夕焼けの魔法遣い 16
「あ・・・・・・」
悲嘆が、顔に出たのかもしれない。余りの勢いに呆然としたケイトが「どうされたんですか・・・・・・?」と問う。
どう答えようか瞬時している間に、ケイトの表情がさっと変わった。瞬間、ものすごい力で両肩を掴まれる。
「ゃっ、」
「その痕! どうしたの!」
「ゃ、なんでもっ、」
「あのひとね! あのひとがやったのね! ああ、なんてこと・・・・・・! 彼は今どこなの? ここにいないの? ああ、お願い早く探して! 死ぬかもしれないわ!」
「っ、は、」
肩に走る痛みも忘れて絶句した。―――このひとは、なにを言って、
「ベーカー夫人、落ち着いてください。その手を御放しください。・・・・・・ミカゲさま、ベーカー夫人を中にお入れしても?」
「は、い、」
「夫人、さあ、中へ」
間に入ろうとしたジェームズがゆるやかにケイトの手に触れた。その指先から冷静さが伝わったのかほんの一瞬呆けた顔をしてからぎこちなく手を離す。きちんと目が合った。
「・・・・・・ごめんな、さい・・・・・・」
「い、いえ。・・・・・・中に入ってください。どうぞ」
そのどうぞの中に懇願する響きが混じってしまうのは自分ではどうすることも出来ないことだった。一瞬、泣き出しそうに顔を歪めたケイトは微かにうなずくと大人しく部屋の中に入ってきてくれた。先ほどまで座っていたソファーを促し、自分も向き合うようにして座る。沸かしたお湯を持ってきたジェームズが新しいカップに何かを注いでケイトの前にそっと出した。・・・・・・心地よく抜けていくハーブの香り。
「ベーカー夫人にはこちらを。どうぞ」
「・・・・・・私がここのハーブティーを好きだとご存知で・・・・・・?」
「ええ。十年前旦那さまといらっしゃった時もご注文してくださいましたね」
ケイトの灰色の目が驚きに見開かれた。アレックスと同じ色だ。
「よく―――よく、覚えているんですね」
「大切なお客さまのことです」
その言葉にケイトは泣きそうな顔をした。堪えるように間を置く。
「・・・・・・下で、先ほどあなたを見かけて。・・・・・・なにかあったのかと」
「あ・・・・・・」
先ほどの騒動―――を、見られていたらしい。昨日の段階で部屋番号は教えてある。気にかけてくれたらしい。
―――死ぬかもしれないわ。
落ち着け、と胸中で呟く。落ち着け、落ち着け―――なにが落ち着けだ、こんなにいっぱいいっぱいで―――ああ、もう、畜生。どうすることも出来ない。なにが。なにを。自分は。
ケイトが顔を上げた。ミユキを見て―――ミユキの首元を見て。その瞳がぐらぐらと揺れる。
「彼は・・・・・・? キサラギ氏は・・・・・・?」
「・・・・・・いないんです」
「・・・・・・どこに?」
「・・・・・・わかりません。・・・・・・わからないん、です」
唇を噛む。強く強く、拳を握りしめた。
言わないこと。言えないこと。
―――きっと君は、彼に話せることがどんどん少なくなっていくよ
オーリも、そうだったのだろうか。だから何も言わず消えてしまったのだろうか。
「・・・・・・キサラギ氏は元軍人なのよね・・・・・・?」
「・・・・・・? はい・・・・・・」
「なんてこと・・・・・・」
ケイトも唇を噛んだ。長い髪を掻き上げ、呻く。なんてこと。
「ケイトさん、あなた、オーリが死ぬかもしれないって言いました。どういうことですか。なにか知っているんですか。知っているなら教えてください。お願い、お願いします!」
「・・・・・・あなたは」
掠れた声だった。なにかを計るような声だった。
「・・・・・・彼を最後まで愛せる?」
あい せる ?
