救出
決行の日。アイネアスは部族の男たちを率いて東西に長く延びるウィアーテ街道を見下ろせる南の高台にいた。彼らは既にウィアーテ街道がマキツキ街道と合流する隘路の出口から、半ゲリア(約四百メートル)に渡って崖の上から大小の岩を転がしている。人の通行が出来ないほどではないが、兵士が隊列を整えて往来することは出来ず、マキツキ街道に合流する最後の半ゲリア(約四百メートル)は進むのに難渋するだろう。
一方、クセノフォンは部族の男たちを率いてウィアーテ街道を挟んで北の高台から、街道を行き交う人々を眺められる位置にいて、木々の間に身を潜めて第二の狼煙を上げるのを待っていた。フローイ兵が彼らに気づかずに通り過ぎてから、木々の間を抜けて緩斜面を駆け下れば、フローイ軍の隊列を後方から奇襲することもできる。
フローイ兵たちはダミアノスの集落を襲って焼き払った後、捕らえたギリシャ人たちを近くのメシニの砦に連行したという。メシニの砦からギリシャ人を連行して都カイーキへと向かうとなれば、初日の宿泊地をウィディスの町に選ぶはずで、彼らは早朝にメシニの砦を発ち、クセノフォンたちが待ち受ける場所を通るのは、日が中点にさしかかる前だろう。
クセノフォンが崖下に見下ろす光景はロユラスの予言通りになった。
【兵が百五十ばかり。その兵を捕虜の前後に分けて配置してくる】
ロユラスが旧都ランロイでリーミルと会話を交わしていた頃、山賊討伐の新たな兵を動員する気配はなかった。なによりそんな兵の余裕があれば、シュレーブ国内で戦っている味方の増援に回すだろう。
しかし、目障りな山賊たちを放置することもできない。となれば、各関所に配備されている兵を抽出して使う。その兵の動員力など、各所の関所の兵士を集めても二百に満たないということである。
クセノフォンが眺めた光景は、前衛の兵士が百。後ろ手に縛られ数珠つなぎになった女子ども老人を含めたギリシャ人たちが五十人ほど続き、後衛の兵士が五十というところである。隊列の行き足が明らかに鈍ったのは、隊列の先頭が街道の岩だらけの部分にさしかかったからだろう。前方から兵士が一人駆けてきて、前方の異変を告げる様子から、後方にいた指揮官の存在が知れた。既にアイネアスたちが上げた第一の狼煙で、指揮官も前方に何かの異変を悟っただろう。
【さぁ、奴らを驚かせてやれっ】
クセノフォンはそう叫ぶように命じて、二十人ほどの仲間の男たちと共に緩斜面を駆け下って行った。フローイ兵士の隊列の後方を襲う位置である。
驚かせてやれと言ったクセノフォンだったが、街道上に姿を見せた彼らの姿に、フローイ兵の指揮官ネルゲルはほくそ笑んだかも知れない。もともと、捕虜を囮にしてギリシャ人たちをおびき寄せて殲滅するつもりでいた。
指揮官ネルゲルは後方の部隊を直接指揮する小隊長に命じた。
「ラッグズよ。兵五十を率いて、あの蛮族どもを殲滅してこい」
ラッグズと呼ばれた小隊長は、自信満々でニヤリと笑って剣を抜いて兵士たちに叫んだ。
「見ろ。山賊どもはお前たちの姿に怯えているぞ」
山賊たちは錆びかけた長剣や棍棒などを振り回し、意味の分からない蛮族の言葉で罵声を発してフローイ兵を挑発しているが、その距離を縮めようとはしない。当然だと言える。こちらは完全武装で戦闘訓練を積んだ兵士が五十。相手は貧弱な武器しか持たない山賊たちである。戦う前から勝敗は決しているようなものだ。そんな絶好の獲物が、兵士たちから百歩駆けただけの距離に居る。
「奴らを皆殺しにするぞ」
指揮官ラッグスの命令と共に、フローイ兵五十が一斉に剣を抜き、歓声を上げてクセノフォンたちに挑みかかってきた。
クセノフォンはその数の多さに驚き慌てるふりをして笑顔を隠して叫んだ。
【ずらかれ!】
クセノフォンの仲間は斜面を駆け上って逃げ始めた。勢いづいたフローイ兵たちは、逃げたギリシャ人たちを追うしかない。
