(1)
お久しぶりです。相も変わらず未熟な文章ですが、よろしくお願いします。
是非、ブクマ、コメントもよろしくお願いします。
「しかし、大分暑くなってきたな」
「そ、そうだね。も、もうすぐ夏休みだし……」
七月一日。
オレは学園の最寄りのバス停から歩いていた。
《道化師》に翻弄されたあの事件から一ヶ月が過ぎようとしていた。
オレこと緒多悠十はあれから何の不自由もなく暮らし……てはいない。
あの戦いでオレは、左腕と大部分の記憶を失っていた。
左腕に関して言えば、ME技術の医療面における発展の恩恵を受ける形で、「ほぼ」肉体としての腕を取り戻している。切断面を囲うように取り付けられた黒いリング状の装置は義腕の生成を維持し、神経系を媒介している装置で、メンテナンスのために度々病院に通っているということ以外にはそれほど苦労はしていない。
ただ記憶の話になると、若干問題は深刻である。退院したばかりの時には家への帰り方も、学園への行き方も、自室の勝手も忘れているという有様だった。人間関係に関する記憶は残っている一方で、日常生活に関する記憶が抜け落ちているという点では、ある意味クリスマスの後よりも苦労が多かったように思える。
本来ならその人間関係に関する記憶すらも失っているはずだったことを考えれば、他人を(前回ほどには)傷つけなかった分マシとも言えるのかもしれないが。
しかし、オレの記憶を消した昔の俺の計らいによって、今オレが全ての記憶を失うことを免れた、というのも皮肉なことであると言わざるを得ない。
なんにしても、オレは相変わらず生き延びているということだけが唯一事実であると確証できることである。
そしてこの一ヶ月について言及するとなると今オレの隣で歩いている少女のことを語らないわけにはいくまい。
緋瀬 未来。
絶対論理の人工核、ロゴスの所有者であり、オレが記憶の喪失と引き換えに取り戻した少女。
彼女はこの一ヶ月の間、まるで介護人のようにオレの身の回りのことに気を使ってくれていた。
記憶喪失の状態でそれでも辛うじて学園に通い続けることができたのは彼女の助けがあったゆえであると言って差し支えないだろう。
正直に言えば、オレにそれほどの労力を費やす価値はないと思う。
にも関わらず未来はオレを支えてくれたのである。「自分の命を救ったせいで記憶を失ってしまったのだから、自分が面倒を見るのは当たり前だ」というのが彼女の言い分であるが、オレにしてみればこの言い分というのはいくらかオレに都合が良すぎる解釈である。
というのも彼女を助けたのはオレのエゴイズムであって、自分のためだったわけだし、今オレが「全ての」記憶を失わずに済んでいる遠因には未来の存在があるわけなのだから。
もし昔の俺にとっての未来がいなければ、オレの一部の記憶の再生のために要した記憶のエネルギーが残っているなどということは起き得なかったのだ。
ゆえに未来の甲斐甲斐しい補助というのはオレにとっては過大であると言うしかないのである。このままでは、どうもバランスが悪い。
だからオレには緋瀬未来を無条件に助ける義務がある。
もしかしたら、それもまた自分の拠り所を守るというエゴイズムに過ぎないのかもしれないけれど、それが無知で愚かなオレに出しうる唯一未来に報いる方法の解答だった。
「そ、そういえば、今日から交流授業が始まるんだって」
「交流授業?」
「う、うん。隣のクラスから派遣された生徒と夏休みが始まる八月一日までの一ヶ月間授業を受けるプログラムがあるんだって」
オレや未来が在籍しているのは一〇組である。つまり隣のクラスというのは偶奇を考えると九クラスの生徒と一緒に授業を受けるということになるのだろうか?
