(3)
第2章第3話です。
ブクマ、コメント等宜しくお願い致します。
廊下に出ると、この水平道場がそれなりに大きな道場であることが分かった。周りをぐるりと石塀が囲っているので、道を歩いていると気づけないが、これぞ侘び寂びと言った盆栽や池なんかが施された庭が見える。
下世話な話、結構な費用がかかりそうなものである。
そう思って先程の燕斎の言葉を思い出す。もう一人の門弟からの収入で事足りているので、オレが稽古をつけてもらうにあたって金はとらないと言っていたが、そのもう一人の門弟が日中だと知って得心がいった。
翡翠塾はMERのための教育を目的とした塾の中でも、御縞学院、琥台予備校と並んで数えられる三大塾の一つである。
日中が仕えている美鳥祇は言わばその社長令嬢である。つまり一大企業である翡翠塾が、次期当主を保護あるいは警護する能力のための執事に、投資として、大金をはたいているといったところなのだろう。
まぁオレとしては棚からぼた餅という感じでありがたい話ではあるが、日中は日中で、そういう立場は結構しんどいものなんじゃないだろうか。
オレや北條が自分の大切な人間を護ることを権利としているなら、日中が美鳥祇を護ることは義務ということになる――かもしれない。
「緒多様。一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」
「おう。大丈夫だよ」
「篠原様や柊様から私がお聞きした限りでは緒多様が先の模擬戦で、《色彩殺し(アクロマート)》によるパーソナリティー情報が破損した、ということだったと思うのですが」
日中がさっき言いかけたのであろう話題に触れる。
「その通りだよ。オレのパーソナリティー情報は破損して、今オレはMINEを使えない状況だ。もう一度使えるようになるにはリパーソナライズが必要ってことになるらしい」
「はい。そこで私がお聞きしたいのは、緒多様がリパーソナライズに挑戦する意思をお持ちなのか、ということでございます」
その問いの答えはもう既に出ていた。もちろんそれはついさっきのことだけれど。
「やるよ。オレは、リパーソナライズを成功させる。いや、させなきゃいけないんだ」
オレはどんな手を使ってでも強くなる。それはMINEだって例外じゃない。少しでも護る力になるのだったら、それに挑まない理由などないと、気づいた、いや、気づかされたのだから。
「左様でございますか。では、この道場に入門するのは自身のスキルアップで不利を補う……という解釈でよろしいのでしょうか?」
「まぁ概ねそんなところだ。というわけで、世話になるよ、日中」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
「で、逆に尋ねるようだけど、日中はどうしてここに? 美鳥祇の警護のために鍛錬っていうのは分かるんだけど、わざわざ外部で訓練する理由があるのか?」
何度も言及したように翡翠塾は大手の企業で、人材育成に費やす金はいくらでもあるはずだ。実際、この水平道場にも相当の稽古料を払っているわけだ。しかし、御縞学院の実力部隊を知っている(無論おぼろげな記憶ではあるが)身としては、別にわざわざ他の組織に委託せずとも、内部での育成で十分事足りるはずなのだ。
「緒多様が、翡翠塾という組織にどのようなイメージをお持ちなのかは分からないのですが、少なくとも御縞学院のような執行行為向けの組織ではないのですよ。緒多様は翡翠塾の掲げている《命題》がどのようなものかご存知ですか?」
「いや、すまん。知らないな」
《命題》。
学園以外のMERを対象とした教育機関は、同時に研究機関としての側面をもつ。それを象徴するようにそれぞれが掲げているものこそ《命題》。
確か、御縞学院が掲げていたのは「《多色者》の汎用化」だったか。
その研究に注力するあまり、御縞学院は科学として暴走した。その被害者が怜なわけだが。
「翡翠塾が掲げる《命題》は《天候操作》の実現です」
「《天候操作》――?」
「緒多様はこの世で最も恐ろしいのは何だと思いますか?」
「また急な質問だな。この世で最も恐ろしいもの……。――人間、か?」
「それもまた有名な解答でございます。確かにそういうこともあるでしょう。しかし、翡翠塾はそうは考えないのでございます」
「じゃあ、どう考えるんだよ?」
