視聴覚室の住人
家族はことあるごとに、僕にこんなことを言う。
「我慢強くなってきたな。昔はえらく短気だったからなぁ」自分も、同じ思いだ。少年時代は、今からは想像できないくらい「怒れる少年」だった。
学校でなにか気に入らないことがあれば、言葉が出る前にまず手が出る。教室で椅子を振り回す、ガラスを割る、泣き叫びながらその場を去る。それがお決まりのパターン。気に入らないことも、今思えば些細なことだ。後ろの席の奴が授業中ずっとちょっかいをかけてくるとか、友達から変なあだ名をつけられた、とかそんなもの。あんな小さな火種から、よくあれだけ引火できたものだ。
暴走、狂乱とも言い換えられるそんな憤怒の感情をぶつけて、例えそれが授業中であろうと必ず教室を抜け出す。逃亡してからの潜伏先は、いつも決まって教室のワンフロア下の、視聴覚室だった。
ドアには鍵がかかっているが、部屋の壁の下部は小さな戸になっており、必ずどこかは開いていた。ちょうど子供1人が寝ながら入れる幅だった。小柄な自分にとって侵入するのに苦労は無かった。
視聴覚室の中は薄暗く、少しホコリっぽい。夏物や冬物をギチギチに収納して、大掃除の時期なんかに開けた時の衣装ケースのような、なんだかすえた臭いが漂っていた。僕はその部屋の中で取る行動も大抵決まっていた。
ビデオカメラやらプロジェクターやらなんらかの機材を収納する為の、鉄製のキャスター付きの黒い箱。その箱の中に隠れるのが恒例だった。体育座りの形で入ればサイズはちょうどぴったりで、ここでも小柄が活きた。
扉を閉めれば中はほぼ完全に闇に包まれる。時間の感覚は段々分からなくなり、ちょっとした物音に敏感になってくる。先生達は皆、僕がどこに逃げ隠れているのか分かっている。それでも僕は性懲りもなく、視聴覚室に逃げ込んでいた。
黒い箱の中体育座りでいると、じわじわ不安になってくる。
「…俺、何やってんだろう。大人になっても、こんな調子なのかな…」
「みんなからバカにされ続けて、そんな調子で、人生終わるのかな…?」
子供心に、自分のやっていることの無意味さには気づいていた。そして、馬鹿な自分の将来が心配だった。今から17年前。僕は9歳だった。
しばらくして、鍵を開ける音がして先生が僕の名前を呼んで入ってくる。先生の後を付いてきたクラスメートが箱を開けて僕を引っ張り出して言った。
「はいー、発見!お前またここにいたのかよ!馬鹿だから他に隠れる場所が見つからないんじゃねぇの?」
「…」僕は何も言えなかった。言葉を出せばその拍子に涙が出そうだったからだ。
先生がクラスメートを軽くたしなめてから僕と相対し、こう言い放った。
「何を言われたのかされたのか分からないけど、こういうことをされると授業が進まないの。結局あなたが一番皆に迷惑をかけているのよ?分かってる?馬鹿にされたのかもしれないけど、そんなのはほっときなさいよ」
僕は伏し目がちに「…はい」とだけ答え、そこからは何も喋らなかった。正論であるし、仮に何か反論しても、無意味な気がしたからだ。元来た道を先生と並んで歩いている間、様々な思いが去来していた。そんなに悪いことをした?僕が一番の事件の元凶?人から嫌なことを言われて怒りを見せることは、自然なことじゃないの?もちろんそんな心の声は届くことも無く、自分の中で堂々巡りだ。
教室に戻って扉を開ければ、クラスメートが皆一斉に振り向く。その目が、「次はどんなことをして、こいつを怒らせてやろうか?」と言っているように見えた。
その後の展開もいつも一緒だ。親に連絡が行く、「馬鹿にする奴はほうっておけ」と言われる。一つ上の兄から小言を言われる。(俺も「変な奴の兄貴だ」とか言われるから勘弁してくれ、とかそういう類)僕は学校でも家でも、肩身が狭かったわけだ。
僕があまりにも落ち着きが無いために、両親が心の病を疑って一度病院で検査をしたこともあった。お医者さんと2時間位お話をして、なにか特殊な機械で脳波まで測って、結果は「異常なし」だった。誤診なんじゃないか、とその後もどんくさい人生を歩む今の僕としては強く思う。
いつも余裕が無かった。そして、いつもなにかに怒っていた。不安定な位置に立っていた。
段々、思い出してきた。そう、こんなことを言われたのだった。
当時、僕は「音楽クラブ」という部活に入っていた。その名の通り楽器を演奏する部活で、文化祭や全校集会なんかで、生徒を前に発表することもあった。普段の授業では弾けないような楽器、例えばアコーディオンであるとか、ハンドベルであるとか、を弾けることが嬉しかった。
顧問の先生も優しく、部員の中で一番失敗の多かった僕を叱ることなく、どんな小さなことでも褒めてくれた。そんな先生が僕は好きだった。
ある日の練習中のことだ。僕はマリンバかなにかを叩いていた記憶がある。ふいに、隣にいた女子が僕にこう言った。
「あんたの目っておかしいよね。楽譜とかちゃんと読めるの?」
