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夕焼けの魔法遣い 7

「気にするなよ」

こつん、と軽く頭を叩かれはっと我に返った。病院で襲って来たのよりも濃いふわふわと足が泳ぐ感覚。気味の悪い夢の中のようなあの悪酔いしそうな現実味のなさ。

ケイトとアレックスと別れてーーーそれから、あまり覚えていない。今エレベーターに乗っているということはここまで歩いてきたのだろうけれど。

繋がれた手に目を落とし、これじゃあ本当にどっちがつっかえ棒か分からないな、と軽く自嘲した。それが薄っすら表情に出たのかオーリが言葉を続ける。

「残念だけど俺たちに出来ることはない。いつかアレックスはちゃんと父親の死を受け入れるよ」

「うん…」

小さくうなずく。伏し目がちになりそうな視線を無理矢理上げる。オーリが瞬きした。

「なに」

「え?」

「なんか訊きたいことあるんだろ」

「え、うん。…なんでわかったの?」

「見てればわかる」

素直に感心して大きくうなずいた。

「あのね、オーリのお父さんって?」

「教師だった。母親も」

街の名前を口にする。オーリの故郷だった。

「職場の学校で出会って、結婚して。…俺が生まれて。祖父さんと婆さんの家も同じ街にあった。学校帰りよく行ったよ」

「へえ…」

部屋の前まで辿り着きオーリがロックを解除する。中に入ると相変わらず豪華な部屋が出迎えてくれた。オーリの背中が少し疲れたように強張っている気がしたのでとんと肩を軽く叩きベッドに促す。横向きに横たわったオーリの横に向かい合うようにしてミユキも横になった。

「高校まで一緒に暮らしてたけど俺が大学進学で街を出て離れた」

「オーリのお父さんはオーリと同じ目の色?」

「そうだよ」

「そっかあ」

「ミユキは本当好きだなこの色」

「好きだよ」

いつまで見ていても終わりが見えない深い色。じっと見つめると心が静かに凪いでゆく。海の底にそっと沈んでいくような、少しの怖さとそれを上回る安堵感。

「…長い休暇が取れたからって二人で旅行に出かけて、事故に巻き込まれた」

灰色の奥の青色。どこまでも続く色。

「即死だった。…即死で、よかった。苦しまなかったなら」

「ーーーうん」

ほんの僅か、前髪を揺らすほどの小ささで微かにうなずきーーー手をのばした。赤みがかった茶色い髪を梳く。

オーリはされるがままにじっとミユキを見ていた。ゆるく梳いた指が毛先まで辿り着き、そのまま頰に触れる。あたたかくて滑らかな肌。

ふわりと身を寄せた。オーリの胸に顔を寄せ目を閉じる。

「うん」

「…ミユキの父親は?」

「…お父さんは…やさしくて、絵が上手で…運動はあんまり得意じゃなかったけど、足は早かった」

「うん」

「脇見運転してた車に撥ねられて…即死だった」

「うん」

オーリの指がミユキの髪を梳く。ゆっくりと、ゆっくりと。

「周りのひとが言うにはね。わたし顔はお母さん似なんだって。けど、髪の色はお父さん似なの」

「真っ黒ではないもんな」

「うん。染めたりは絶対しないな…」

「俺もこのままがいい」

「うん。うん。ありがと…」

記憶に過るあのひとたち。

ごめんなさいと繰り返しながら地面に這い蹲るあのひと。

「…脇見運転してた運転手さんね、運送会社のひとで…会社からね、運転中だってわかってたのに携帯に電話かけられてたの。出ないわけにはいかなくて出たみたい。仕事に遅れが出ちゃうから車を停められなかったんだろうって、あとから他の社員さんに言われた。…運転手さんもね、亡くなった。即死じゃなくて、病院で何時間も苦しんでから。両親を早くに亡くして、妹さんを一生懸命育て上げたひとでね。奥さんのお腹には、赤ちゃんがいてね…お腹、もう大きくてね…そんなひとが、地面で土下座するの。泣きながら、土下座してるの」