「へぇ。そうなるとまた厄介だな……」
「や、厄介?」
「ああ。なんというか、オレって未だに記憶に混濁があるし、何かと自己紹介とか、コミュニケーションとして問題が生まれそうなんだよな」
オレの状態を理解している者は少ない。記憶喪失自体のことはまだしも、クロノスのことに関しては未だに誰にも詳しくは説明していない。
そもそも、説明できない。
蓼科が語ったクロノスの正体――もう一つの世界とこちらの世界を接触しないようにある存在、核のうち時間に関する線引きをしている存在、なのだという。
しかし、それを唐突に語ったところで、大抵の人間には納得ができない。理解しえない。
まぁ未来は核のレプリカ、ロゴスを所有し、かつ実際にそれを使ったのだからまだ可能性があるのかもしれない。しかし、オレの怪我やら記憶喪失のゴタゴタで話すタイミングを失ってしまったのである。
そんな状態で今人間関係を大きくするというのは些か不安というか臆病にならざるを得ない。
生来(生まれてからの記憶というものがないオレにこの表現が適しているのかということに関しては甚だ疑問があるが)臆病な性格だという可能性も否定はできないけれど、そうであろうとなかろうと、この状況がよりオレを新しい人間関係を作り上げることにある種の恐ろしさ、あるいは煩わしさを感じさせるということは間違いない。
「で、でも、わ、私も手伝うから! わ、私じゃ全然役に立たないかもしれないけど……」
「いや、そんなことはないよ。未来には感謝してる」
オレがそう返したところで学園の門が見えてくる。第十二学区元素操作師養育学園。オレや未来が通う学園である。夏に急かされるようにYシャツやポロシャツを来た生徒たちが、がやがやと登校してきている。
その中に、オレンジの薄手のパーカーを羽織り、フードを深々と被って歩いている人物を見つける。
「おーい、怜」
オレはその少女の名を呼ぶ。声に気付いた少女は立ち止まってオレと未来の方へと振り返る。
後ろから追いつく形で少女に近づいたオレは呆れ気味に軽く溜め息を吐いた。
「まったく……さすがにフードは暑いんじゃねぇか?」
柑野 怜。
《分離実験》、《世界樹の鍵》、《道化騎士》と様々な問題に同時に巻き込まれた少女である。事件の詳細を個々に話すことはここではしない、というかできない。
先ほどから再三再四述べている様に、オレの記憶の大部分は失われている。大まかな出来事を未来の口から伝え聞いてはいるけれど、やはりそれでも完全ではない。
未来のロゴスの絶対論理の力は確かに完全記憶を可能にするものではあるものの、未来自身が経験したものでないならば記録できない。
その未経験の記憶、言い換えればこの世界の記憶すらも完全に再現し得るのはロゴスが完全体となった時である。あえてその状態となった時の力を絶対論理の力と区別して呼ぶとしたら、「真理」の力とでも言うべきか。
それは一時的に成立していたことではあるけれど、オレが未来の命を取り戻すために、クロノスの力でロゴスを押さえ込んだ結果としてその状態は解除されたわけである。
未来のロゴスは真理の核から絶対論理の核へと成り下がったのだ。
そういう訳で、未来から伝え聞いた事のあらましというのはあくまで未来の視点によるものなわけである。
逆に言えば、「俺」と未来の記憶というのは彼女から伝え聞くことも可能なのだが、それは彼女の望むところではないのだという。
もし思い出すのであれば、オレ自身で思い出して欲しいというのが未来の気持ちなのだ。
だから彼女にそのことを二度と問い詰めたことはないし、これからもない。
話が逸れてしまった。
つまりオレが言いたかったのは未来の視点の記憶でしかオレの失われた記憶を補填することはしていないのである。もちろん他の人間に聴けばその他の視点からの記憶によって補填することはできるのだけれど、殊怜が巻き込まれた事件に関して言えば、話題にするのも憚られるのだそうで、結局詳しいところまでオレは知らない。
故にオレが記憶のある範囲で話すと、彼女はとりわけ感情表現に関して不器用な少女である。
それでなのかは、分からないが、顔が見えなくなるほど深々とフードを被る。
オレンジのパーカー自体気に入っているということもあるらしいが、それにしたってそこまでフードを深く被ってしまうと表情を読み取るのが難しいし、この季節にフードを被っているというのは見ているこちらが暑くなってしまう。
「せっかく晴れていい天気なんだし、今日ぐらいフード外してもいいんじゃねぇの?」
「……別に……僕は暑くない……」
「だぁ! 見ているこっちが暑いんだって!」
オレは自分でも若干乱暴だという自覚を持ちつつ逃げようとする怜のフードをぐいと引っ張った。
するとそこには少し意外なものがあった。
ボーイッシュなイメージの強い怜は普段その短い黒髪を自然そのままにしている。いわゆるノーセット。しかし今日はハーフアップになっている。よほどオレンジ色が気に入っているのか、パーカーと同じ色の髪ゴムで留めている。
端的に言うと、可愛らしい。もともと顔立ちは整っているので当たり前といえば当たり前なのだが、普段は少年じみた雰囲気を纏っていることもあって驚いてしまったのである。
「いいな、その髪型」
オレが言うと、怜は急いでフードをかぶり直した。
「……その……お母さんにやってもらった」
怜は俯きながら言った。
その言葉にオレは、そしておそらく未来もふるると心が震えた。
先ほど彼女が巻き込まれた事件について詳細を語るには憚られると言ったのは、彼女の母が巻き込まれたというか、事件の一つの起点となっているからなのであった。
しかし、娘の髪をセットしてあげるまでに関係は快復したということである。
これを聞いて喜ばずにはいられまい。
良かった。本当に良かった。
そう思っていると、後ろから元気な声が聞こえてきた。否、飛んできた。
「ゆ〜う〜く〜ん!!」
俺たち三人は同時にその声のする方へ振り返った。
やはり、あの完全無欠、天真爛漫、自由奔放の少女がにこにことした顔で走ってきていた。
しかし、オレはこのとき彼女のことをまるっきり分かっていなかったのだと、後で思い知ることになる。
つまり、これはオレの罪の話である。
オレは彼女をよく知らなかった、そしてオレが彼女を救えなかった。
葵 香子。
故に彼女は幻の代償を支払うことになる。
どうもkonです。
あらすじにもある通り、今回は「葵香子」をメインに据えた物語となりますが、作品の構成上、基本的に悠十目線での語りとなります。
香子目線での語りもAnother MEmoryとして挟んでいく予定ですので、そちらもお楽しみに。
では、次回もよろしくお願いします。