表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/491

母子の逃亡奴隷

 山賊に出会うという目的は果たせない不満顔のまま、ロユラスはこの日の早朝に街道沿いの小さな宿場町を発った。マキツキの関所を通り抜ければ、夕刻にはセイタルの港町が見えてくるだろう。しかし、ロユラスは意外な形で山賊と遭遇した。関所前の街道の両側に兵士たちの宿舎が建ち並んでいる。そこに、丸太で組んだ人の背丈ほどの高さの檻があった。囚人を入れておくための物で、事実、その小さな檻の中に年配の女と年若い男の姿が窮屈そうに詰め込まれていた。

(なるほど)

 ロユラスが頷いたのは檻の中の囚人の衣服のことである。アトランティス人の物ではない。ただ、奴隷が身につける粗末な腰布姿でもなかった。山賊を生業にしていたかどうかは分からないが、鉱山から逃亡した奴隷が長く山の中で暮らしていた様子がうかがえた。

 そしてロユラスが眉を顰めたのは、その檻の近くにある焼け残った檻の残骸と、その中にあった黒こげの二体の死体である。ロユラスは状況を察した。逃亡奴隷は見せしめのために残酷な方法で処刑されるのが常だった。そして、それがアトランティスの人々を襲う山賊であった場合はなおさらである。処刑は火あぶりと決められていた。フローイでは罪人を入れた檻の周囲に薪を積んで火を付けるという方法をとる。檻の中でもがきながら焼け死んでゆく罪人の姿を人々に見せるのである。

 そして、捕らえた罪人を檻に入れて人々の目に晒しておくというのもフローイで良く行われる方法だった。これから殺害する罪人を晒しながら、罪人を救出に来る別の関係者を捕らえる囮に使うのである。女と若い男が捕らえられて檻に入れられ、それを救出に来た者たちが捕らわれて先に処刑されたのかとロユラスは結論した。

 不思議なのは、罪人を町へ運んで町の中央の広場で処刑するのが通例のはずだ。ここのように、通行人しかいない場所で処刑が行われるのは珍しい。しかし、ロユラスは周囲を眺めて納得した。砦を守る兵士の数に余裕がない。この罪人をランロイなど最寄りの町に運ぶには、数日の日程と、五、六人の兵士と人足を必要とするだろう。この砦にはそのような人手の余裕はなく、邪魔になる罪人をここで処刑したと言うことである。

 あの女と若者もここで焼き殺される運命だろう。

(哀れだが)

 ロユラスはそう呟いた。奴隷や山賊と会いたいと考えていたが、あのような囚人と関わり合いになるのは危険が大きすぎる。何より、何とかしてやりたいと思っても、ロユラス一人で何とかなるものではなさそうだった。

 ロユラスが側を通りかかった時、檻の中から男女の会話が聞こえた。

【母さん、大丈夫かい】

【大丈夫だよ。でも、なんとか逃げ出す算段をしなければ】

 ロユラスは立ち止まって、二人を眺めた。唇を舐める様子や、喉をごくりと鳴らす様子から、この二人が渇きを覚えていることが感じられる。天を眺めればここは渓谷にあっても日中の日当たりの良い場所で、この母子の囚人は水も与えられず放置されていると言うことだろう。

 空を見上げたロユラスは、腕で汗をぬぐう仕草をし、大げさな仕草で腰に付けた革製の水袋を外して、その栓に指先をかけた。もちろん、喉の渇きを感じている母子はその動きを見逃すはずはない。

 その瞬間、ロユラスは足下の石にでもつまづくようにバランスを崩し、慌てて平衡を取ろうと腕振り上げ、掴んでいた水袋はロユラスの手を離れて、ぽとりと檻の中へと落ちた。

 文字通り、降って湧いた幸運を、若者が見逃すはずもなく、急いでそれを手にして母親に勧めた。母親は水袋に一口だけ口を付け、残りを息子に返したが、その間もロユラスに視線を注いでいた。これが偶然か、見知らぬ男の好意か極めようとしているようだった。

 突然に、ロユラスがこの囚人に興味を示したのは、これから処刑される母子に同情したわけではない。二人の交わした言葉が、ロユラスの母の言葉の訛りや発音と同じだったのである。

