君のための日常 5
上の段のベッドを譲ることで決着した。さっき少しミユキが使ったことを伝えたが二人は気にしていないようだった。
「サム・ジェイキンスよ。いきなりごめんなさいね」
「ユキ・ミカゲです」
「…サム・ジェイキンス?」
オーリが反応した。先ほどから引き続き、低い声だった。
「探偵の?」
「ええ。こっちは助手のクリス 。あなたの名前も聞いていいかしら?」
「オーリ・キサラギ」
二人に向けて(クリスの方はあまりこちらを気にすることなく壁に寄りかかるようにして立っていたが)オーリが返した。サムはにこりと笑って見せた。
「よろしくね。これ、差額のお金」
「多い」
「迷惑料よ」
「受け取る謂れはない」
あまり友好的とはいえないオーリの態度を終わらせたくて背後からつんつんと服を引いた。
「探偵、って?」
「有名な私立探偵だよ。新聞とかネットニュースにもなってる。徹底的に顔時写真を出さない、正体不明の優秀な探偵として有名」
「お褒めに預かり至極光栄だわ」
「…探偵さんにはじめて会いました」
ミユキはそれをベッドの奥から返した。ベッドに放り込まれたあとオーリが腰掛けるようにして目の前を陣取ってしまったので出るに出られない。漸く落ち着いて絡まったシーツや布団を避けはじめた段階だった。
「…オーリ、大丈夫?」
「何が」
敵意はない、と分かった段階でオーリは臨戦体勢を解いたが、ミユキがベッドの外に出るのは許さなかった。何を言われたわけでもないが、ミユキが出る前に導線を塞ぐように座られれば言われなくても何となく分かる。
「何が、じゃないよ。体調。他のひといて本当に大丈夫なの?」
日本語だが一応声を落として耳元に顔を寄せささやく。最後のシーツからも解放され、ふうと息を吐いた。
「君は日本人か」
唐突にクリスが言った。壁に寄りかかったままなのでベッドの奥側からだと顔が見えない。少し身を乗り出そうとした瞬間、灰色の目を不機嫌そうに染めたオーリが片腕を動かした。ぐいと布団をミユキにかける。
「わぷ」
「だとしたらなんだ」
「訊いただけだ。日本の文化には興味があるのでね」
「ちょ、オーリ。何するの」
先ほど抜け出したばかりの布団から再び顔を出し抗議しようとした。が、それも叶わずまたばさりと布団をかけられる。勢いに押されて今度は倒れた。
「ぷ、」
「じっとしてて」
「いやどちらかというとしてるんですが…」
なんなんださっきから。辛うじて目だけ出すとなんだかとてもおもしろそうなものを見るような目でサムがこちらを見ていた。うっきうきだなこのひと。
「ひょっとしてお邪魔だったかしら?」
「そういうんじゃないんですけどね」
半分以上顔を布団に埋められたまま返すとくすくす笑顔を返された。そういうんじゃないのは確かだが体調のことを考えるとまあひとの目がない方がいいかもしれない。だがまああと三時間くらいしか乗らないし、仮眠を取りたいなら少し狭いが二人並んで横になれないこともない。何より資金を出しているオーリが許可したのだからミユキから言える何かがあるわけでもない。
「ごめんなさいね。絶対に寝台車を取るってクリスが譲らなくて」
その割にはクリスは立ったままだった。内心首を横に傾げる。
クリスに声をかけようと口を開いた瞬間、半分は脱出に成功していた顔にオーリが布団を引き上げた。視界は完全に薄暗い白に染まる。
抗議するより早くオーリが「少し休む」と告げてカーテンを閉める音がした。なんなんだ本当。布団の下でもぞもぞ動いて今度こそ顔を出したが、オーリは何も言わなかった。向き合うようにして横になる。
「どうしたのオーリ。変だよ」
「別に平気。布団被っといて。…出来れば寝てて」
「眠くないんだけど」
「寝て」
灰色の瞳が変わらずにじっと自分を見ていた。その眼を見て、何でと問いかけようとしたのをやめにする。小さく息を吐いて、諦めるというよりかは認めるようにしてもう考えないことにした。そういうものなんだろう、と。
薄暗い下の段の中、斜め上にあるその瞳をまっすぐに見上げる。
「なに」
「報酬希望」
「…はい」
オーリが顔を寄せて来たので間近でその色をじっと見た。
長い睫毛に縁取られた灰色とその奥の青色。何度見ても不思議な色だ。どこまでも深いその色がミユキのただの黒茶色の目を見つめ返す。
「…オーリの眼の色はお祖母さん譲り?」
「かな」
この不思議な色が二つもあるのか。見てみたい、という気持ちが顔に現れたのか少しだけオーリが笑った。
「家にいるよ。今は祖母さんしかいない」
お祖父さんはもう亡くなったのだっけ。両親は違うところに住んでいるのだろうか。訊ねていいものかと内心首を傾げる。
「…あと三時間か。まあ寝てればあっという間だろ」
「だから眠くない…」
「寝て」
「えええ…起きてたいんだけど」
「なんで?」
「国境越える時が見たい。あともうちょっとだよね? その時は出ちゃ駄目?」
ここまでくれば、なんとなくだがオーリが彼らとの接触ーーー特にクリスと接触させないようにしていることは分かった。何故だかは分からない。どうしてこのようなことになっているのかも。
だからこそ、駄目なようならあきらめる、と言外に含めそう訊ねると、先ほど小さく笑った顔のままやわらかい表情をしたオーリがくしゃくしゃと軽く頭を撫でた。
「いいよ。その時はラウンジに行こう」
「うん」
うれしくなって笑ってうなずくと、同じようにオーリも笑った。