「・・・・・・、」
眼を見開いて、
「―――、」
唇を開いた。
「―――そんなの、」
心臓を切り開いて、
「―――馬鹿みたい、」
言葉を紡いだ。
「馬鹿みたい。馬鹿みたい、馬鹿みたい、馬鹿みたい。―――そんなの、本人に会って言います。まだ本人にも言ってないのに―――他のひとに、言えるわけないでしょ」
くだらない。くだらないよ。
「だからね、ケイトさん。教えてください」
微笑む。―――微笑んだ、つもりだった。
「今のわたしには全然、余裕なんてないんですよ」
声は震えなかった。
握りしめた手だけがぶるぶると震えていた。
それを見て。ミユキの眼を見て。―――ケイトがあきらめたように、息を吐いた。
「―――あなたはアレックスと同じ。キサラギさんは、マイケルと同じ」
「・・・・・・どういう―――」
「私の夫―――自殺したマイケルもね、アレックスの首を絞めたの」
首筋に、彼の体温が蘇った気がした。
「悪意は、なかったのよ。本当に、なかったのよ・・・・・・。自分ではもうどうすることも出来なかったの。制御することが、出来なかったの・・・・・・。そのことに絶望して、彼は自殺してしまった・・・・・・」
「・・・・・・どうして」
自殺。―――どうして。
どうして、彼は。
「マイケルはね。戦地帰りだった。強制的に帰らされたのよ。PTSDを発症して―――眠っている最中にね、ひとの気配を感じると敵兵が乗り込んで来たと錯覚してその相手を殺そうとしてしまうの。―――アレックスは、精神的にぼろぼろになったマイケルがよく眠れているか気になって覗きに行っただけなの。戦地に行く前、マイケルはよくアレックスの布団をかけ直していたわ。アレックスはそれを知っていたの。だから自分も同じことをしてあげようと、眠っているマイケルの近くに寄って行って―――」
「わかりました」
強い口調で遮った。遮って―――力無く、繰り返す。
「・・・・・・わかりました」
なんてこと。―――ケイトが言った意味が、ようやくわかった。なんて、こと―――
思い出す。思い出す。飛行機の中―――確かに眠っていた。それでも座ったままの仮眠だ、それに眠ったからといって毎回症状が出るとは限らない。
列車の中。オーリは少しだけ眠っていた。けれどその時隣に自分は横たわっていなかった。椅子に座って景色を見ていた。あの狭いベッドに横並びになった時、眠っていたのは自分だけだ。
病院に泊まった時、オーリは個室だった。誰もいなかった。
昨夜、はじめてあんなに近くで眠りについた。
何が引鉄だったのか。なにがきっかけだったのか。それはわからない。オーリ本人にもわかっていないかもしれない。
なにも知らず。なにも気付かず、隣で眠り続けるミユキ。
それは―――誰に見えた? なにに見えた?
「・・・・・・確信は、ありません。そうと決まったわけじゃ・・・・・・」
「・・・・・・薬」
「え?」
「薬が、たくさん鞄に入ってるんです。・・・・・・見たらわかりますか?」
「・・・・・・見せてください」
うなずき、立ち上がる。オーリの鞄を抱えソファーに戻った。ケイトに差し出す。ケイトは錠剤のピルケースのラベルをいくつも確認しややあってから鈍くうなずいた。
「いくつかわからないのがありますが、少なくてもこの薬はマイケルが服用していたものと同じです。・・・・・・精神安定剤です」
「・・・・・・そうです、か」
なにも知らない。胸の中にそんな想いがぽっかりと浮かんで、そしてじぐじぐと腐敗していくように残った。
なにも、知らない。なにも、なにも。・・・・・・なにも話して、もらえない。当たり前だ。だって言っただろう―――自分で、言っただろう。
善意じゃない。やさしさなんかじゃない。あなただから着いて来たんじゃない。利用した。
それでも。―――一緒にいても、いい?
