2.ファーストコンタクト
突然、父が死んだ。
この日、ここレクタリア王国では15歳の誕生日を迎えるカレン・ゲットルーデ・レクタリア王女を祝うため盛大なパーティーが執り行われ、王城内は国中から集まった大勢の貴族や位の高い騎士たちでごった返していた。
城下町の民衆も、今日ばかりは無礼講とばかりに仕事を早々に切り上げ、至るところで乾杯の音頭が聞こえてきている。
カレンはこの国の全てが大好きだった。公務や作法の訓練、教養を磨くための勉強などには毎日辟易としてはいたが、それも全く苦にはならなかった。
威厳に溢れ、この国のことを想い少しでも良くなるようにと日々激務に励む父と、それを懸命に支えようと常に側に寄り添う母。両親や臣民の期待に応えようと日々の自己鍛錬に余念のない兄。その王族一家に忠誠を尽くし、ともに国を盛り立てんと頑張る貴族や騎士たち。それらに支えられ、日々を忙しく、懸命に、そして楽しそうに生活しているこの国の民が大好きだった。
そんな大好きなみんなが、今日は自分のために着飾り、歌い、踊り、笑い、盛大に祝ってくれるというのだ。これ以上の幸福はなかった。
と、騎士の偉い人と楽しそうに談笑している父王の元に、西の国から来たという貴族が、自分の国で最も高価で美味い酒を献上しにきたと言いながら近づいていった。
大の酒好きで知られる父のレクタリア王は相好を崩しながら礼を言い、新たに用意されてきたグラスにその酒を注ぎ、本日何度目になるかわからない乾杯をした後、一息にそのグラスの中身を飲み干した。
「・・・・・・ぐっ!」
「陛下?」
突如苦しげに顔を歪めた国王を不審に思い、近くの騎士が手を差し伸ばした直後――
「ぐはぁっ!!」
「へ、陛下!?陛下ぁっ!!」
「あ、あなたぁ!」
突然大量に吐血して倒れる国王と、それを必死に支えようとする側付きの騎士。流血を見た王妃が悲鳴を上げ、その場にいた全員が突然の惨劇にパニックに陥る。
カレンは一体今目の前で何が起こっているのか全くわからなかった。だってついさっきまでみんな笑っていたのだ。
何も心配なことなど無い。何も不安なことなど無いというような顔で。みんなで笑い合っていたのだ。
わけがわからないまま、父の方へ歩いて行こうとした。途端に誰かに強く腕を引っ張られた。まだまだ現役でいけただろうに、自分はもう古い人間だからと早々に官職を引退し、もう10年以上もカレンや王子たちの教師として王宮に務めているギリアムである。
「なりませぬ姫。今不用意に動かれますと危険です」
「何?どういうこと?危険って・・・・・・いったい何が」
そこで新たに大きな悲鳴が上がる。護衛のために会場に詰めていた騎士たちの大半が剣を抜き放ち、倒れた王のもとへ詰め寄って取り囲む。
「あ、あなたたちだれか!早く!早く医者をここへ連れてきて!」
「黙れ」
あっさりと王妃は斬り捨てられた。
「他の王族のガキどもも始末しろ」
「はっ!」
命令を受けた騎士がこちらに近づいてくる。カレンは動くことすらできなかった。やがて目の前まで来た騎士が無表情に剣を振り上げ
「逃げろカレンッ!」
突き飛ばされた。
「に、兄さ・・・・・・」
「早く逃げろ!」
見ると兄は儀式用の刃のついていない剣で騎士の剣を受け止めていた。
「で、でも兄様は」
「いいから早く!俺達はここで死ぬわけには・・・・・・ギリアム卿!妹を頼みま・・・・・・ぐわぁっ!」
「いやああああああ!兄様あああああああ!!」
「姫様こちらでございます!お早く!」
「嫌っ!離してギリアム!兄様が!兄様があっ!」
必死に抵抗してもギリアムの力は意外と強く、振りほどくことはできなかった。
切りつけられ、素人目にも致命傷とわかる深手を負って倒れる兄。
本当に訳が分からなかった。父も、母も、兄も、まるでつい先程までの幸福が全て夢だったかのようにあっさりと。本当にあっさりと死んでしまって。
ああ、それともこれは夢なのだろうか。本当は先程までの幸福こそが現実で、本当の自分はきっとパーティーの最中に疲れて眠ってしまったのだ。目を覚ませばきっと、また今まで通りの平和で素敵な世界が自分を待っているのだ。
だから、目を覚まそう。目を覚まして、みんなにおはようって言いに行こう。そしてみんなの笑顔に触れて、こんな悪趣味な夢のことなんかさっさと忘れてしまおう。
そうすれば・・・・・・もう二度とこんな――
◆◆◆
「・・・・・・」
