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夜のほとりで待ち合わせ 21


「爺さんが死んだ時、この笛を吹いたら親父とお袋が来てくれた。親父とお袋が死んだ時吹いたらばあちゃんが来てくれた。・・・・・・これはそういう笛なんだよ」

 外の光だけが頼りの薄暗い室内、じんわりと輪郭がぼやけ世界を曖昧にしてゆく。

 けれど、なににも妨げられず触れるあたたかさだけは確かだった。触れるほど近くにある灰色とその奥の青色の眼も色も、耳元でささやかれるように響く低い声も、ミユキを抱きしめる腕も、耳を付けると聞こえてくる鼓動も。

 世界中が闇の夜に染まる中、ひっそりと二人だけで秘密を打ち明けあうようにして言葉を交わす。

「・・・・・・ごめんな、なにも出来なくて」

「ううん、いい」

 きゅうっとオーリに抱き付く。お互いなにも纏わないままベッドの上に横たわり、一部の隙もないまま抱き合っている。首筋をオーリの吐息が撫でてゆく。

「別になにも出来なくたっていいの。・・・・・・こんなこと、オーリ以外にはしないから。だから『特別』なの。『特別』をオーリにあげられるならなんだっていいの」

 そっか、と、オーリがうれしそうに微笑んだ。その顔を見てミユキもまた微笑む。

「あ、でももしよかったらもっとぎゅうってしてほしい」

「・・・・・・はいはい」

 要望通りにさらに抱きしめられる。幸せで溶けてしまうんじゃないかと、本気で思った。別にいい。それでいい。

「・・・・・・あったかい」

「よかった。・・・・・・これで風邪ひかれたら嫌だし」

「オーリが一晩こうしてくれてれば大丈夫だよ」

「・・・・・・理性はとうに擦り切れてるのに身体が付いて来れないってこんなに辛いのな。普通逆だろ・・・・・・」

 だから薬は嫌なんだ、とオーリがぶつぶつと呟く。それがおもしろくてふは、と笑った。

「もう子供じゃなくなったんだよ。二十歳になった」

「またそうやって煽る。・・・・・・そっか、もう三月だもんな」

「うん。・・・・・・よかったね、オーリもう犯罪者にならないよ」

「ああ、本当によかったよ」

 しみじみとした声にくすくすと笑い続ける。少しそうやって、笑いも収まって―――オーリがミユキを見た。

「・・・・・・なんだかな。もうなにも怖くないや。ミユキが来てくれたから」

「・・・・・・よかった」

 それならば、よかった。こんな自分でも役に立てたのだから。

「・・・・・・ミユキも、さ。呼べよ、絶対。お前が辛い時、苦しい時、息が出来ない時―――呼べよ。誰でもいい。絶対に、助けを求めるんだ。

 ミユキがひとを苦手な理由は、巻き込みたくない、辛い目に合わせたくない、遠くでいいから幸せになってほしい。・・・・・・そう思ってるから苦手なんだよ。触れ合えない。触り辛い。・・・・・・そんなことないよ。人間は、ひとは簡単に不幸になるけど―――簡単にあきらめたりなんか、しないから」

 わたしの愛すべきひとたち。

 足掻いて、足掻いて、足掻いて―――それでも絶対にあきらめないひとたち。

「俺は俺が嫌いだった。無意識の内にひとを殺そうとする、取り返しのつかないことをする俺が怖かったし大嫌いだった。・・・・・・けど、ミユキが、ミユキが何度も俺を呼ぶから。・・・・・・幸せそうに、うれしそうに、大切そうに呼ぶから。・・・・・・何度だって、ミユキが俺の手を掴むから。・・・・・・だから俺は俺を最期まで棄てられなかった。ミユキが・・・・・・ミユキが好きな俺を、俺は見棄てられなかった。・・・・・・自分の愛するひとが愛するひとを、俺は棄てられなかった。だから、助けてほしくてミユキを呼んだ。・・・・・・すぐに、来てくれた」

透明な眼が眩しいものを見るようにミユキを見る。愛おしさでいっぱいの、・・・・・・本当にうれしそうな微笑みで。

「死んだらどこに行けるのかな。・・・・・・もし選べるなら、俺はミユキに会いに行くよ。

 過去のミユキすべてに、会いに行く。お前が辛かった時、悲しかった時、苦しかった時、逃げ出したかった時、泣いた時、笑えなかった時、自分を憎んで嫌いになった時、失った時、絶望した時、嘘を吐いた時、死にたかった時、うれしかった時、幸せだった時、感謝した時、嘘を吐き続けた時、なんでもない時―――全部の瞬間のミユキに会いに行く。全部ぜんぶ抱きしめて愛して、絶対に、ひとりにしない。

 ミユキは生まれてから俺に会うまで一度もひとりなんかじゃなかった。・・・・・・ずっと、俺がいた。・・・・・・だから大丈夫。ミユキが嘘吐きでも、詐欺師でも、辛くて悲しくて息苦しくても―――一瞬たりとも、ひとりなんかじゃなかった。だから、もう過去のミユキはさみしがらなくていい。安心して怖がっていい。・・・・・・俺がいた。どんな時でも、俺がいた」

 ―――辛かった時の。

 悲しかった時の、苦しかった時の、逃げ出したかった時の、泣いた時の、笑えなかった時の、自分を憎んで嫌いになった時の、失った時の、絶望した時の、嘘を吐いた時の、死にたかった時の、うれしかった時の、幸せだった時の、感謝した時の、嘘を吐き続けた時の、なんでもない時の過去の全てすべての自分が―――声を上げて、泣いた。

「・・・・・・うん。オーリがいた。ずっとずっと、オーリがいた」

 あなたがいた。それだけで、世界は素晴らしい。

 過去のすべてを抱きしめられる。抱きしめられ、今までの自分はもう二度と、ひとりぼっちにはならない。

 わたしは。

 ミユキはどんな時だって―――愛するひとに、愛されていた。

「・・・・・・雨が降ってる」

 さわさわと、微かに聞こえる雨音が、静かな空間を密やかに満たす。

「古い言い伝えにあるんだ。雨の日に別れた二人はまた会える。・・・・・・俺はミユキに会いに行く。また、会える。・・・・・・もうなにも怖くない。ミユキが俺のことを好きでいてくれるって知ってるだけで俺は幸せに死ねる。俺の幸せの形はミユキだ」

 だからさ、と、オーリが微笑う。

「最後まで抱きしめさせて。最期のあとも抱きしめさせて。―――俺の、ミユキ」

 身体に回っていた手のひらが頬を撫で灰色とその奥の青色の眼がふわりと閉じられる。

 ミユキもそっと眼を閉じた瞬間、あたたくて愛おしいものが触れる。

 静かに流れていった涙はオーリの指先に何度も拭われ、その心までも受け入れられる。

 雨音も遠い、二人の言葉と鼓動だけが重なる、闇の夜。

 夜のほとり。

 零れた吐息を、想いを、心を―――全部ぜんぶオーリが拾い上げ、そして、二度とひとりぼっちにはならない。

 そのあたたかさを。存在を。狂おしいくらいの、愛おしさを。

 全部ぜんぶ、伝わればいい。伝わってくれればいい。

 ミユキの全てを刻んでいてほしい。

 心からの想いを込めて強く抱きしめると、それ以上の力で抱きしめ返された。

 オーリの中に溶けてゆく。

 だからきっと、全て伝わった。

 その熱を、その鼓動を、その眼の色を、その声を、その言葉を―――全部ぜんぶ後生大事に抱きしめて、ミユキは微笑った。



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