「天災、でございます。人間の力が及ばないからこそ天災は天災なのかもしれませんが」
「じゃあ天候操作ってのは天気とか災害とかを予防するってことが目的ってことなのか?」
「おっしゃる通りでございます。ですから、あくまで翡翠塾は御縞学院ほど執行行為には精通してはいないのですよ」
「ふーん。そういうものなのか」
「ええ。まぁかと言って、自衛力を放棄していいかといえば、そういうわけにもいかず、このように稽古に励んでいるというわけでございます」
「しかし、それにしたって剣道の先生一人に不労所得ばりの金を払うってのもまた豪気な話もしなくはないけどな」
「――緒多様は意外と痛いところを突くのですね」
「あっ……。なんかまずいこと聞いちまったか?」
「いえ……。そうでございますね。せっかくの機会ですからね。同じ門をくぐった身として話しても良いかもしれません」
「?」
「単刀直入に申しますが、本来なら私は今頃学園の2年生になっているはずなのですよ」
「は?」
「つまり、分かりやすい表現をするならば、留年、ということになるのでしょうか」
「じゃああれか?日中ってオレより年上――?」
「そのようになりますね」
「げ!? オレずっとタメ口で――」
「お気になさらずに。むしろ気を使われる方が肩身が狭いというものです」
「そう……なのか。じゃあまぁこのままで……いいのか?」
「ええ。もちろんでございます」
「でも、なんで留年なんてすることになったんだ?」
「簡単な話でございますよ。私は非常にMEの適正が低いのでございます。ゆえに、進級に必要なレベルに到達できなかったのでございます」
「でも、それと外部で鍛錬を積むこととどういう関係が――」
「お忘れですか? 学園と翡翠塾を初めてとする機関はMINEを発行する権利を始めとする多くの権利問題を巡って対立しているのです。その根拠となっているのは学園が最高の教育機関であるという理念でございます。そんななかで翡翠塾に属する者が、学園で落ちこぼれだということになれば、その根拠はより確かなものとして捉えられることになります。そしてそれは、翡翠塾という看板に泥を塗るということに他ならない」
「つまり、翡翠塾に泥を塗ったから、外部へと弾き出されたってことか――」
「まぁ、有り体に申し上げればそうなるのでしょうね。しかし、党首の身は守らなければならない。そうしたジレンマの中で見出された妥協点こそが多少の額を払ってでも外部の、自らの監督責任外でそれなりの戦力を育てるというこの状況になるわけでございます」
「そんな――。そんなのって――」
「別に不思議なことではございません。力のない者が淘汰されていく。これは一定の領内で真実でございます。それにだからこそ私はこうして努力しようと努めております」
「でも、組織の都合で……いいように利用されて、悔しくないのかよ」
「そうですね……。ですが、美鳥祇家を、いや、現様を護るという役目は私にとっても大事なことなのでございます」
「なんでそんな風に思えるんだよ?」
「それも簡単でありふれた理由でございます。こうして組織から疎まれている私を執事として指名してくれたのは現様なのですから。留年が確定した時点で、本来ならばより優秀な者に執事を交代するのですが、それでも現様は私のことを選んでくださった。ですから、もし私を駒としか思っていない組織の利になることだったとしても現様を護ることは私の本望でございます」
ああ。そうか。
さっきのオレの思いはてんで的外れだったのだ。
日中は義務で美鳥祇を護っているんじゃない。オレや北條と同じように望んで、欲して、ある人を護ろうとしている。
そうと分かると、オレはなんだかさらに兜の緒を締めなければならない気持ちになるのだった。
「そっか。なんつうか、こういう言い方が正しいのかは分からないけどさ。ありがとう。なんか日中の話聞いて、やる気出てきた」
「左様でございますか。それは何よりでございます」
「じゃあ、改めて。これから宜しくお願いします」
オレはすっと手を差し出す。
すると、日中は少し驚いた顔を見せたが、すぐに紳士的な笑顔になり、その手を握り返してくれた。
かくして、オレは兄弟子と呼ぶべき、大事な友を得たのだった。
どうもkonです。
今回は日中くんのバックボーンストーリーが中心でした。
では来週もお楽しみに!