ランロイのリーミル
フローイ国の旧都ランロイは、新都カイーキの北東、徒歩数日の場所に位置する。重い荷物を満載した荷車を押しても三昼夜の距離である。新都の建設と共に政治や文化的な機能は薄れたが、北部からカイーキへ向かう主要な街道が交わる地点から近く、現在でも新都を遙かにしのぐ商業の中心地である。
「やはりこちらの方が落ち着くわ」
ランロイの町並みの中を一人で歩くリーミルはそう呟いた。美しいが堅苦しさのあるカイーキとは違い、ここはフローイの人々の気質に良くなじんだ町である。何より、人手が加わって人工的に作られたという雰囲気が無く、雑多だが町に集うこと人々と共に育つように拡大した自然さがある。
彼女自身、この雰囲気に染まるように庶民の娘の衣類を身につけていた。ただ、幼い頃から気さくでお転婆なリーミルは町の人からも愛されていて、町を散策する庶民の衣装の彼女が、この国の王女だと気づかぬ者は、他国から来た商人ぐらいのものだった。
リーミルの目的はランロイの散策ではない。フローイ国は軍の主力をイドポワの門へ送った。その後、国内に残された兵士の中から五百と三百の部隊を編成して本隊の増援に送った。国の北と西は海で、東と西は山岳地帯である。他国の大軍が、現在のフローイ国の隙を突いて攻め寄せる危険は感じては居ないが、北部で力を付けてきている山賊どもの討伐や、遠征中の王ボルススが更に増援を求めてきた場合の手はずも整えねばならないのである。判断を下すべき王も、その王の跡を継ぐグライスも不在の今、この国の政の決定を下すのは彼女の役割である。
そんな彼女にすがりつくように声を掛けてきた者が居る。一人の老女だった。
「リーミル様。うちの息子が戦に出ています。戦の様子を何かご存じでしょうか?」
町に布告される情報や町を行き来する行商人たちから得られる情報は僅かで愛する人の生死を知りたいと考える人々の不安を癒すことが出来ないのである。老女に誘われるように行き交う人々が足を止めた。
「私の夫が……」
「私の兄が……」
「父がレルマナス将軍の元におります……」
家族を気遣う者たちは口々にリーミルに安否を尋ねた。
「私たちの軍は精強です。そして共に戦うシュレーブ軍は一万もの軍勢を動員してるわ。精強さと数で反乱軍どもを上回っているだけではありません。アトランティスの大地に歯向かう者たちに神のご加護は無いでしょう。戦の女神のご加護は私たちに。その証拠にルージの牙狼王リダルは、既にグライスが討ち取りました。反乱軍の残党が残らず討ち取られるのも間近でしょう。あなたたちは、夫や息子、兄弟や恋人、家族の平穏を愛の女神に祈りなさい」
家族の安否を問う者たちばかりではなく、道を行き交う人々も足を止めてリーミルの言葉を聞いていた。その中に一人、リーミルと顔を合わせないように、物陰で顔を伏せていたが、彼女の言葉を一句たりとも聞き漏らさぬよう耳を傾けていた男が居た。ルージ国王リダルの長子ロユラスである。ロユラスは心を整理するようそっと呟いた。
「噂は本当だったか」
ランロイに来て以来、フローイ軍のイドポワの門での戦勝とルージ国王リダルが戦死したという噂は耳にしていた。しかし、それは民の願望から来る噂かも知れず、慎重なロユラスは事実を判断しかねていたのである。しかし、今、王女の口から直接にそれを聞いた。
この時、このランロイにある王の館の方から使いの者が駆けてきた。
「伝令でございます。至急、リーミル様には王都にお戻りあれと」
使いの者は乱れた呼吸の中でそう言って、スクナの板をリーミルに手渡した。腕で抱え込めるほどの大きさの板に情報が記載されている。リーミルがその包みを解いた時、その使いの者が我慢しきれないというように民衆に向けて喜びの声を上げた。
「皆の者、戦勝の報だ。我が軍はネルギエの地で、神に歯向かう者どもと戦い、これを打ち破った。グライス様がルージ国の王子アトラスを討ち取って、奴らを完膚無きまで打ちのめしたぞ。戦争が終わるのも間近だ。」
むろん、使いの者は固く封じられたスクナ板に記載された詳しい情報は知らない。しかし、戦場から王都までスクナ板を届けた兵士と、そのスクナ板を王都から旧都の王の館まで届けた使者、王の舘から町を散策するリーミルに届けた使いの者たち、自分たちがスクナ板を運ぶ理由と供に漏れ知った戦勝の喜びに歓喜する様子がうかがえた。使いの者の喜びの感情は民衆に乗り移って沸き立った。
そんな民衆の中央で、リーミルはスクナの板の文字を詳しく追っていた。
「アトラスが、あのアトラスが……」
そこには、先ほどまで民衆に朗らかに語りかけていた女性の姿はなかった。リーミルは顰めた眉に、困惑と悲痛さを覗かせていた。
そんなリーミルを、ロユラスはじっと見つめていた。




