君のための日常 16
「止めようとして気付いた。ーーー僕は言葉を何も持っていない。自分のことばかりだ。彼女のことを思う言葉は、何ひとつとして僕の中になかった。存在すらしていなかった。…それでも彼女は、笑って許してくれたけれど」
後任が見付かるまで、大丈夫、半年もせずに見付かるからーーーその間だけ。
それまで。
「ーーー…あなたは、探さなかったんだ」
自身で傷を抉らせる前に。
ミユキが、その傷を抉った。
「先延ばしにした。逃げ出した。…逃げ切れるわけないのに。時間は、過ぎて行くのに…。眼を逸らして、考えないふりをして…何も、手を打たなかったんだ…」
ひとつひとつ。拾い上げるように。
ばらばらに放置していた歯車を組み合わせてゆく。
ぎしぎし、ぎしぎしーーー嫌な音をさせ軋みながら、動き出す。ーーー動いて、しまう。だって、時間は止まらない。誰にも止められない。
「…それで今回、件の麻薬組織を解体した。…その時、ミスをした」
一瞬の隙だった。油断ともいえない隙間だった。
クリスに向かって向けられた銃口。その人影と視線を合わすクリス。
悲鳴を上げるよりも、逃げるよりも、引鉄を引かれるより早く。突き飛ばして、身代わりになった存在。
「ーーー傷は、大丈夫なの?」
こないだだって不覚を取って撃たれてしまったの
「撃たれたのは、クリスじゃないでしょう…」
幸い、擦り傷で済んだけど
「転びかけたわたしを受け止めた時、体が強張ってたよね」
おかしいのよ、クリスったら狼狽えて狼狽えて
「骨だってーーー折れてるんじゃないの…?」
あんなクリスの顔見たことなかったわ
「それでも、あなたはーーー」
だから私、大丈夫よって何度も言って
「『大丈夫だ』って、何度も何度も言ったんだね…」
いつからこんな心配性になったのかしらクリスは気付かなかったわ
「クリスはーーー誰、なの?」
「…クリスの中で、『サム』という人間が『クリス』という人間を庇って撃たれた。…クリスには、それが耐えられなかった。目の前で自分を庇って撃たれた僕を見て、クリスの心は壊れた。…意識を失って、病院で目が覚めた時は、もう『サム』になっていた」
下腹にてを当ててーーー男が言う。
サムとクリス。
探偵と、助手。
「サマンサと、クリストファー…そんな感じかなって、思ってた」
「最初から偽名だったことは申し訳ないと思っている」
「いや、いいよ。名前については、わたしだって何も言えないんだ…」
「君はユキ・ミカゲと名乗っていたね」
「…そうだね」
「でも彼は、君のことをミユキと呼ぶ」
「…そうだね」
「どちらが本当なんだ?」
「…分からない。分からないんだ、よ」
喉の奥に声が引っかかる。掠れた、自分の高い声。
「『ミユキ』はーーージャングルジムから落とされた時に、死んだのかもしれない」
「それじゃあ、君たちも死んでもらおうか」
ささやき声。同時に、肩口に押し付けられた固い金属。
油断だった。隙だった。
「二人とも、死んでもらおう。ーーーサム・ジェイキンス。クリス」