 ギリシャ人たちは、もともと幾つもの部族に分かれて互いに争っていた。アトランティスの侵入でアテナイを中心として一つにまとまり、アトランティスに勝利した。今は、アテナイを中心とする軍をアトランティスの聖域に駐屯させている。

 アテナイはアトランティスを占領後、自分たちと同部族の者や同盟下にある諸部族の奴隷は解放して帰国させたが、同盟に加わらなかった部族や勝利するまでに滅んだ部族の生き残りはこのアトランティスに残した。アトランティスが戦に負けながら、多数のギリシャ人奴隷を抱え込むというのはそういう事情である。

 占領者も、奴隷も、幾つもの部族があり、同じギリシャ語でも言葉の訛りが違っていることがあった。ロユラスはその言葉から、囚人が母と同じ部族の人間だと知ったのである。


 自分の迂闊さで、飲み水を囚人に奪われたとでもいうように、ロユラスは肩をすくめながら、近くにいた兵士の指揮官に聞いた。

「いくらだい?」

「何がだ」

 ロユラスは檻の囚人を指さした。

「奴隷だろう。二人まとめて、いくらで売る?」

「元は奴隷かもしれないが、今は山賊だ。山賊として処刑する」

「焼くのかい。そりゃ、もったいない。あの若い男は鉱山に良い値で売れるぜ。女は多少、歳は食っていても別嬪だ。売春宿にでも売り渡してやろうか」

 ロユラスの言葉に檻の中の若者が反論した。

「ゲスなアトランティスの蛮族ども、母さんを売春婦にするだって。そんなこと、この俺が許すもんか」

 若い男の言葉に、ロユラスはもう一つ理解を深めた。あの囚人がアトランティスの言葉も理解し、話すと言うことである。

 ロユラスは囚人にはかまわず、兵士に商売の話を続けた。

「この砦なら、囚人はランロイにでも運んで、火あぶりにするはずだろう?」

「罪人は捕らえた砦で処刑してしまえと言う命令が届いている」

「しかしなぁ、それはもったいない。そうだ、俺が奴隷を売れと掛け合ってみるよ。都の偉いさんに、ちょっとした知り合いがあって、懇意にしてもらってるんだ。銀細工商人のロユラスと言えばちょっとは知られてるんだぜ。リーミル様だって俺の名を知ってるはずさ」

 ロユラスの言葉は微妙な違いはあっても、知り合いが居るというのは嘘ではなかった。ロユラスはその証拠にリーミルの髪飾りを懐から取り出して、ちらりとその紋章を見せた。ロユラスが王家の物と知り合いであるという疑いのない証拠だった。王家は兵士たちの敬愛と信頼を集めているらしい。紋章を眺めた隊長の言葉は、ロユラスにとって好転した。ただし、同意はするが難しいという。

「しかし、あの囚人どもをランロイへ送る兵士は付けられないぞ」

 その指揮官に、ロユラスは砦の前の荷車を指さした。ランロイからこの砦に水や食料を運んできた牛が牽く荷車である。帰りは積む荷物はなく空で帰るはずだ。

「あの荷車があるじゃないか。あれに囚人を檻ごと積んでランロイへ移送すればいい。ここで焼く手間も省けるぜ。後は俺がランロイで、役人に話を付けてあの奴隷を買い求めるさ」

「なるほど」

 指揮官は頷いた。処刑やその後始末にも大きな手間がかかる。ランロイの町の役人に引き渡す算段がつくならそれにこしたことは無い。指揮官はやっかい払いをするように兵士に命じて檻を荷車に乗せた。

 驚いたのは空の荷車を牛に牽かせて帰るつもりの牛使いである。やっかい事に巻き込まれたように慌てる牛使いに、ロユラスは高額の報酬を前払いして手早く話を付けた。高額の報酬を支払わなくてはならなかったというのは、街道沿いに山賊たちが出没するからである。そんな街道を、荷車を牛に牽かせてのろのろと三日の行程を進む。積んでいるものが山賊に見つかれば、必死で仲間を取り戻しに来るだろう。危険に満ちた旅になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