「・・・・・・」
そんな人間に。自分のことしか考えていない人間に。
なにを言えるっていうんだよ。
「―――ミカゲ、さん?」
「ミカゲさま?」
二人の声が、遠くから聞こえた。―――しっかりしろ。しっかり、しろ。
「―――監視カメラの映像は、どうでしたか」
「はい、お待ちください」
失礼します、と一言置いてからジェームズが懐からスマホを取り出し操作する。繋がった相手に向かって二、三言確認すると手短にお礼を言って通話を切った。
「先ほどチェックが終わりました。キサラギ氏はこのホテルを出ています」
「―――その映像を見せて頂けますか」
「はい、お待ちください」
再びスマホを操作する。ややあってジェームズは画面を横向きにしてこちらに示した。その小さな画面を覗き込む。
画面の端に表示されている時間は朝方だった。自分といる時よりも酷く早い歩調でオーリがロビーを横断しそのまま出て行く姿が映っていた。足取りは早いが芯がぶれたように何度かよろめいている。その姿が―――痛々しくて、胸が刺すように痛んだ。
「・・・・・・キサラギ氏はなにを持って出たかわかりますか?」
「・・・・・・上着を、着ているから・・・・・・お財布とパスポートくらいだと思います」
それは上着のポケットに入っていたはずだ。あとは真鍮のホイッスルと―――ライターのない煙草。ずくんと痛みが増す。
「・・・・・・酷いことを訊くけれど、キサラギ氏がいなくても・・・・・・あなたは国に帰ることが出来るの? お金や、パスポートや・・・・・・」
「・・・・・・はい。自分でもそのくらいのお金はありますし・・・・・・家族はこっちの国に住んでるんです。だから最悪迎えにも来てもらえます。オーリからある程度のお金も渡されてるし・・・・・・」
「・・・・・・ご家族がこの国にいること、キサラギ氏も知ってるのよね?」
「・・・・・・はい」
「・・・・・・」
酷いことを訊くようだけれど。・・・・・・でも、現実だ。オーリはいつだってミユキを置いてゆける。
「・・・・・・キサラギ氏を最後に見たのは何時頃かわかりますか?」
ジェームズが静かに問うた。それはオーリがミユキの首を絞めたのは何時かと―――そう訊いていた。思い出せ、と。
片目を閉じた。視界が狭まり、記憶は数時間前を思い出す。・・・・・・心は、連れて行かない。痛むだけだ。もうずっとずっと痛んでいるのだからわざわざ連れ回す必要はない。
「・・・・・・夜、です。まだ真っ暗だった。・・・・・・明け方ではないです」
監視カメラから少し垣間見れたその時の色は―――黒ではなかった。群青色に染まる朝のはじまりの色。夜明けの色。
「・・・・・・あなたが気を失ったあと、あなたが目を覚ますのを待ってたのね」
細い細い声でケイトが言った。
「生きているのがわかっていても心配で動けなかったんだわ。・・・・・・明け方になって、あなたが身動きかなにかして―――目覚めが近いと、思って。・・・・・・そしたら」
そしたら。そしたら? ―――どんな風に、思った?
「・・・・・・マイケルは―――耐えられなかったの」
かすかすに掠れた声。震える声で、未亡人が言葉を紡ぐ。
「あんなにアレックスを愛していたのに。私のことも、大切にしてくれたのに。アレックスや私が怪我や病気をしたらすぐに駆け付けて来てくれていたのに。・・・・・・それなのに自分は、自分の大事なひとを殺そうとしたって言って、自分を追い込んで追い詰めて―――」
ああ。アレックスだけじゃ、なくて。
このひとは。―――このひとも。
「家族を殺すくらいならって、そう書き遺して、あのひとは―――」
たったひとりで。
消えてしまった。
「・・・・・・」
―――わたしたちは。
―――どうしたら、よかったんだろう。
「・・・・・・は・・・・・・」
震える指で自分を抱きしめた。きつくきつく、抱きしめた。
「・・・・・・やっぱりわたしは疫病神じゃないか」
「・・・・・・ミカゲ、さま?」
「いえ。・・・・・・警察に連絡して意味はありますか」
「・・・・・・キサラギ氏は成人しています。行方不明といってもまだ数時間です。恐らく捜査されるのはもっと月日が経ってからでしょう。・・・・・・それに」
そう、それに。・・・・・・この首の痕を見たら、もうどうしようもない。
「・・・・・・早速頼るのは癪だけど」
「―――連絡致しましょう」
全てを飲み込むように理解する有能な支配人が立ち上がり、先ほどとは違う端末を出した。恐らくプライベートの方だろう。電話ではなくメールで操作し、沈黙が走る。
数十秒後。
りりりりり、と、部屋の固定電話が鳴った。躊躇なく受話器を取り耳に当てる。
『―――こんなに早くかかってくるとは思っていなかったよ』
「わたしもこんなに早くかけるとは思ってなかった」
『お困りかい、僕のそっくりさん』
「とてもね。助けてくれてもいいよ、探偵さん」




