立地を持つゆえ、若者の村離れがまったく留まらず、現在村で生活している若者はまったくいないという、典型的な過疎村の危機的状況に陥っていた。
昨日、トビィが届けた手紙もそうしたアイマの状況に危機感を覚えた政務担当官が、ゲンジを通じて村への支援を申し出る内容だったと、トビィは村長に簡単に説明された。
自身の故郷も、若者がまったくおらず、トビィが首都に出てきた今となってはほとんど老人しかいない。
そのことを思い出し、胸を痛めたトビィのいる、村長宅に一人の老人がやってきた。
隣の家の老人が腰を痛めてしまった。今日収穫の農作物があるから、手を貸して欲しい、と。
その老人は村中の人間に同様の呼びかけをしてまわっているらしく、猫の手も借りたいといった様子の、必死な形相をしていた。
そんな彼の顔を見て、ふと、故郷のみんなのことを思い出してしまったトビィは、気づいたときにはこう口にしていた。
「あの……。僕でよかったら、御手伝いします……よ?」
口に出してしまったら、後はあっという間であった。
トビィは元々農村で生まれた子。幼い頃から仕込まれた技術は、アイマでも十分に通用した。
若く、体力があり、動きも素早い。あっという間にその老人の手伝いを終えたトビィを見て、他の村人たちも我も我もと手伝いをお願いし始めたのだ。
トビィは、本来であればここで我に返ってフォルティスカレッジへと戻るべきだったかもしれない。そうすれば、ゲンジの更なる仕置を覚悟する必要はなかっただろう。
だが、久方ぶりの農作業によりテンションが上がってしまったトビィは、自分が何故この村にやって来たのかを忘れ、笑顔で頷いてしまった。
「はい! まかせてください!」
と。
そしてそのまま村中を駆け回り、遅れていた農作業を手伝ったり、あるいは壊れてしまった農具の補修作業を行ったりしていた。
満面の笑みで村中を駆け回るトビィの姿を、村長と夫人は微笑ましそうに眺めていた。
「あんなにはしゃいで、まあ……」
「嬉しいわぁ。もう村に、あんな若い子はいないから……。ちょっとだけでも、村が元気になったみたいだわぁ」
夫人は嬉しそうに微笑んでいたが、そこでふと思い出す。
「ああ、でも……。勇者様、他に御仕事があるんじゃないかしら? あんなに忙しくお願いしてしまって……ずうずうしくないかしら?」
「それに関しては問題ないと思うぞ」
村長は夫人に、昨日届けられた手紙を差し出す。
夫人は手紙を受け取り、中を一読してみる。
「あらあら……? 村に雑用があったら、手伝わせてもかまわない?」
「ああ。過疎村の支援……その、試行みたいなもんらしい。実際に首都の人間を手伝わせてみて、その感触を次の出荷の時に教えて欲しいんだと」
村長は軽くため息をつき、キセルに火を入れる。
「まあ、いきなり不慣れな連中に大挙して押し寄せられても困るしな……。お試しで使って良いなら、試さにゃ損だろ」
「まあ、そうだけれど……。勇者様よ? あまり、長く拘束してはいけないわ」
「わかってるさ。昼飯時になったら、村の作業も一段落するだろ。そん時、飯を食わせて帰してやればいい」
村長はそう言って、ニヤリと笑った。
「まあ、そん時までに、ギリギリまで頑張ってもらうがな」
「まあ、悪い人」
夫人は呆れたように呟くが、村長は笑みを深めるばかりだ。
そんなわけで、トビィはお昼ご飯を食べて我に返るまでの間、アイマの中を精力的に動き回り、村の手助けを続けるのであった。
――時間は、遡り。フォルティス・グランダムより、西方。
そこには、名も知れぬほどに小さな国が存在していた。
この群雄割拠の時代において、特に珍しくもない、どこにでも存在するような小国であった。近隣諸国の中でも、それなりに力のある国の傘下とならねば自活も出来ぬ程度には、小さな国であった。
だが、名もなき小国はもうそこに存在していなかった。
かつて国があったはずの場所は、完全に焦土と化していた。
草木は一本も生えず、赤茶けた土がむき出しとなり、そこに何がしかの国どころか、生き物が存在した証すら存在していなかった。だが、何もないわけではない。
かつて国が存在していた場所の中心では、今も絶えずスケルトンを初めとしたアンデットが、地面で輝いている魔法陣より召喚されている。
一介の城よりもはるかに大きな魔法陣。さらにその中心には魔導師らしい男と、数人の男女が立っていた。
魔導師の隣に立つ、邪悪な鎧を身に纏った大男が、嬉しそうな咆哮をあげる。
「ハッハァー! いよいよ、フォルティス・グランダムへ殴りこみというわけだなぁ!!」
「そうですが……はぁ」
魔導師は今もアンデットを召喚しながら、呆れたように周囲を見回す。
どこまでも平坦で、木々の一本も構造物も存在しないため、アンデットの召喚魔法陣への干渉はまったくなく、今まであらゆる国で生産し続けてきたアンデットたちを再召喚するのにはうってつけの場所であるといえる。
だが、目立ってしょうがない。何もないというのは身を隠す遮蔽物もないということ。
焦土が国同士の境界まで広がっているのであれば、この国の壊滅が知れ渡るのも時間の問題だろう。
魔導師は焦土の下手人たる邪悪な戦士へと視線を向ける。
「何も、国を一つ灰燼に帰す必要もないでしょう?」
「なぁに、景気づけってのは、なんにでも必要なものよ。ついでに言えば、灰に還した覚えは無いぞ? 何しろ、全部すり潰してしまったからな! 塵も残っておらん! はっはっはっ!!」
「そういう問題ではありませんよ……ハァ」
魔導師はまた嘆息し、足元の魔法陣を消す。
そのまま消滅していく魔法陣を見送りながら、長いローブを被った少女が不思議そうに問いかける。
「終わった……?」
「ええ。必要分の召喚は。あとは随時、補充する形で呼べば良いでしょう」
魔導師は一つ頷くと、少女の隣で静かに立っている少年に指示を飛ばす。
「では、バグズ。先導を」
「かしこまりました」
バグズと呼ばれた少年は魔導師に向かって一礼すると、地面に向かって飛び込んだ。
本来であれば地面に激突するはずが、少年は穴を残しながらそのまま地面の中へと姿を消してしまった。
そして数秒後、一国を覆いつくすほどのアンデットの群の先頭に、数匹の巨大なワームが現れた。そのうちの一匹、一際大きな個体の頭に先ほど地面に潜ったバグズの姿がある。
ワームたちはそのまま頭をフォルティス・グランダム方面へと向け、進軍を開始。アンデットたちも、ワームのあとを追うようにゆっくりと行軍を始めた。
緩やかに動き始めた軍団の動きを見て、満足したように頷いた魔導師は、邪悪な戦士と少女の方へと振り返る。
「さて……お待たせしました、ラウム、ポルタ。我らの満願成就のときです」
「クク」
「ん……」
ラウムと呼ばれた男、そしてポルタと呼ばれた少女がそれぞれに頷く。
そうして魔導師は、天に向かって高らかに宣言する。
「――魔王閣下! 今も彼の国に封じられし真の王よ!! 今、この私、バルカスが、御身の解放に御向かいいたします!! どうぞこの活躍を、御照覧ください!!」
魔導師……バルカスの宣言。
それは同時に、フォルティス・グランダムの壊滅、その秒読み開始の合図となった。