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君のための日常 2


失礼な男が眠り静かになった部屋で流れていく景色をぼんやりと見つめていた。

何気なくその景色を視界に収めながらーーーああ、自分は今異国の地にいるのかと、急にそんな思いが胸の中を占めるようにして浮かんで来る。

異国の地。

日本では見ることの出来ない景色。

もちろん、逆もあるのだろう。けれどもどうしてか、自分にとって今住んでいる場所はとても狭いように感じた。

あふ、とあくびが漏れる。眠ったのは日本から立つ飛行機の中が最後だーーー考えてみれば丸一日以上起きていることになる。しかもあの時は座った状態だった。横になれる環境があるのだから使わなくてはもったいない。

音を立てないようにして梯子をよじ登った。一度認識するとどんどん眠気は大きくなってゆき、辛うじて布団に潜り込んだ瞬間、ぷつんと途切れるようにして意識が途切れた。




夢を見た。

昔の夢。

公園の片隅で血の繋がった父親が笑っている。母親も隣で微笑んでいる。自分の隣で少年もまた楽しそうにはしゃいでいる。

全員で頬張るピンク色のおにぎり。ふうわりと、風が頬を撫でてゆく。

ふと気が付くと、自分の袖口に薄桃色の花びらが一枚落ちていた。桜の花びらがたった一枚。辺りを見回しても、桜の木は青々とした葉を重たく茂らせ、淡い色合いの花を付けてはいなかった。

桜。桜…

視線を巡らす。

自分たち以外には無人の公園。

誰かを呼ぼうと、息を吸い込んだ。


「…ミユキ?」


はっと目を開けた。見覚えのないやたら近い天井にまだ起き切らない思考回路が混乱する。ーーーどこだ、ここ。

自分の下で何かが動く気配。下?

音もなく意識が覚醒した。飛び起きてベッドの下を覗き込む。

ベッドから這い出たオーリが椅子に突っ伏するように崩れ落ちていた。一気に血の気が引く。

「オーリ!」

梯子を使わず下に飛び降りた。着地して彼の体に触れる。肩を掴んで抱き起こすと、痩せていても男のひとらしくしっかりとした体がぐったりと凭れかかってきた。長めの前髪を掻き上げてその下の目を覗き込むと、のろのろと彷徨っていた視線がぶつかりミユキに焦点を合わせた。

「…ミユキ」

「オーリ、どうしたの。大丈夫?」

どことなく呆然としたような顔のままのオーリに気だけが焦る。滑らかな肌に薄っすらと滲んでいる汗を袖口で拭った。冷たく冷えていた。

オーリが大きく息を吐いた。瞬間、抱き起こしていたはずのミユキが逆に抱え込まれるようにして抱きすくめられる。驚きに漏れた声は抱え込まれた腕によってくぐもった音になった。

鼓動の早い心音。押し当てられた体から伝わるそれと、微かな震え。寒いの、だろうか。

「…よかった。いなくなったかと思った」

突然のことに固まったままでいると、ふいにオーリがそんなことを言った。余裕がないのか、苦しいくらいに強くミユキの体を抱きすくめたまま。

「…目、あけた、ら。ミユキがいなくて…呼んでも、返事、なくて…」

「…ごめんね。上の段で寝てた。ごめんね」

何が怖かったのか。何を恐れたのか。

きゅ、と抱きしめ返すようにするとオーリは耳元に顔を埋めた。触れる吐息は熱く、少しだけ擽ったい。

「…呼んでも返って来ないのは、さみしいし、怖いよね」

「ん…」

「ごめんね。ちゃんと返事するから。オーリが呼んだらちゃんと私は返事するから」

慰めになっているのかも分からない。それでも何かに急かされるような心地で一生懸命言葉を重ねると、耳元でこくりとオーリがうなずいて見せた。

「…ごめん、取り乱した」

ほんの少し間を置いてから、ゆっくりとオーリが腕から力を抜いた。身を離して顔を覗き込むと、少し疲れたような顔をしていたが落ち着きを取り戻した彼の顔があった。

「もう平気。大丈夫。…ありがと」

「ううん」

首を横に振る。ほっとしたそのままに微笑んで、視界の端に鈍く光るものに目を落とした。

オーリの腰に付けられた、真鍮色のカラビナに付けられた鍵とホイッスル。これもまた真鍮色をしていて、束ねられた革の紐が付いていた。首から下げられるようになっているのかもしれない。

「これ、なあに?」

首を傾げると、視線を追ったオーリが「ああ」とうなずきカラビナからそれを外した。束ねていた革紐も解き、ぷらん、とお互いの間にそれを下げて見せる。

「ホイッスル。子供の頃祖父さんからもらった。…アンティークで、百年くらい前のものなんだと」

「百年」

驚いてまじまじと見つめる。オーリが手を取って手のひらの上にそれを乗せてくれた。

「触っても大丈夫なの?」

「全然平気。普段首から下げてたし」

擦れたような細かい傷はあったが状態はとてもきれいだ。サイドに細かい刻印が刻まれていてとても美しい作品だった。

「中にコルクが入ってて、それで鳴るんだよ。…今作られてるホイッスルよりよっぽど鳴るんじゃないかな」

「へえ…」

感心してうなずく。腕をのばして、オーリの首にそれをかけた。胸元にさりげない光が落ちる。

「呼ぶんだってさ」

「え?」

「助けてほしい時、これで呼ぶんだぞって言って渡された」

思い出を辿るようにーーー胸元に落ちたホイッスルを掬い上げたオーリが言った。長い睫毛が目の下に細い影を落とす。

「だからあんまり鳴らしたことない」

「そっか…」

長い指先に包まれた真鍮を見つめる。少しだけ笑って顔を上げた。

「じゃあ笛の音がしても返事するね」

「うん。頼む」

「うん。頼まれた」

笑ってうなずくと、よかった、漸くオーリも笑ってくれた。

くしゃっと笑い、髪を掻き混ぜられる。…少しずつだが戻ってきてくれた『日常』に、こっそり安堵の息を吐いた。



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