元いた場所に駆け戻ったクセノフォンは、後方から追ってくるフローイ兵の怒号を聞きながら、焚き火の薪の一本を狼煙の薪に投げ込んで点火した。この狼煙で、他の仲間はクセノフォンが後方の兵士たちを山中に引きずり込んだことを知るはずだ。
【さて、ここから先は、命がけの鬼ごっこだぜ】
もとより戦う気は無い。追ってくるフローイ兵につかず離れず山奥へと引きずり込んで迷わせるのである。
一方、後衛の兵士たちにクセノフォンたちを追わせたフローイ軍指揮官ネルゲルは、前方の様子も確認せねばならない。彼は前方の様子を伝えに来た伝令の兵士に命じた。
「私は前衛を見に行く。お前も一緒に来い」
同じ頃、街道を挟んで向かい側の高台に居るアイネアスたちがクセノフォンが上げた第二の狼煙に気づいた。
【今度は俺たちがもてなす番だぜ】
アイネアスたちは弓を手にして木々の間から姿を見せて、崖と呼んで良いほどの急な斜面に並んで街道を見下ろした。岩が転がる街道の出口を目前にし、出口での待ち伏せを警戒して停止した百人ばかりのフローイ兵の隊列と、その後ろに縛られて連行されるギリシャ人捕虜の姿がよく見えていた。
アイネアスが最初の矢を放つのに合わせて、仲間もまた矢を放った。二十数本の矢がフローイ兵たちに降り注ぐようだった。ただ、命中はしない。崖の縁に立って真下を狙うかのような姿勢で、敵兵をしっかりと狙うことは難しい。
しかし、ロユラスは彼らに語っていた。
【奴らに命の危険があると教えてやるだけで良い。むしろ、敵を負傷させて、足止めすると困るのよ】と。
そんな事情も知らないまま、街道の上では、指揮官ネルゲルが崖の上から降り注ぐ矢に危機感を募らせていた。垂直に近い斜面を駆け上ってギリシャ人たちを討ち取ることはかなわず、敵からのみ見晴らしが良く、こちらは身を隠すことも難しい狭い街道でできる事は一刻も早くこの危険な場所から抜け出すことである。
「急ぎマキツキ街道へ移動するぞ」
「捕虜たちはどうするので?」
「ええい。崖の上の蛮族も崖を下って捕虜を連れ去ることはできまい。捕虜を繋ぐ縄の端をその辺りの樹に結びつけておけ。後から戻ってもう一度捕らえれば良い。さぁ、急げ。ここに居ては我らが危うい」
同じ頃、ロユラスはウィアーテ街道とマキツキ街道の合流点から少し離れた岩に腰掛けて事の成り行きを見守っていた。そんなロユラスの足下に、矢の先に長い布きれを付けた矢が二度とんできて彼を喜ばせた。
アイネアスから放たれた合図の矢が一本なら、フローイ兵が移動し始めた合図。二本目の矢はフローイ兵が捕虜を街道に残してマキツキ街道に出てくるという合図である。
フローイ兵が捕虜を降り注ぐ矢の盾にしてマキツキ街道に出てくれば、兵士と捕虜を分けるためにもう一工夫しなければならないと考えていたが、フローイ軍の指揮官はその最後の手間を省く判断をしてくれたと言うことである。
彼はつぶやくように言った。
「さて、あとはリーミル様の力をお借りするとしよう」
指揮官ネルギルは、危険地帯を無事に抜け出したことに安堵して、兵士たちに隊列を組みなおさせながら考えていた。
(いつもと何かが違う。気をつけなければ)と。
今までは山賊どもも商人を襲うだけ。今回は武装した兵士に襲いかかってきた。その数も街道に降りてくる気配をみせた男たちや、崖の上にいた男たちを合わせれば百人に及ぶだろう。いくつもの部族がまとまって行動していると言うことである。
フローイ兵たちが一息つくタイミングで、一人の商人姿の男が指揮官に駆け寄ってきた。ロユラスである。
彼は長い道のりをかけ続けたかのように息を切らせながら叫ぶように言った。
「隊長様。隊長様。大変です」
「何事だっ」
指揮官ネルゲルの苛立ちのこもった問いに、ロユラスは周囲の兵たちにも聞こえるほどの大声で答えた。
「ランロイが数百の反乱奴隷どもに襲われ、リーミル様ご自身が防戦の指揮を執っておられます」
「なんだと」