意識を取り戻したカレンの目に写ったのは、粗い岩肌の露出した天井だった。
「おっ、目ぇ覚めたか」
知らない若い男の人の声。
地面も硬いし、毛布も今まで使っていた心地の良い上質なものとはかけ離れている。
つまり自分は今、全然知らないところにいるわけで。
全然知らないところにいるということはつまり――
「・・・・・・泣いてんのか?」
男の人の、やや気遣わしげな言葉で気づいた。自分は泣いているのだ。あの、大勢の騎士たちに囲まれ、今にも殺されそうだった時にも泣かなかった自分が。
「まぁ、何があったかはわかんないけど。もう暫く休んでろ。すぐにメシの用意ができるから、落ち着いたら声かけてくれ。俺はそこにいるから」
そういうと男は少し離れたところにある焚き火の所へと歩いて行った。軽く見渡してみると、どうやらここは洞窟のようなところらしい。
生き延びてしまった。自分一人だけが。
両親は目の前で殺され、兄も自分をかばって死んだ。自分を連れて逃げ出してくれたギリアムは、一緒についてきてくれた護衛の兵士達とともに自分を逃がすための囮になってくれた。
本来ならばあの時自分も死ぬべきだったのだ。両親や兄が殺されたお城で。あるいは、崖の上でバートランたちに囲まれた時に。それを、惨めったらしくものうのうと生き残りあまつさえ――
あまつさえ・・・・・・・。
安堵してしまったのだ。
目を覚まし、自分がまだ生きていることを自覚した瞬間、ほっとしたのだ。死ななくて済んだことに。
最低だった。最悪だった。何が王族だ。こんな、自分から命を断つほどの覚悟もなく、それどころか助かって安堵してしまっている下劣で浅ましい自分の思考が嫌で嫌でたまらなかった。
だから、泣いた。
こんな自分に生きている価値などない。
「・・・・・・?」
ないはずだが。そうなるとこの状況はなんだろう。
考えられるものとしては、先ほどの若い男が助けてくれたというのが妥当なところなのだろうが、彼は一体何者なのだろう。一体何が目的で自分を助けたりなんか・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・」
妙なことでもされたのではないかとふと不安になり体のあちこちを確かめてみる。暗い森の中を全力疾走していたせいで体の至るとこに擦り傷はあったが、新たに傷が増えたようなところもなかっ・・・・・・
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
「んあ!?なんだどうした!?魔物か!?」
「この変態やろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「へ?うおっ危ねえ!いきなり石投げんじゃねえよバカ!」
「うるさいわね!なんであたし裸なのよこのスケベ!変態!何かイヤラシイことでもしたんでしょう!」
「はあ!?だっておま、川から流されてきて全身ずぶ濡れだったんだぞ!ほっとけば風邪引くだろうが!」
「だからって何勝手に人の服全部脱がしてくれちゃってんのよ!!」
「全部じゃねーよちゃんと下着はそのままにしてあんだろうが!!」
「ししし下着だけ残しておきゃいいってもんじゃないでしょうが!これじゃ裸と何も変わらないじゃない!あたしの服はどこにやったのよ!!」
「おめーの服なら向こうの焚き火の近くで乾かしてあるよ!ちょっとそこで待ってろ取ってくるから!」
ったくなんなんだよあいつ恩人に向かって石投げやがってとかなんとかブツブツ言いながら男が焚き火の近くに干してある見覚えのある服を持ってくる。
「ほらよ」
「そこに置いて。置いたら奥へ行ってあっち向いてて」
「・・・・・・はぁー。はいはい」
奥へ行き、男が律儀にあっち向いて座るところを確認してから服を着・・・・・・ようとして固まる。
(ど、どうしよう・・・・・・どうやって着るんだろう・・・・・・・コレ)
「おーい。まだかー?」
「ま、まだよっ!まだあっち向いてなさい!」
(くっ、考えてても仕方ないわ。今までは全部侍女にやってもらってたけど、ここにはいないわけだし・・・・・・)
恐る恐る服を手に取り、どのように着せてもらっていたかを思い出しながら着ていく。
「おーーーい」
「う、うるさいわね!もうちょっとよっ!」
(た、確かここをこうして・・・・・・これを、こう。んでここを・・・・・・うわわっ!)
ドスン!