実は僕は斜視で、後に矯正手術を受けるのだが、当時はまだ受けておらず目が内側に若干寄っていた。それが当時コンプレックスだった。馬鹿にされた、と思いカッとなって、
「うるせぇよ!読めるに決まってるだろ!!」みたいなことを言って、持っていたマリンバのバチを女子に投げた。それは相手の目元に当たった。
音楽室から楽器の音が消えて、少しヒヤッとする空気が流れ出した。僕はイライラと、居辛さを感じて足早にその場を去ろうとした。行き先は、そう、視聴覚室である。ドアノブに手をかけた瞬間、背後から今まで聞いたことの無いような先生の声がした。
「待てっ!!逃げるなっ!!」僕はハッとして振り向き、その場で固まった。先生は続けて、
「この子に、謝れっ!!」そう言って女子の手を取り僕に近付いてきた。先生がいつもより背が高くなったように見えた。それぐらいの剣幕だったのだ。
目の前に立った先生はそれまでとはまた違う、今度は説き伏せる声で、僕にこう言った。
「もし、目に当たってケガでもして、目が見えなくなったらどうするの?傷になったらどうするの?いい?傷はね、残るの。それを見るたびに、されたことを思い出すの。あなたのしたことは、ただ「ケガをさせた」っていう単純なことじゃないのよ」
それは、今までされた注意の中で一番胸の中に重たく沈み込んでいった。実際、そこまで考えていなかったし、なにより、その時の先生の様子が本当に恐かったからだ。僕は、聞こえるかどうか分からないくらい小さな声で、「…ごめんなさい」としか言えなかった。
すると先生は、今度は女子の方を振り向き、
「あなたはこの子に、何をしたの?」と聞いた。女子は、ヤバい、という顔を一瞬したが観念したのか、
「あなたは目が寄ってるから、楽譜が読めないだろう、って…」と打ち明けた。
先生はしゃがんで彼女と同じ目線になり、諭し始めた。「まず教えてあげる。彼の目は人と違うように見えるけど、見え方は私達と同じなの。そしてもう一つ、物事が上達する速さはは人それぞれ違う。あなたは人より少し速いかもしれない。彼が少し遅いかもしれない。でもそれも、個性みたいなものよ。人の個性を馬鹿にすることは、誰にも出来ない」
女子はうつむきながら「はい」とつぶやき、僕を見ずに「ごめんなさい」と謝った。僕は気持ちをまとめることが出来ず、どんな顔をしていいか分からなかった。すると先生が僕の方を振り向き、こう言った。
「傷つけよう、と思って、やったんじゃないのよね?あなたはそんな人じゃないものね。あなたはハートが綺麗だから」その声はいつもの、優しい先生の声だった。
「あなたのハートは綺麗」なんて今まで言われたことが無かったから、なんだか恥ずかしさと、でも自分を認めてくれたようなそんな嬉しさと、相手にしてしまったことへの申し訳なさがごちゃ混ぜになって、その場でボロボロと泣いてしまった。部員の皆は驚いていた。先生は、微笑んでいた。
それからもしばらくは癇癪を起こすことはあったが頻度は減った。手を出す前に言葉が出るようになった。自分の意見を出せるようになった。それになにより、ダメな自分を認めてあげよう、という余裕が生まれたことが大きな収穫であり成長の証であった。
もしあの時、「あなたはハートが綺麗だから」と言われなかったら、どうなっていただろう?多分今よりもっと、卑屈な人間になっていたんじゃないだろうか。そう思うと、あの時の先生には感謝の気持ちしかない。
「ちゃんとマニュアル覚えてます?もう3ヶ月くらい入ってますよね。いいかげん仕事覚えてもらわないと困るんですけど」
「すいません…」
「こういうことされると、皆に迷惑がかかるんですよ。それ分かってます?」
「はい…すいません…」
「(小声で)なんで雇ったのかなー、他にもいい人いたのに…」
「…」
あれからさらに時が過ぎて現在、僕は今も不器用な人生を歩んでいる。「自分の非は認める」「理不尽なことを言われても、まず謝る」「波風は立てない」いつの間にか、そんな教訓を身につけていた。もちろん、子供の頃のように暴れたり泣いたりしない。大人だからだ。イライラはぶつけず飲み込むのが得策なのだ。
しかし、それは本当に「成長」なのだろうか?ただの諦観、事なかれ主義なのではないか?嫌なことにとにかく蓋をして、不必要に傷付いていないか?少なくとも少年時代の僕は、迷惑をかけるが自分を守るために相手に突っかかっていたはずだ。戦っていたのだ。今はただノーガードで殴られ続けているだけだ。
今、僕の住む世界はとかく息苦しい。それはあの、視聴覚室の、黒い鉄の箱の中よりも狭く感じる。あの箱の中で不安視していた、自分の将来像と今の自分の姿はどこが違うのだろう?僕はロクな大人になれているのか…
あの時の先生は元気にしているだろうか?今も先生をやっているのか、もしくは結婚して家庭を守っているかもしれない。別の職業になっているかもしれない。
もし、どこかで偶然会ったら僕のことを思い出してくれるだろうか。思い出して、今の僕を見て、言ってくれるだろうか。
「あなたは今も、ハートが綺麗ね」と。