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ハロー、唄う飛行機 9


「俺の愛機だ! 乗ってくれ!」

「ありがとう」

梯子に足をかけ先に登った。座席は四つ程。本当に、個人で持つための飛行機のようだった。

その内の一つに腰掛ける。あとから乗り込んできたオーリが隣に座り、着膨れし思うように動けずシートベルトで手こずっていたミユキのベルトを止めた。

「今から唄うぞ」

「え?」

「こいつが息を吸うから」

楽しそうな色の奥に笑うことのない真剣さを滲ませてオーリは言った。思わず息を止めて彼を見てーーー湖面を揺るがすように轟いたエンジン音にはっと我に返る。

「さあ行くぞ! 急ごう、いつ終わるか分からねえものだからな!」

「なにをーーー」

ここからそのまま見えるコックピットのダニエルに声をかけたつもりだったが、轟音に掻き消されて届いたかどうかは分からなかった。首だけで振り返ったダニエルが親指を立ててから前を向く。すぃっと、体が一瞬滑らかに進むような感覚があって、それからまるで船の上のように体が揺れた。自分の知っている飛行機の振動とは違っていて思わず声を上げた。この音の渦の中でもオーリが隣で笑ったのが分かった。何かを言おうとして、その前に目の前に手袋を外した手が差し出される。

言葉は、何もなかった。だからこそミユキも何も言わなかった。同じように手袋を外しその手に触れる。

大きなあたたかい手が、ミユキの手を握った。

「さあ」

飛行機が力を孕むように速度を上げる。

「行くぞ」

ぐわん、と体に圧がかかりーーー体が宙に浮いた。違う。

空を飛んでいる。

湖の上を駆け抜ける。森を抜け、木々を越え、オールド・タウンもニュー・タウンも通ってきたダウンタウンさえも遥か彼方に取り残し、闇の夜の空が開け、

「……!」

一面の白が、視界いっぱいに広がった。

「最大レベルの5だ! すごいブレイクだぞ、お前ら幸運だ!」

コックピットからの歓声混じりの大声。現地のひとでさえ、このレベルはめずらしいのか。

黒を舞台に翻るように踊る薄衣のようなやわらかい白。裾に向かうほど緑がかり、そこに時折ピンクが縁取るように混じり合う。

夜の帷にどこまでも広がるオーロラ。はじめて眼にした、自然が織りなす幸運だった。

手を握りしめたままその幸運を見つめ呆然としていた。言葉にならない。説明出来ない。

今眼の前で全身で息をしているように大きくあるものがどれだけ素晴らしいものなのか、ここにいないひとたちにどうやったって伝えられない。

「なあ、ミユキ。それやめろ!」

「え?」

「どれだけ素晴らしかったって、飛行機は人間じゃない! 心はあるかもしれないけど、でも人間じゃない! 人間にはなれないし、人間だって飛行機にはなれない!」

隣にいるオーリが叫ぶ。そうでないと聞こえない。オーロラを前にして、彼の灰色と青色はまっすぐミユキを見据えていた。

「だから! うらやましいなんて思うな!」

大きく眼を見開いた。言葉にならない。息を止められる。ーーーどうして。

どうして、気付く。

「いいか! お前が選んだお前の選択が、どれほど息苦しいものでも! 辛いものでも! 自分が選んだものだから苦しんじゃいけないなんてことはないだろ! 残念なことに息苦しいくらいじゃひとは生きていけるんだ! 辛さは致命傷であっても致死量じゃねえんだ! 体は生きてけるんだよ、どれだけ中身が泣き叫んでようがな!

だからな、堪えることがどうしてもきついなら隠す必要はどこにもない! 苦しいことに罪悪感なんて覚えなくていい! 何かをうらやましがる必要なんてない! そんな自分を恥じて追い詰める必要もない! お前の心も体も死ぬ前に深呼吸してやれ! お前のために! そろそろさ、!」

強く強く、手が握りしめられる。

「そろそろさ、認めてやれよ! 助けを呼んでもいいんじゃないのか!」

大きな手が、自分の手を引く。

「っ……うあああああああああ!」

叫ぶ。滅茶苦茶に叫んで、叫んでーーー片手で顔を覆った。

眼の中が熱い。

けれど、頬は乾いたままだ。

気付いていた。気付かれていたーーーただの善意で同行を申し出たわけでないことを。

見知らぬ他人に手を貸すため異国の地まで着いて行くなんて、どんないいひとだよ。少なくても自分ではない。ミユキではない。

知らない、ひとだ。

そうだ。全くの赤の他人で、自分の人生に関わりのないひとでーーーだから?

それが理由、で? それだけが、理由で?

そんな理由でーーーきっかけを、手放すのか。

行きずりの他人。

見知らぬ誰か。

このひとは私を知らない。きっと別れたらそのあと一生会うことはない。

このひとの前でなら、私は嘘を吐く必要がない。

このひとの前でなら、私は詐欺師でなくていい。

このひとの前でなら、わたしは楽に呼吸が出来るかもしれないーーー

自分のことしか考えずに

自分のためだけに選んだ。

自分だけが救われる、偽善だった。

「ああああああ、あああ、うあ、うわあああああああああ!」

わたしの半身。

わたしたちの嘘を信じ心を砕く大切なひとたち。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

自分で選んだのに。

後悔なんてしてないのに。

もし同じことがまた起きたら、迷わずまた同じことをするのに。

それなのに。こんなにも、こんなにもわたしは息苦しい。

加害者の癖に。

被害者の如くーーー苦しんでいる。

許してほしくない。

認められたくない。

受け入れられたくない。

それでも、大きな手が、ミユキの手を引く。

「ーーーほら。聞こえるだろ。ーーー唄ってるだろ」

轟く轟音。自分の激痛みたいな悲鳴。音もなく奇蹟のように広がるオーロラ。

その奥にある。確かに聞こえる。

深く深く息を吸い込んで唄う、飛行機の唄が。

聞こえる。聞こえるよ。

眼を歪めて空を見据え、大きくうなずいた。

深呼吸して、唄ってる。



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