コケた。
「だいじょうぶかー?」
「だ、黙ってなさいっ!」
転んだままの状態で足を通し、その他のところも着付けていく。そして・・・・・・
「もう、いいわよ・・・・・・」
「はぁ。やっと着終わっ・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・あー・・・・・・・」
「黙りなさい。何も言わないで」
めっちゃちぐはぐだった。もうほんと、むしろ一体どうすりゃそんなとこから腕生えんのとか、何があったらそっから足が飛び出してくんのとか、色々突っ込みたいところは多々あれど。とにかくそんな格好のままでは落ち着いて話をするのもままならない。変すぎて。
「あー・・・・・・一つ確認しておきたいんだけど」
「何よ」
「あんた。自分が川から流されてきたっていう自覚はあるかい?」
聞かれるまでもない。何せ自分から望んで飛び込んだのだから。
「あるわ」
「んじゃ、ヘタしたらそこで溺れ死んでいたかもしれないわけだ」
そこでこの男の言いたいことをある程度悟る。
なんだ、なんのかんの言いながら所詮この男も獣でしかない。命を助けてやった代わりに対価を差し出せとでも言うつもりなのだろう。そしてその対価は・・・・・・
「つまり俺はあんたの命の恩人なわけだ」
ほら来た。
「そうなるのかしらね。それで?」
「なぁに。ちょっとばっかし俺の頼みを聞いてくれるだけでいいんだ。ほんのちょっとばかりな」
「・・・・・・いいわ。じゃあ後でお話聞いてあげ」
「いやぁ今じゃないと意味ないんだなコレが。ほんと悪いんだけどさ。今すぐに、ちょっと頼むわ」
どうやら逃してくれる気はなさそうだ。仕方ない。ひとまずは言うことを聞いてやろう。ただしこの体に指一本でも触れたら即刻殺してやる!
「・・・・・・わかった。それで?あたしは何をすればいいの?」
「おっ、やっと話を聞いてくれるきになったかー。助かるわー」
「いいから。早くその頼みとやらの内容を言いなさい」
「了解。んじゃ、後ろを向いて両腕を左右に広げ、そのままの状態で目を瞑っててもらえるかな」
「え?そんな状態で何しようって」
「いいから!早く早く!」
「わ、わかったわよ・・・・・・」
言われたとおり後ろを向き、両腕を左右に広げて目を閉じる。しかしこの状態で一体何をしようというのだろう。
「んじゃ始めるぞー。ああ、極力体の方には触れないようにするからあんま緊張すんなよー」
そういうと男は先ほどカレンがちぐはぐに来た服を脱がし始めた。思わず講義しようとしたが、曲がりなりにも命の恩人の頼みということでぐっと我慢する。その手つきは以外に繊細で、言ったとおり本当に極力肌に触れないように注意してくれているようにも感じられた。
「ほい、交互に足上げて」
「ちょっと、頼み事は一つじゃ」
「いいからいいから。これも頼み事の内容のうちなんだから」
「・・・・・・」
仕方なく足を交互にあげる。その後今度は脱がせた服を着せ始めてきた。
(え?あ、あれ・・・・・?)
このまま裸にでもされるものだと思っていたカレンは全くの予想外な展開に思いっきり戸惑った。それになんか、違和感がない。男が服を着付けていく手順も随分とテキパキしていて、まるで宮廷の侍女に着つけてもらっているみたいな・・・・・・
「ほい終了。もう目を開けていいぞ」
「・・・・・・」
完璧に着付けられていた。むしろ、宮廷の侍女に着付けてもらってた時よりも動きやすいような・・・・・・
(・・・・・・・・全裸にしてイヤラシイことするんじゃなかったの?)
そう思いながら、頭に浮かんだ卑猥な妄想を振り払う。
「あれ?おまえ顔赤いぞ。もしかして熱でもあるんじゃ」
「ななな何でもないわ!大丈夫!意識もはっきりしてるし!」
「そか?まあ体調悪くなったらすぐに言えよ。さて、いい加減そろそろメシにしようぜ。あんたも腹減ってんだろ?」
「え?ええ。まあ・・・・・・」
「んじゃこっちおいで。今日は良い肉が手に入ったんだ。ゴチソウだぞ~」
「あ、あの・・・・・・ちょっと!」
「ん?」
さっさと歩き出して行こうとする男を呼び止める。この服を着せてもらった礼を言おうとして、そういえばまだ助けてもらったお礼すら言っていなかったことを思い出す。
「どした~?」
しかし、なんというか・・・・・・その・・・・・・
「あ・・・・・・その、えっと・・・・・・な、名前!」
素直に礼を言うのは憚られた。
「へ?んなの別に飯食いながらでも」
「い、今!今聞いておきたいの。アンタの名前!」
何故ならこいつは。この男は見たのだ。無断で。誰の許しもなく。
「・・・・・・フム」
私の・・・・・・裸を・・・・・・!
「まあ、いいけど」
そう言ってこちらに向き直り、手を差し伸べながら男は名乗った。
「ユーマだ。ただのユーマ。性は無い。よろしくな」
そう名乗った若い男の目を改めて見る。この辺りでは見かけない黒髪黒目だ。この国の人間ではないのだろうか。名前に性が無いということは平民なのだろうが・・・・・・。それに、この国の人間ならだいたいは知っているであろうカレンのことも誰だかわかっていないようだった。
初めて出会うタイプの男を前に、カレンはただ、不思議な光を湛えた男の瞳を見つめ返すことしか出来なかった。






