クセノフォン
この日、日が暮れても続く宴の最中に、もう一つの出来事が起きた。宴の席に一人の若者が駆け込んできたのである。宴に加わらず山の麓でフローイ兵の襲来を警戒していた者たちの一人である。彼は叫んだ。
【クセノフォンの奴らが攻めてきた!】
宴から笑顔が消えた。
【クセノフォン?】
ロユラスがそう首を傾げたのは、その名にギリシャ風の雰囲気を感じ取ったからである。攻めてきた者がフローイ軍ならともかく、ギリシャ人同士の小競り合いでもあるということか。ヴァレリアがロユラスに事情を説明した。
【私たちを下僕にしたがってる奴らよ。私とマカリオスがフローイ兵どもに捕まっていたのは、水くみ場で奴らの手下に見つかって、追いかけ回されている時なのよ】
マカリオスが母の言葉を補った。
【俺たちを人質にして、父に配下になれと迫るつもりだったんだ】
【その手下も捕まって……私たちより先に火あぶりになったというわけ】
【気がついたら、兵士に包囲されていて逃げ場がなかったんだ】
二人の説明にロユラスはさらに首を傾げた
【そのクセノフォンが何の用だろう……】
ロユラスがそう呟いた時、闇の木々の合間に男の声が響き渡った。闇にとけ込んで姿は見えないが、声が大きい人物だと言うことは確かである。
【アイネアス。とうとうフローイの野蛮人共に、魂まで売りやがったか】
声の主はクセノフォンに違いなかった。この集落のリーダーのアイネアスが怒鳴り返した。
【どういうことだ?】
【しらばっくれるんじゃねぇ。俺の仲間を二人も兵隊に売り渡しやがって】
クセノフォンの叫びにマカリオスが怒鳴り返した。
【父さんがそんなことするもんか。お前たちの仲間は自分で兵士に捕まったんだよ】
【ガキが。このクセノフォン様を騙すつもりなら、もっと上手い嘘をつくんだな】
【嘘じゃないよ。私とマカリオスを追っかけるのに夢中になっている内に兵隊に捕まっちまったのさ。おかげで、私たちも良い迷惑さね】
【その声は、ヴァレリアだな。さては、お前がアイアネスをそそのかして、フローイの蛮族にすりよりやがったか】
【俺の女房を侮辱するのかっ】
アイアネスのそんな怒鳴り声が響いた辺りで、ロユラスにもやや事情が飲み込めてきた。クセノフォンは仲間がフローイ兵に捕らえられて火あぶりになったいきさつについてはよく知らないらしい。彼が部下に命じてヴァレリア母子を襲わせたわけではないらしい。たまたま水場に姿を見せた母子の姿を見つけたクセノフォンの配下の者が、彼のの歓心を買おうと二人を襲ったに違いない。争いに夢中になっている彼らに気づかれずにフローイ兵が、その逃げ道を遮断して捕らえた。
しかし、この会話のすれ違いを聞けば、クセノフォンは頑固で、母子の言葉に耳を傾ける気はないらしい。闇のあちこちでクセノフォンの声に呼応する者どもの声を聞けば五十人はいるだろう。時折、彼らが手にした剣が、集落の焚き火の灯りを反射して輝く。アイアネスの仲間たちも敵に備えるように剣を構えていた。
(やれやれ、思わぬ事態に)
このままでは、この二つのグループは意味もない殺し合いを始めるだろう。ロユラスは商売道具が入った袋を手にして、ここは任せろとでも言うようにアイアネスに頷いて見せて進み出た。
【ここは一つ、お近づきの印にいかがでしょう】
ロユラスは流ちょうなギリシャ語でそう語りながら袋から腕輪を取り出して見せた。アトランティス人の承認が客に商品を勧める姿である。姿はアトランティス人だが、話した言葉は流ちょうなギリシャ語。その違和感にクセノフォンは戸惑った。ロユラスは武器は携えず、クセノフォンたちへの敵意も感じさせない。
【どうです。光にかざすと美しい】