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

申し訳ありません。本当に申し訳ありません。

「ごめんなさい、ごめんなさい、申し訳ありません、本当に申し訳ありません。…それしか、言えないよね。仕方ないよね。だって、そのひとが悪いんじゃないんだ…悪くなんか、ないんだ…」

髪を梳く手が頭に乗せられる。あたたかい大きな手のひら。

ぎゅっと身を縮こませて、ただひたすら記憶の冷たさに耐える。

「もう、限界だったんだろうね。妹さんが言ったんだ。…幸い、お母さんは聞いてなかった。わたしだけに聞こえる大きさの声で言ったんだ」

幸い。こんなことが幸いになる世界。なってしまう世界。

死ねよ。

「『即死でよかったわね』って。こっちは何時間も何時間も苦しんだのに、ってーーー」

ひくつき歪んだ口元。瞬きが少ない瞳孔の開いた目。奇妙に上擦ったささやき声。

「…ミユキは」

ぽつりと、頭の上から降って来た声。

「そのあと、ひとりだったのか」

「…ううん、違う。…一緒に泣いてくれた子がいたから」

雨の日のあの公園。来るはずがなかった自分たちを待ち続けてくれた半身。ーーーあなたのやさしさが傷付かずそのまま愛しんでくれるひとは、今君の側にいるのだろうか。

今ミユキがこうして傷も跡も抱きしめてもらえるように。

君も今、生きているだろうか。

「そっか。ーーーじゃあ、俺も感謝する」

落ち着いた声が、大きな手のひらが、ミユキを包む。

「ミユキをひとりにしないでくれてありがとうって、言いたいよ」

堪えきれなかった震えが身体を襲った。怖い。哀しい。淋しい。悔しい。憎い。ーーー耐えたくない。震え出したミユキを強く強くオーリが抱きしめる。

「大丈夫。もう大丈夫だから。お前には愛すべきクラスメイトも家族もいるんだろ。ーーーミユキがどれだけ望んでも、絶対にひとりぼっちにはなれないよ」

「っ…っ…ふっ…」

「即死で、よかったよ。よかったんだよ…ミユキの父さんが苦しまないで死ねたことを、俺はよろこびたい」

「っ…っ…、わ、わたし、もっ…オーリの、お父さんとお母さんがっ…」

痛みもなく死ねるのがよかったなんて、なんて残酷な世界だろう。

そんな「せめて」が幸いだなんて、なんて苦しい世界だろう。

そしてなにより、それを言ったあの女性に悪意がなかったことが哀しい。哀しい。

悪意じゃないのだ。あれは悪意なんかじゃなかったのだ。

ただ、バランスを取って自分を支えたかっただけーーー自分より傷付いて、自分より不幸な人間に居て欲しかっただけ。

必死だった。溺れていた。もがいていた。ーーー少しでも、楽になりたかった。ただそれだけだったはずなのに。

辛い。辛い。ーーー辛い。

涙腺が絞られるように痛い。

震えが、止まらない。ーーー怖い。

「大丈夫。ーーー俺もいる」

「っ、っ…う、ん、」

ぎゅうっとしがみ付くように抱きつく。抱きついてーーー気付き、距離を置こうとした。

「なに」

「はなの匂い、移ってるからっ…よう、よ、」

「酔わない」

「は、はなれるよ」

「いい。このままで」

「っ、」

「…いいから」

あやすように宥められ、うなり声とも嗚咽ともわからない声が漏れる。辛い。苦しい。ーーーたすけて、ほしい。抱きしめられる力と同じくらいに抱きしめ返す。

世界は冷たくて、残酷で、辛くて無慈悲なくらい平等だから。

だからこそ誰かと触れ合えばその温度がよく分かる。

あたたかい。心地良い。ーーー愛しい。

触れた部分から伝わる熱と鼓動。痛いくらいに、それが伝わりーーー

頬を一筋、熱いものが伝っていった。

たった一筋だけだったから、きっと自分たち以外の誰にも気付かれることはない。ーーーそう思った。



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