君のための日常 4
しばらく経つと安定した寝息が聞こえてきた。なんだかんだ言いつつもやっぱり疲れているし、そして体調も本調子ではないらしい。
(…一度大きく体調を崩して、まだ回復し切れてないって感じかな)
空港で出会った時よりだいぶ顔色も良く元気そうに見えていたが、それでもまだまだ本調子とは程遠いのだろう。量は食べれても重たいがっつりとしたものは食べれない。
どこかで一度、しっかりと休息を取るべきじゃないだろうか。
(…いや)
そんなことは本人が百も承知のはずだーーーそれでも帰りたいと願っている。
だとしたらそれは捻じ曲げるものではない、はずだ。
(休みながら…休息を取りながらなら、無理ではない気が…する)
頭の中に地図を浮かべてみたが細かいところまでは分からず混乱するだけだった。メモとペンを取り出しかりかりと刻んで図に起こしてゆく。
日本からまず出国して、目的地とは隣の国へ。そこから急遽寄り道してオーロラの降るあの街へ。そこから都市に戻り、列車に乗って国境越え。いよいよ目的の国へと入国し、そこからフェリーや車を使って移動だと聞いている。
何となく感慨深くなった。家族がいる国へと結局は行くのに、誰にも会わないのだ。考えてみればその国でホテルに泊まるのもはじめてだ。いつも直接家に向かっていたから。ベッドサイドに一ドル札を置いておくんだっけ? あとでオーリに確認しなければ。
時計を見やる。あと数時間で国境越えだ。眠気はなくなり、高揚感だけが胸を満たし、ふは、と笑った。出来るなら、その瞬間を一緒に起きて感じたかった。
その願望は、思わぬ形で実現されることになる。スライドのドアがこんこん、とノックされ、ミユキは椅子に座ったままぽかんとそちらを眺めた。返事をするなりドアを開けるなりしなくてはならないと我に返ったのはそのドアが開けられてからだった。
「こんにちは」
鮮やかな金色の髪に、青の眼。にっこりと微笑む女性は、日本人の自分から見たせいなのか「自分」というものをしっかり持った自信に満ち溢れている女性に見えた。堂々としている、といえばいいか。
「相談があるのだが少し時間を割いてもらえるか」
棘はないがどこか皮肉めいた男の声。女性の背後に背の高い男性がいた。少し癖っ毛の黒髪に鳶色の瞳。鼻が高くとても折れやすそうに見えて何故だか少し焦った。
「英語は喋れるだろうか?」
「はい」
「この部屋の料金を払ってるのは彼かい」
「ええ、そうですが」
よく分からないが起こした方がいいだろうか、と思ったが声をかける前にぴくりと肩が動きオーリは上体を起こした。灰色の眼を二人の訪問者に向けた、瞬間。
一瞬でのびてきた手に腕を掴まれた。声を上げることも間に合わないまま引きずり込まれるようにしてベッドの上に放り込まれ、入れ替わりにオーリが飛び出す。
「…誰だ」
聞いたこともないような低い声で。敵対するように相手を見据えて、言った。
ミユキはそれをベッドの中からシーツや掛け布団に絡まりながら見ていた。驚きに声さえも出ない。こちらを庇うようにのばされた腕は完全にミユキに『これ以上出るな』と言っていて、警戒心を越えた臨戦体勢を見せる背中がそれを増長させる。…今まで見たことのない彼の姿だった。
「…敵意はない」
「本当よ。ただお願いがあって来たの」
オーリが臨戦態勢を取ったのと同時に、男性もまた相対したようだった。前にいたはずの女性を押し退け自分が前に出ている。あまり驚いていない女性が男性の肩越しに背伸びしてこちらを覗き込んでいる。
「…お願い?」
背中しか見えていないのでオーリがどんな顔をしているのか分からない。が、ほとんど唇を動かさずにが問い返したようだった。
「そう。…あのね、ベッドをひとつ譲ってもらえないかしら? もちろん、差額は払うわ」