ハロー、唄う飛行機 8
人生いろいろあると思う。空港で今にも死にそうな顔をしていた青年と出会って、そして彼の帰郷に付き合うことにして。いや、それは自分で決めたことなのだけれど。
決めたこと。
選んだこと。
全部自分がやったこと。
誰のせいにするつもりもない。
後悔はしていない。
ーーーだとしても。
「流石にこれは想像してなかった…」
「なに、ミユキ」
「いやなんでも」
いやなんでもではなかったかもしれないがとりあえずそう答えた。南極にでもいるのかというくらいのファーに包まれた彼の顔はきょとんとしていた。
寒いのは平気だ、と言いはしたが流石にこの気温は対応外だーーー先ほど車から見えた電光掲示板には、マイナス二十二度と表示されていた。生きていける気がしない。
写真や映像でしか見たことがないような大きな作りの防寒着の中の体はそこまで冷えていなかったが、剥き出しの顔は寒いというより最早痛い。
着いたばかりのはずだったあの都市部からすぐに飛行機に乗って四時間程。極寒の大地と言ってもいいこの田舎街は、夕方手前という時間を差し置いても冷え過ぎていた。自分の上着だけでは空港からとても出れなかった程だ。幸いなことにオーリが連絡を付けたらしい現地の知人が特殊防寒着を持って迎えに来てくれていたので凍死はしないで済んだ。
その人物が乗ってきた車に乗り込み、道路の両側に積み上げられたミユキの背丈を越えた壁の雪を眺めながら二十分程走り、辿り着いた場所は。
「オールド・タウン」
笑ってしまうくらいの重装備なミユキに向かって、笑ってしまうくらいの重装備なオーリが言った。
「街に着いた時道路が逆にものびてただろ。そっちに行けばニュー・タウン」
「どう違うの?」
「さあ。湖の数じゃない」
この周辺には二万を越える湖が存在するらしい。中には名前の付いていない湖もあるのだとか。
だからこそこれの出番も多いし、使いやすいのだろうけれどーーー。
少し先にある『これ』を見つめた。闇の夜の中、投光器で照らされているのは湖に浮かぶ水上飛行機だ。ミユキとオーリはそれを湖のほとりで眺めていた。
訳も分からぬままオールド・タウンに来て、運転手の家らしきところに通され、夕飯を振舞われ。頭の中は疑問文だらけのままお腹を満たし、これからどうすればいいんだろうと夜になる外を眺めながら思っていた矢先に再びの外である。よく分からない。
「準備は出来たか!」
「とっくに出来てるよ。ダニー」
オーリが英語で応じた。雪の上をざくざくと確かな足取りで進んできた初老の男は、自分たちを空港まで迎えに来てくれて家に招いてくれた人物だった。ダニエルだ、と自己紹介してくれた。
「ユキも大丈夫かい?」
「はい。……いや、よく分かってないんですけど」
自分も言葉を切り替えて答えた。何をするの? と首を傾げるとダニエルは驚いたような顔をした。
「何にも聞いていないのかい?」
「はい」
「なにやってたんだよオーリ」
「いちゃついてた」
「嘘吐くなよ坊や」
「ミユキお前随分流暢に英語喋ると思ってたけどスラングもいけんのか」
ええまあ嗜み程度には。
咳払いする。
「今からこれに乗せてもらうんだよ」
「やっぱり」
そんな気はしていた。照らされた水上飛行機を見て首を傾げる。
「でも、そんな簡単に飛ばせるものなの?」
「これはダニーの飛行機だから。ダニーが飛ばすなら全然余裕」
「え」
「ここじゃ結構手軽な移動手段だったりするんだよ」
湖の数が多いならそうなのかもしれない。けれども。
「……どうしてこの湖は凍ってないの?」
「魔法だよお嬢さん」
「ヘイ、坊や」
「火力発電所があるんだよ。その影響でこの湖は一年中ほぼ一定の温度を保ってる」
科学の力か。納得して大きくうなずいた。
「まあとりあえず乗ってみりゃあ分かるだろ! さっき電話して聞いたがいい感じらしいぞ?」
「いい感じ?」
「あー、いいから。乗って乗って」
疑問が増えたが解消はされない。軽く背中を押されたのでダニエルに続いてそのまま歩き出し、ぺしゃっと転けた。雪の上に突っ伏する。
「あ、大丈夫か」
「……だいじょうぶ」
日本語に戻った問いかけに同じく日本語で答える。
「あーほら、拭くから泣くな」
別に泣いてはいない。情けなさに泣きたくはなったが。
無様に転んだミユキをオーリがひょいっと起こして立たせた。随分と元気だ。移動中たっぷり眠れたのがよかったのかな、と思っていると手袋を取った手が顔に付いた雪を払ってくれた。
「……ありがと」
「ん。行くぞ」
ミトン型の手袋をはめた手が差し出される。躊躇わず握ると、軽く引かれゆっくり歩き出した。つっかえ棒として付いて来たはずが完全に役割が逆になってしまっている。
「雪不慣れ?」
「一応都会っ子」
「日本育ち?」
「うん」
「の割には本当きれいに英語喋るな。授業で習うような話し方じゃないだろ。どこで習った?」
「習ったというかーーー」
ずりっと足が滑り口の中から悲鳴が漏れた。着膨れしたオーリの体に抱き着くようにして倒れることだけは免れる。
「……答えるのあとでもいい?」
「うん」
おもしろそうに答えられた。ひょっとしたら今酷く情けない顔をしているのかも。
何とか雪の中を歩き切り、漸く桟橋まで辿り着いた。桟橋の上は雪がほとんどない。
「凍ってるから気を付けろよ」
「うん」
手は引かれたまま飛行機に歩み寄る。既に到着していたダニエルがドアを開けてくれた。