カイーキのフェミナ
王ボルススと王子グライスが率いるフローイ軍が出陣して、優に二週間が過ぎた。過ぎ去った正確な日にちは生活の記憶を整理しなければ分からない。愛する者が帰る日を待ち続ける女たちにとって、残酷といっていいほど長い時の流れだった。
夫グライスを戦場に送り出し、都カイーキの王宮で彼の帰りを待つフェミナもそんな一人である。
「そうだわ。ナナエスの神殿にも貢ぎ物を」
フェミナが口にしたのは真理の神ルミリアの息子で、人間の寿命や生死を司る神の名である。戦に出た夫の身を案じる妻の姿だった。
彼女の居室にお付きの侍女を一人伴って姿を見せたリーミルは、やや冷静に語りかけた。
「落ち着きなさいな。フェミナ様。それにナナエスはパトロエと相性が悪いともいいます。祈るならフェイブラになさればいかが」
人の寿命を司るナナエスは、勇者を愛し戦いの帰趨を決める戦いの女神パトロエと、人の生死に縄張り争いがあって仲が悪いとされている。両方に願うのは神の怒りを買うことになるかも知れない。戦いの神パトロエとあわせて夫の無事を祈るなら、夫婦の愛を司るフェイブラにするのが無難だろう。
フェミナはここのところ、神への祈りと貢ぎ物を欠かしたことがない。ただ、リーミルはその点では現実的だった。神に捧げる供物があれば前線の兵士の食料として届けてやる方が良い。ただ、フェミナの愛は一途で、そんな義姉の意図には気づいていない。
「ああっ、姉上様。そういたします」
フェミナはそう言って、侍女たちに命じた。
「では、フェイブラの神殿の神官たちに祈りの準備を」
そして、慌ただしくリーミルの方を向き直って尋ねた。
「私は、今からフェイブラの神殿へ。姉上さまもご一緒なさいませんか」
フェミナの誘いをリーミルは笑顔で断った。
「いえ。私は今からランロイへ行きます。十日ばかり都を空けますので、その挨拶に参りました」
リーミルが親しさを込めながらも丁寧な言葉遣いをするのは、彼女の目から見て未だ世間知らずの貴族の娘に、次の王妃という立場をさりげなく自覚させるためだったのかもしれない。リーミルが不在の間、この都を取り仕切ってもらわねばならない。
リーミルは儀礼に乗っ取ったお辞儀をし、未来の王妃の居室を去った。
年老いた侍女は居室を振り返って笑顔を浮かべた。
「あの方も、家にお着きになったということでしょうか……。いえ、下賤の者の言いよう、お許し下さいませ」
「ルタガラ。気にしないで。貴女の言うとおりだわ。でも、まあ、ここには気むずかしい舅や姑はいないから」
リーミルは先ほどの堅苦しい雰囲気を消し去り、気さくに笑いながらそう言った。「家に着く」というのはフローイ国の一般庶民がよく使う表現で、嫁いできた女性が新たな家になじみ、家族の一員になったということをそう表現しているのである。
先日、イドポワの戦いの戦勝の報告がこのカイーキにももたらされていた。戦に勝利したばかりではなく、夫グライスがアトランティス随一の勇者リダルを討ったという報告に、フェミナは喜びを見せるどころか、夫がそんな危険な目にあっていたのかという驚きと恐怖を隠せないでいた。夫の生還を待ち望む妻の自然な姿かも知れない。
そんな姿を思い起こしてみれば、ルタガラの言うとおり、フェミナはこのフローイ王家の一員になりつつある。




