ハロー、唄う飛行機 5
夢を見た。過去どこかであったのかもしれない自分の姿を透明人間として見ているかのような。
自分が見ている自分は誰かと会話をしていて、一度うなずくとへらりと笑った。楽しそうに微笑み、何か言葉を返す。
その顔を見て酷く腹が立った。滅茶苦茶に刻んでやりたい。わたしはその笑顔が見たくない。
息苦しくなって不規則な息を吐いた。その顔に触れようと、どうにかして消してやろうと、見えない自分の腕を目の前にいる自分にのばすーーー
肩を軽く揺すられて目を覚ました。ぼんやりとした頭のまま顔を上げると客室乗務員がやわらかな笑みを浮かべて立っていた。
「あともうしばらくで着陸致します。背もたれと肘置きを元の位置にお戻し頂けますか」
「あ、はい……」
ぼやけた口調のままうなずき、隣に視線を移す。ストールに顔の半分を埋め心地好さそうにすやすやと眠る彼。顔色がだいぶよくなっていることにほっとする。
少しだけその顔を眺めていたが、肘置きを元に戻さなくてはならない。寄り添うように並んでいるので一度体を離す必要があった。
「オーリ、起きて。そろそろ着くよ」
ぴくりと瞼が動き、微かに顰められた。もぞもぞとストールの中に顔が引っ込んで行ってしまう。
「あああ。ほらほら、起きて。着いちゃうよ」
肩を軽く揺らすと数拍置いてストールの下から片目だけ出て来た。酷く眩しいものを見るかのように細められた目が自分を捉え、ぼんやりとした視線のまま固定される。眠ったら忘れられただろうかと小首を傾げた。
「ミカゲだよ」
「……ミユキだろ」
「まあ同一人物だけど。おはよう、オーリ」
「…はよ」
一瞬だけ顔がストールの下に沈み、それから完全に出た。くは、と大きく欠伸をして可能な限りうーんとのびる。
「……着くの?」
「着くよー」
肘置きを元に戻す。ぽりぽりと首筋を掻いていたオーリが閉じていたブラインドを下げた。
途端に、座席が白く染められる。
「……わあ」
一面の青い空と青い海だった。思わず小さく歓声を上げ窓際に身を乗り出す。
「めずらしい?」
「うん」
大きくうなずく。何回か見たことはあるけど、やはり何回見てもすごいと思う
かん高いが耳障りではない高音域の長く続く音がした。鳥だろうかと耳を澄ませたがこんな高度に鳥が飛んでいるはずがない。なんだろうかと首を傾げて考えて、
「風切り音だろ。すぐ横翼だから」
「……唄ってるのかと思った」
「え?」
「飛行機が」
「……飛行機が」
オーリが小さく繰り返す。笑われるかと思ったが、予想に反して彼は耳を澄ませるように眼を閉じ静かに黙った。長い睫毛が繊細な影を落とすのを見ながら反応を見守る。
微かに唄う、飛行機の唄。
「……長い唄だな」
ふわりと眼を開けてオーリは言った。
「ずっと聞いてたい」
「……うん」
小さくうなずく。同じように耳を澄ませその唄を静かに吸い込むように身に纏った。
「ずいぶんと息が長いな」
「ふは。そうだね」
流れるように続く唄は音程を変えつつも途切れることはない。地上から遥か別の世界ほど遠く離れた、決して汚されることのない空気をめいいっぱい思い切り吸い込んでーーー飛行機は唄い続ける。
「ーーー深呼吸が出来るんだね、きっと」
乗り出していた身をそっと離す。
彼には聞こえ続けているのであろう唄は、たったそれだけの距離を置くと掻き消えるようにして聞こえなくなった。