「兵の余裕が無くランロイも陥落寸前。リーミル様は各所の関所の兵たちに、至急ランロイへの移動をせよとの命令を伝えよと」
「しかし、リーミル様はどうしてお前のようなものに使いを託されたというのだ」
「フローイ国全土で兵士や奴隷たちの叛乱が起きているなら、兵士の姿の伝令では危ない。むしろ私のような商人に使いを託す方が良いと仰いました。あの騒動の中では、今やリーミル様のお命も危険にさらされているのではないかと」
「嘘ではないだろうな」
「その証拠にリーミル様はこれを私に託されました」
ロユラスが懐から取り出して見せたのはリーミルの髪飾りである。一介の商人が持つ持ち物ではなく、フローイ王家の紋章も入っている。普段なら、一介の商人に命令を伝えさせると言うことに疑問を抱いたかも知れないが、今までに経験がないほど多数の山賊に襲われた直後で、この街道でそれほどの数の山賊に襲われるなら、ランロイを襲ったのはどれほどの数の山賊だろうという不安の混じった責任感がわき上がる。
指揮官ネルゲルは決断し一人の兵に命じた。
「私はランロイへ向かう。お前は山に入ったラッグスと兵が戻り次第、捕虜を連れて追従しろと伝えよ」
彼は隊列を整え終わった兵士たちに向き直って叫んだ。
「急げ。リーミル様の身が危うい」
ロユラスから漏れ聞こえるランロイの危機の情報に緊張していた兵士たちの表情にも緊張感がうかがえる。彼らが去って行く後ろ姿を眺めてロユラスは同情した。あの駆け足のような速度ではそのうちに息も続かなくなるのではないか。ただ、そんな姿に兵士たちのリーミルへの忠誠心がにじみ出していた。
ロユラスが振り返って眺めた連絡のために残された兵士の心配そうな表情にもその忠誠心がうかがえる。ロユラスはそっとその連絡役の兵士の背後に回ると腕を回してその首を締め上げて気を失わせた。
「余計な心配はしなくて良い。暫く眠っていろ」
ロユラスは森に向けて大きく合図の手を振った。森から出てきたのはアイネアスを筆頭に、彼の部族の者たちである。ロユラスは街道の奥を指さして言った。
【早くして】
街道にいる仲間を救出しろと言うのである。ここを去った兵士たちも、ランロイまでは行くまい。南へと急ぎながら、街道上で北に向かう商人か誰かに出会うに違いない。出会った者に事情を聞けば、騙されたことに気づいて戻ってくるだろう。クセノフォンたちが山中で迷わせたフローイ兵も戻ってくる。それまでの間に、事を終わらせねばならないのである。
ロユラスは白い手ぬぐいを取り出してメッセージを書き付けた。
リーミル様
ありがとうございます。
お借りした髪飾りはとても役に立ちました。
用は済みましたので、お返しいたします。
ロユラス
その布に髪飾りを包んで、気絶した兵士の手に握らせた。別に誰かを愚弄する気はなく、ロユラスの好意である。捕虜を移送しろと言う任務を放棄したあの指揮官も、この手紙と髪飾りがあれば、騙されたのもやむを得ないと判断されて処罰されることはないだろう。ただ、任務放棄の理由が自分にあることを知ったら、リーミルはさぞかし怒り狂うだろう。
(次に会うまでに、怒りを解いておいてくれればよいが)
ロユラスは密かに真面目にそう思った。
アイアネスたちが捕虜の縄を解き、怪我人や幼い者たちに手を貸しながら戻ってきた。兵士たちが戻ってくるため、直ぐに出発せねばならない。しかし、今ロユラスたちが居るマキツキ街道も、南にはランロイに向かったフローイ兵がおり、北にはメスナルの砦があってフローイ兵が詰めている。西のウィアーテ街道はクセノフォンたちが岩で道を封鎖し、彼らを追ったフローイ兵もいる。そして、街道から山へと入りアイネアスの集落に続く道はあっても、細く、険しく、遠い。
体力のない子どもや老人、怪我人を連れて行けば、戻ってきた兵士たちに追いつかれて、皆殺しにされるだろう。救出された者たちに笑顔がないのはそういう行き詰まった状況にいる事を知っているからである。




