ハロー、唄う飛行機 10
薄っすらと薄らいでゆく空。仰向けになってそれを視界いっぱいに眺めてーーーきゅう、と、毛布と防寒着の奥で身を縮めた。
「寒くないの」
「寒い」
ぱちぱちと小さな音を立てて燃える焚き火を横にしていても寒いものは寒い。最早鼻の下まで防寒着の中に隠れているので返事はもごもごとこもったものになった。まじまじとオーリがミユキを見下ろす。
「なあに?」
「いや、最早防寒着と喋ってる気分で」
「遠回しに小さいって言ってる?」
「結構ストレートに言ってる」
睨み上げる。それだけでは足りなかったので寝転んだマットの上を転がり脚に軽く体当たりした。
「だー。ちょっと退いて」
「やだ」
「お嬢さん。僕も座りたいのでスペースを空けてくださいませんか?」
足元からじとっとした目でわざとらしいほどの爽やかな笑みを見上げてそれから退いた。
「どーも」
「いや、なんか胡散臭くて」
「お前英語でも日本語でも言う時は言う奴なんだな」
えい、と上体を起こした。ダニエルはいない。飛行機を着水させたあと家に戻っていた。今ごろ眠っているだろう。
ソファーで仮眠を取るよう言われたが、結局夜が明けるまで外に置いたマットの上に横たわっていた。とんでもない防寒着と焚き火と何重もの毛布に包まれても寒いなんて自然はすごい。
かちかちと横で音がした。見ると手袋を外したオーリがくわえた煙草に火を付けようとしていた。が、手が震えていてなかなかライターは着火しない。悪戦苦闘している彼をしばらく眺め、その手からライターを抜き取った。一度で火を付け手で軽く覆って近付けてやる。一度瞬きしたオーリは顔を寄せ煙草に火を付けた。
「ありがと」
「いーえ」
薄明るくなってきた空に白い紫煙がゆうらりと立ち昇るのを見上げながら言う。少し笑って首を傾げた。
「ライターに嫌われてるの?」
「苦手なだけだよ」
「そう。じゃあわたしが付けてあげるよ」
声が少しだけ震えた。その震えを感じ取られたことも分かった。
煙草をくわえたオーリの顔を見つめる。
「善意じゃないんだ。やさしさなんかじゃ、ないんだ……。苦しくてどうにか楽に呼吸がしたくて、着いてきたんだ。オーリだから着いて来たんじゃないの。ごめんなさい。利用した」
自分のために。自分が楽になるために。
「うらやましかった、の。嘘がなかったから。わたしは、私はーーー大切にしたい気持ちに、嘘を吐くことしか出来ないから」
それを選んだことに後悔はない。詐欺師のように生きることを決めたことも、もう二度と会わないと決めたことも。
でも時折、どうしようもなく苦しくなる時がある。息が出来なくなる時がある。その気持ちを嘘で覆うことに、素直に両手を広げて受け入れられないことに。
それが酷く酷く羨ましい。ーーーあんなに必死になって帰れる場所が、自分には、もう。
わたしには、もうーーー
「それでも。ーーー一緒にいても、いい?」
遠くでまた、飛行機の唄。とっさに空を見上げてーーーいや。
白くなった空には、どこにも飛行機は浮かんでいなかった。
「ーーー当然」
煙草を持っていない手がのび、くしゃくしゃと頭を撫でた。視線を下ろす。
灰色と青色の深い眼が、自分を見て笑っていた。
「ミユキは俺の歩くつっかえ棒でライターなんだろ」
泣き出しそうには、ならなかった。
代わりにふは、と笑った。うれしくてうれしくてたまらなかった。
「うん。オーリのつっかえ棒で、ライターだよ」
あなたの帰りたいところに、わたしも行こう。
手を繋いで、転びそうな時には引っ張り上げて。
火を付けて路を照らし、少しでもあなたが歩きやすいように。
だからあなたは笑っていて。前を向いていて。
そんなあなたと一緒にいると、わたしは息がしやすくなる。