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夕焼けの魔法遣い 15


部屋に戻ると、ジェームズに一度着替えるように言われた。寝巻きのパーカーにシャツにスウェットに裸足、確かに着替えるべきだった。服を持ってバスルームに籠る。

シャワーで足を洗って服を着替える。顔を洗って身なりを整えると鏡の中の自分と目が合った。―――酷い顔をしていた。

目線を下ろす。鏡に写り込んだ自分の首―――そっと指を這わす。暗い赤に染まった首元。はっきりとした指の痕が見て取れ、あの細くてごつごつとした長い指が確かに自分の首を絞め上げたのだと痛切なほど現実を叩き付けて来る。

現実。現実。・・・・・・残酷なものだ。もう既に知っている。・・・・・・けれど、現実と事実が必ずしもイコールだとは限らない。それも知っている。高校時代、自分たちは現実を生きながら裏の事実をひたすらに見つめて来たのだから。

「・・・・・・大丈夫。しっかりしろ」

ごつ、と鏡の自分に額を付けて呟く。ひんやりとしたなめらかな冷たさが火照った思考を心地よく冷やしてゆく。・・・・・・大丈夫、大丈夫。必死に言い聞かせる。

大丈夫、これだけは言える。だからきっと覚えていて。お守りのように胸に刻んでいて。君はすべてを失くしたわけじゃないんだ・・・・・・




酷い顔、はしていた。けれどそれでもなんとかまだましな表情を取り繕いバスルームを出ると、ジェームズがこちらを見て微笑んだ。

「どうぞおかけになってください。一度落ち着きましょう」

「・・・・・・はい」

うなずいてソファーに腰かける。奇妙に背筋が強張っていてなかなか力を抜くことが出来ない。

「どうぞ」

す、と差し出されたのは薄い白磁のカップだった。繊細な花模様が美しい。中には白い液体が満たされゆるゆるとやわらかな湯気を上げていた。

お礼を言って、気は進まなかったが口を付ける。・・・・・・ほんのりと甘いホットミルクだった。一口飲んで―――二口飲んで。痛みが走るほど頑なになっていた背中から少しずつ力が抜けて行く。

「・・・・・・ありがとうございます、少し落ち着きました」

小さな声でそう言うと、微かな湯気の向こうでジェームズが微笑んだ。

「それはなによりです」

「・・・・・・すみませんでした、先ほどは。・・・・・・とても失礼な態度でした」

心を込めて頭を下げた。ホテルのロビーであんな醜態を晒したのだ。マナーがなってないと追い出されても仕方がない。

「頭を上げてください。よっぽどのことがあったのでしょう。・・・・・・なにがあったのですが?」

頭を下げたまま唇を噛む。―――どう説明したらいいのかわからない。

あの怯えた貌。苦しげな呼吸。

望んでやったこととは思えない。けれども、この首にはしっかりとその痕が刻まれている。

彼を誤解してほしく、なかった。

「―――大丈夫ですよ」

ふと、気配を近くに感じた。

近過ぎる程ではない。けれども、親しみを感じない距離ではない。座り込むこちらを覗き込むように、あたたかな眼差しがあった。

「彼が信用したあなた方です。私の知る彼はとても優秀な人間で、そしてひととしてどこか大きく欠けていた。―――それはひととひととの間で少しずつ育んでゆくものです。彼はそれを、酷く恥じていた。ひとと混じれない、ひとと触れ合って分かち合うことの出来ない自分は人間として酷く劣っていると、そんな風な劣等感すら抱いているようにも見えました。・・・・・・そんな彼が、利害を抜きにして「最大限の便宜をはかってくれ」と言ったんです。彼が思う彼の欠けている部分が、そこまでさせたんです。・・・・・・あなた方を見たままで判断したり、致しません」

 涙腺がまた酷く酷く痛んで―――じわり、と薄い膜を張った。泣くな。泣くな。・・・・・・泣くな。

「・・・・・・っ、おびえてた、んですっ・・・・・・」

「はい」

「呼吸も、へん、だった・・・・・・っ。絶対、ぜったいひとりにしちゃだめだったのに・・・・・・っ」

 気を失って。つい先ほどまで。―――彼がいつ、この部屋をあとにしたのか。

「探しましょう。大丈夫、もちろんお手伝い致します」

「わたしもそとにっ、」

「あなたはこのホテルにいてください。入れ違いになったら大変です」

「でもっ、」

「ミカゲさま」

 上から覗き込まれる。威圧感ではない。が、とても心配しているのがよく分かった。

「ここはあなたの国より治安は悪いです。日本人は狙われ易いですし、あなたはとても若く見える。ひとりであてもなく彷徨わせるわけにはいきません」

「でもっ、」

「キサラギ氏は今まであなたにひとりで行動させましたか?」

 ぐっと押し黙る。―――ない。列車の中や病院の中、ホテルの中。いつだって限られた空間だ。外を歩く時は―――そう、いつだって手を繋いでいた。―――ミユキはつっかえ棒だから。つっかえ棒、なのに。

「―――いいえ」

「スタッフにはあなたのことを伝えておきましょう。このホテルの中ならばどれだけ動き回っても構いません。見付かり次第全スタッフに伝えますので、あなたがどこにいてもすぐ連絡を受け取れる状態にします」

「・・・・・・でも、オーリはこのホテルの中にはいないと思います・・・・・・」

「今監視カメラをチェックさせています。私がロビーにいない時に出て行かれた可能性もあるので」

 いつそんな指示を出していたのか。仕事の早さに内心舌を巻きつつ少しだけほっとする。心強い。

「そうしたら少なくても外か中かが分かります。仮に動かれるとしてもそれからの方が良いのではないでしょうか」

 唇を結んでやや間を置いてからこくりと小さくうなずく。ジェームズの言う通り、だった。心も頭も早く早くと急き立てているのに、だからこそ冷静な意見が染み渡ってしまう。

「鞄の中を見させてもらえますか? 手がかりがあるかも―――」

 その時だった。こんこんとドアがノックされる。はっとして同時にドアを向き、弾かれたようにミユキは駆け出した。

「オーリ!」

 ドアノブに飛び付きもどかしく鍵を解除しドアを開け放つ。目の前に、長身痩躯の青年が―――いなかった。背は高いが、彼ほどではなく・・・・・・砂色の髪をした女性だった。



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