walk on の夕暮れ 12
アルバムの最後のページまでめくり切ると、それはそれは深い溜め息が心の底から漏れた。重たいアルバムは、高校卒業の時まで。オーリの部屋にあった薄いアルバムは、入隊したところまで。・・・・・・いつ、PTSDを発症したのかはわからない。けれど、今のオーリの年齢から言ってそれはそんなに昔のことではない。
「さっき、オーリが言っていたの」
やわらかい声が降って来て、導かれるように顔を上げた。見慣れた色と同じ色の目を微笑ませ、リザが言う。
「ミユキ。・・・・・・素敵な名前ね」
「・・・・・・ありがとうございます」
「あなたにとっては唯一の、けどとっても重要なことなのね」
「・・・・・・オーリは、なんて?」
リザの口を通して伝えられた言葉を、ミユキは一生忘れることは出来ない。
「『あの子にとっては名前を呼ばれることはとても怖くて、呼んでもらうことは勇気の要ることだったんだ。
だから、呼ぶ時は。心を込めて、呼んであげてほしい。・・・・・・俺は、そうしてるから』」
―――なにかを堪えたくて、目を閉じた。
なにも言って、いないのに。言っていない、はずなのに・・・・・・どうしてわかる。どうして、こんなにも大切に拾い上げて抱きしめてくれる。
「・・・・・・オーリは」
小さく声が、震えた。
「やさしい、です。本当。・・・・・・きっと、生き辛いくらいに」
「どうしてだか、キサラギの名を持つ男性はみんなそうなの。きっと血筋なのね。でもね、とっても素敵な女性を連れて来るのよ。これもきっと血筋ね」
「・・・・・・リザは素敵だし、オーリのお母さんも素敵なひとだと思います」
たくさん見た写真。見ただけでわかる。あの輝くような笑顔の女性が、どれだけ家族を愛していたか。大切にしていたか。
「・・・・・・ちょっと前に、わたしあるひとに訊いたんです。『わたしオーリを好きでいいのかな』って」
「そのひとは、なんて答えたの?」
「『いいんだよ!』って」
「そうね。その通りだわ」
「・・・・・・」
「ミユキがなにを選んだかは、あの子に最初に言ってあげて」
「・・・・・・はい」
うなずく。小さな声で。
「それに、ありがとうね。うまくオーリを最初にお風呂に回してくれて」
「あ・・・・・・」
「その方が私と話す時間が纏めて取れるから、でしょう?」
ああ本当、この血筋のひとには到底適わない。
かあ、と赤くなった顔を隠すため、再び開いたアルバムに顔を隠すはめになった。
オーリとバトンタッチで入った浴室は、イメージしていた外国のそれとは全く違っていた。
「・・・・・・湯船がある」
浅いバスタブではない。きちんと肩までつかれそうな深い湯船。その代わり脚はそこまでのばせないサイズで、一昔前の湯船、といった感じだった。洗い場にもきちんと排水溝がありユニットバス式ではない。オーリのお祖父さんが特注で作ったのかもしれなかった。青いタイルがきれいだ、と、流れてゆくお湯の上をなぞるように指先で触れた。
体と頭を洗い、すっと鼻に心地よく抜けてゆく匂いの入浴剤が溶け込んだ湯船に身をつけ、込み上げて来た深い深い息を大きく吐いた。ふうーっと、湯気を自分の吐息が巻き上げていく。取り付けられた窓が小さく開いていて、隙間から金色の月が見えた。梟なのかなんなのか、鳥が長く鳴く声が遠くから聞こえてくる。
静か、だった。とても、とても。
「・・・・・・」
今までのこと。―――これからの、こと。
考えて、考えて、考えて、考えて。
―――そして思った。
だから、なに?
「・・・・・・」
小さく、じんわりと笑みが浮かんだ。
「・・・・・・ふ、は」
笑う。・・・・・・ほんの、少し。自嘲にも前向きなあきらめにも似た、それ。




