お別れの日に唄う唄
〈 お別れの日に唄う唄 〉
彼が亡くなった、と知らされたのは、帰国して二週間程経ったある日のことだった。
三月の明るい午後、異国のあの街で出会った彼の親友が、明るい緑の瞳に悲痛な悲しみを湛え、言う。
「・・・・・・いつ?」
問うた自分の声は、中身の伴わない空っぽのものだった。ディーが答える。
「・・・・・・ミユキが来た三日後に。眠っている間に」
「・・・・・・」
もう余儀がない彼は、家に帰ることを望み―――あの家の彼の部屋のベッドの上で眠り、そして永眠したと。
「・・・・・・あいつ、幸せそうに微笑ってたよ。・・・・・・違うな。実際、幸せだったんだ・・・・・・。ミユキを心から愛して、ミユキに心から愛されてることを知ってたから。それがどこまでもあいつを護った。ミユキがいたから、あいつは最期まで不幸にはなれなかった。・・・・・・全部ミユキがいたからだ」
「・・・・・・」
「・・・・・・これ、あいつから」
膨らんだ小さなクラフト封筒だった。じっとそれを見つめて―――機械仕掛けのように動作だけで受け取る。
「中身は、知らない。あいつはなにも言わなかったから。ただこれをミユキにって」
「・・・・・・」
「・・・・・・ミユキが来るまであいつは碌に眠れなかったんだ。でもミユキが来たあとからは痛み止めが効いてる時はぐっすり眠れてた。安心し切った顔で、子供みたいな顔で眠ってたよ。・・・・・・ミユキのおかげだ」
「・・・・・・」
「・・・・・・ミユキ。僕は―――」
「帰って。・・・・・・ごめん、帰って」
沈黙が降りた。
さあさあと、明るい午後の日を、雨が照らす。
「・・・・・・また、連絡する」
答えず、目を伏せてドアを閉めた。・・・・・・その場にじっと留まり、ディーの気配が遠去かるのを待った。
ぺたぺたと、力なくフローリングを歩く。
自分を今動かしているのは、なんだろうか?
ふ、と、自分の浅い呼吸。
震える指先が、封筒を撫でる。記憶にある彼の華奢だがごつごつして長い指が、封を閉じるところを想う。どんな顔をしている? どんな気持ちで、これを遺した?
人形を操るように、指先を中に差し入れる。冷たい金属の感触。手繰ると、それが出て来る。
ミユキ。お前が辛い時、苦しい時、息が出来ない時―――呼べよ。誰でもいい。絶対に、助けを求めるんだ。
古ぼけた革紐が通った、真鍮のホイッスル。
「だ・・・・・・から、さ・・・・・・今さら・・・・・・だれを、呼べって・・・・・・」
呼べよ。
俺を、呼べ。
「あ、ああ」
震える手が、ホイッスルを握りしめる。
「あ、あああああ、ああぁぁあぁぁぁああ、うあああああああああああああッッッ!」
慟哭。それから、慟哭。
「あああああ! あああ、ああ、あああああ、うあああああああッ! うわあああああああああああああ――――――――――――――――――――――!」
熱く湿った激痛が、温度を持った涙が、生きているあたたかさが、自分の中から出て行く。逃げて行く。
助けて。助けてオーリ。お願い。
ここに来て。そばにいて。辛い。苦しい。―――息が出来ないの。
オーリ。
オーリ。
なにも聞こえない。自分のふざけたような呼吸と自分のふざけたような泣き声しか。
―――いまさら
今更誰を呼べというのだ。呼んでも来ないくせに―――もうどこにも、いないくせに。
どちらがずるいというのか。もしかしたらどこかで生きているのかもしれないという幻想すら抱かせてくれない―――嘘を吐けばいいのに、甘い言葉で煮詰めて蕩かせて蜜をゆっくり瓶沿いに落とすように、上辺だけを覆って誤魔化してくれればいいのに。
そんな幸せすらも望ませてくれない。
手紙も電話もメールも言葉も温度も想いもなにもかもが届かない場所に行っただけなのだと、思わせてもくれない。
ひとのこころに居座って、後生大事に抱え込んで―――心を全部ミユキににくれて、結局、手の届く場所には居てくれない。
どこを向けばいい? どうすればいい?
心が全部、あなたに向かう。
「う、うぁ、ああ、あああああああ・・・・・・!」
振りかぶって投げる。壁に当たったそれは床に転がり、外光をにぶく反射させて床に影を落とした。
耐えられない。
こんなことに―――こんなに辛いことに、耐え切れるわけがない。
逃げよう。
逃げよう。
もう、無理だ。
「―――ごめんなさい」
震えながら小さく小さく呟く。
ぼやけた視界に、真鍮の笛。
こんな言葉を望まれたのではなかっただろうと、わかっていた。
すみません。
ごめんなさい。
抱えきれません。
赦さないでいて。
突き動かされるように外に飛び出す。上着もない肌を三月の空気は容赦なくえぐり、さらさらと降り続ける雨が濡れた頬を湿らせる。
どこに行けばいいのか。どこに行きたいのか。―――どこに行けば、会えるのか。
がむしゃらに走って、走って、走って―――そして。
目の前に蹲るひとかげ。力なく横たわり、身を守ることもせず目を閉じる少年。
見捨てようと、思った。
通り過ぎようと、踏み出す。
唇を噛み締めて―――なにもかもを噛み締めて、ぼろぼろと流れるそれを拭った。
「―――大丈夫―――ですか」
絞り出した声は、平静に聞こえただろうか?
少年が眼を開く。かさかさに乾いて血が滲む唇が、言葉を紡ぐ。
助けて。
もう、無理だ。
―――助けてほしいのは、果たして、どちらなのか。
半ば意識のない少年の下に体を潜らせ、なんとか、立ち上がった。引き摺るようにしてゆっくりと歩き出す。
三月の冷たいお天気雨が降る、明るい午後の日。
金色の髪をした少年と、こうして出会った。
〈 お別れの日に唄う唄 おやすみ、痩せっぽっちの君 〉