ロユラスがそう言いながら、クセノフォンが手にする松明の光に腕輪をかざして見せた。確かに、腕輪に彫り込まれた微細な模様が光に映えて美しい。
【そうそう、こんなものも】
ロユラスは腕輪をずしりと重そうな革袋に仕舞い込み、替わりにリーミルの髪飾りを取り出した。髪に挿すピンが尖ってきらりと輝いたが、クセノフォンの目を引いたのは、その反対側の飾り部分のデザインがフローイ王家の紋を模っていたことである。
クセノフォンが髪飾りに興味を示した時、ロユラスとの距離は、既に腕を伸ばせば届くほどに詰まっていた。ロユラスは身を翻すように距離を縮め、クセノフォンの背後に回って太い左腕で彼の首を締め上げた。右手にある髪飾りの尖った方を彼ののど元に当てて言った。ロユラスがもう少しその角度を変えて力を込めれば、クセノフォンの喉を容易に刺し貫くことが出来るだろう。
【もっと明るいところで、落ち着いて話をしたいんだけど】
【この腐れ商人が、何をしやがる】
【汚い言葉は嫌いよ】
首領の危機と見たクセノフォンの仲間が駆け寄って来るのが見えたため、ロユラスはクセノフォンののど元を髪飾りでちくちくと陰湿に刺激して警告を与えた。
【貴男の命の安全は保証するわ。話し合いがしたいだけだから、仲間の人たちには帰ってもらえないかしら】
【誰が、てめぇの命令なんか!!】
【あーら。話し合いがしたいだけなのに。私が怖いの?】
ロユラスの声が大きく、クセノフォンの仲間にまで届く。
【なんだとっ】
【貴男は、仲間が居なけりゃ、話し合いも出来ない臆病さんなの?】
仲間の前でそう問われると、クセノフォンも男としての誇りが傷つきかねない。彼は闇の中ら姿を現し始めている仲間に怒鳴った。
【よぉーし。てめえらは帰れ。俺は一人でこいつらと話を付けて戻る】
【良い子ね。貴男の仲間も聞き分けが良さそう】
ロユラスがそう言ったとおり、クセノフォンの仲間たちの手で煌めいて見えた刃物の輝きは消え、彼らの姿も気配も闇の中に溶けるように失せた。もちろん、帰っては居ないだろう。辺りに姿を隠して、こちらの様子をうかがっているはずだった。
ロユラスはクセノフォンを手際よく縛り上げ、文句を言いかける彼の口に干し無花果を一つ押し込み、布で彼の口を覆い縛って聞きたくもない罵声を封じた。
【まあ、無花果でも食べていてちょうだい】
ロユラスはそう言いながら、クセノフォンを縛ったロープの一端をマカリオスに手渡した。
【コレ、どうするんだい?】
マカリオスの問いに、ロユラスは肩をすくめて、焚き火に近い位置にある大木を指さした。あの明るい位置なら、隠れ潜んでいるクセノフォンの仲間にも彼の姿がよく見え、リーダーが傷つけられていないことを知った仲間もほっとするだろう。
【とりあえず、今は冷静に話せる気分じゃなさそう。明日の朝まであの樹の側で頭を冷やしてもらったら?】
ロユラスは呟くようにそう言った。マカリオスは面白そうに言葉にも声にも成らない罵声を発し続けているクセノフォンを引っ張っていって樹につなぎ止めた。アイアネスの集落の者たちは、ロユラスの手際の良さを感心しながら見守っていた
しかし、この頑固な男にどうやって事情を理解させるか。ロユラスにその算段もつかないうちに、新たな客が血相を変えて現れた。クセノフォンの仲間かと思ったがそうではない。現れた男はダミアノスと名乗った。
ロユラスはこの集落の慌ただしさに文句でも言うように眉を顰めて言った。
【いつも、こんなに賑やかなの?】
【いいえ。貴男が来てからよ。貴男には森の悪霊とやらでも憑いてるのかしらね】
そんなヴァレリアの笑顔も、ダミアノスの話を聞いて豹変した。




