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第3章第5話です。
そして一時間後。
オレと日中は学園に向かっていた。
背中には“既存物”と化した《シンゲツ》を布にくるんでかけている。本当ならすぐにでも警察もしくは美鳥祇の所属たる翡翠塾に連絡すべきなのだろうが、しかし、日中によれば、それはできないのだという。
それが敵の要求。というか、学園の生徒および教師の安全を保証する交換条件。
警察や翡翠塾の実力をもってすれば、連絡したことを秘匿したまま敵を制圧することも可能なのでは、と思わないでもなかったが、考えてみれば、その程度の敵ならば学園にいる篠原先生をはじめとする教師陣が最初の時点で制圧しているはずである。
つまり、敵はそれを抑えるだけの何かがあるのであって、やはり、日中の言う通り指示に従うのが今のところの最善策とは言わないでも次善策なのだろう。
次善策。
事前策。
そう、これは次善であって事前。もちろん、最後まで敵の言いなりになるわけにはいかないというのもまた事実。
だからこそ、こうやって背中に得物を背負っているわけである。
敵と戦うために。
「緒多様、一つお伺いしたいことがあるのですがよろしいですか?」
日中は思い出したように言った。
「ああ、なんだ?」
「特にこれと言って、深い意味のあるわけでもなく、雑談の域を出るわけでもないのですが」
「うん」
「その、緒多様と葵様のご関係というのはどういうものなのでしょうか?」
「オレと……香子さんの関係?」
日中にして、なかなか突飛な話である。
「はい。前々からお伺いしたかったのですが、その“香子さん”という呼び方が少し気になっておりまして」
「“さん”付けがってことか?」
「はい。確か、緋瀬様に対しては“未来”、柑野様に対しては“怜”と呼び捨てだったと記憶しております。ですが、葵様に限っては“香子さん”とお呼びになられていますよね?その辺りに何かしら特別な事情があるのかと思いまして」
まぁ、確かに日中に言われたように、人からすれば違和感を覚えなくもないのかもしれない。
「うーん、特別な事情ねぇ……。そんなものは特にないんだけどさ。どっちかつーと、無意識というか、慣れというか」
「そう……ですか」
「ただ、今から思い返してみれば、畏怖、みたいなものなのかな」
「畏怖、ですか」
「ああ。香子さんは何をやらせてもできるし、何度も助けてもらっているし、そういう相手に対して、恩というか畏れ多さみたいなものを感じないわけではないんだよ」
蘇芳が《道化騎士》と化して、オレに襲い掛かったときにも。
蓼科が《道化師》の力をもって、オレを追い込んだときにも。
葵香子という少女が救世主と化して、完全の力をもって、オレやみんなを救った。
いわば、葵香子はオレのなりたい理想像であり、オレのなれない空想像だ。
だから、その畏怖と感謝と敬意の顕現として彼女のことをそう呼んでいたのだと思う。
もちろんそれは後付け論で、こじ付け論であるには間違いないのだけれど、強いて日中の問に答えるならばそういうことになると思う。
「しかし、なんでまたそんなことを?」
「いえ、そのここ数日緒多様の言動が少し変わっていたと感じていたのですが、その中でも葵様に対する対応がより顕著だったもので」
それはきっと、オレが錬成人間として日中と蓼科にサルベージされる直前に見ていたあの光景のことだろう。
確かに、その中であいつは葵香子のことを“香子さん”ではなく、“香子”と呼称していた。
「多分それは、あいつだと思うぜ。オレに成り代わっていたあいつの言動だよ」
「はい、今から思い返してみればそうなのだと確信できます。さすがに私も違和感を覚えなかったわけではございません。だからこそ、彼に指示されて、本当の緒多様を連れてこいと言われたときにもそれほど抵抗がなかったというのもございます。しかし、それと同時に不思議にも思ったのでございます」
「不思議に思ったって……そりゃそうだろうよ。なんたって急に言動が変わったりすりゃあ、誰だって……」
「いえ、それだけではなく」
日中は首を振って、続ける。
「なぜわざわざ、そのように、自身に違和感を持たれるようなことをしたのか、ということでございますよ」
「違和感を持たれる?」
「はい。もし緒多様に成り代わることが目的ならば、そういう些細な呼称などというのは一番に気を付けるべきところなのだと思うのです。それも緒多様と親交の深いご友人ならばなおさら」
「計画がずさんってだけじゃないのか?オレが香子さんのことをどう呼んでいるか、なんてことまで気が回らなかっただけってことじゃないか?」
「もちろん、そのような可能性もないわけではないとは思うのですが、ただ、これだけ大掛かりな事件を起こすのに、そんなことがあるのかと思わないわけではないのでございます」
まぁ確かに日中の言うことももっともか。
そう思ってオレがあいつに襲撃された踏切でのことを思い出す。
「そういえば、あいつはこんなことを言っていたんだよ」
――お前は香子の望んでいる『緒多悠十』じゃない。
「葵様が望む、緒多様、ですか……」
「うん。そうなると、香子さんのことを呼び捨てにするっていうのが香子さんが望むオレってことになるのか?」
「それだと少し、局地的な印象を受けますね……。呼び方だけで、というのは」
「だよな……」
「そうなると、もう少し広く解釈する必要があるのかもしれませんね」
「広く解釈って?」
「つまるところ、人を、さらに言えば異性を呼び捨てにするのがどういう関係性を表すのかということでございますよ」
「うーん、気の置けないとか、そういうことか?」
「私としては、恋人同士というのが一番それらしい気もしますが」
「こ!?――ゲホゲホッ」
思わず、せき込んでしまった。
「名前呼び捨てで、恋人って、そりゃあいくらか短絡的過ぎやしないか!?」
「そうですか?私は恋人ができたことがないので分かりかねますが」
「お、オレだって彼女なんてできたことねぇよ!それに、その理屈で言ったら、未来や怜も彼女ってことになっちまうだろうが!」
なんだか、男子高校生の日常的な会話みたいになってきている。
「まぁ、それはそうでございますね。……しかし、そうなのですか?」
「そうなのですか、ってのは何に対してだよ」
「私はてっきり、緋瀬様と緒多様は恋仲なのだと思っておりましたが」
「……………………」
今度が驚いてせき込むこともできなかった。
「な、何を見てそう思ったんだよ」
「何をと言われましても……。緒多様の言動全て、緋瀬様の言動全てでございますよ」
「……………………」
「私、何か間違っていることを申し上げましたでしょうか?」
「それこそ日中、お前の言動全てだよ。全部見当違いだ」
「あはは……随分な言われようでございますね」
「ったく……急に何かと思ったぞ。本当に雑談っていうか与太話じゃねーかよ」
「お気に障られましたか?」
「別にそこまでじゃないけどさ」
「でも、こう思っているのは私だけではないと思いますよ?少なくとも現様もそう思ってらっしゃったようですし」
「主人と従者そろって何を話してんだ、てめぇらは!?」
ラブコメの主人公みたいなツッコミをしてしまった。
「それを言うなら、日中、お前こそ美鳥祇のこと好きだったりするんじゃないか?」
反撃。
恋愛に疎いオレには分からないことだが、四六時中一緒にいる男女、それにどちらも美男美女となればそれなりにそういうこともあり得るのではないだろうか。
「ああ、まぁ、それは」
と日中は少し照れくさそうに前置くと。
「慕っている相手でなければ、いくら罰とはいえ、呪いとはいえ、命を懸けて護ろうとは思えませんよ」
どうもkonです。
与太話ではありますが、大事な話だったり。
では来週もお楽しみに!