アトラスの死とエリュティア
「困ります。お待ち下さい」
「お前たちでは話にならぬ」
「ここはドリクス様のお屋敷です」
「だから、余人を交えず会わせろと申しておる」
エリュティアが声の方向に視線をやると、甲冑に身を固め腰に剣を帯びた三人の男たちと彼らが従える兵を、園丁たちがが押しとどめているという姿だった。更に館の召使いどもが加わったが、何分、武装し剣をちらつかせる恐ろしげな男たちだけに、取り囲むのみで侵入を阻むことが出来ない。
その侵入者たちは一人の少女の前で立ち止まった。もともと彼らの進路上にいたエリュティアが逃げもせず立ち止まっていたために遭遇したと言うことである。男の一人はエリュティアを眺めて考えた。高貴な者が着用する衣装を身につけているが、頬や手や衣類は泥で汚れている。大方、ドリクスに仕える巫女に違いないと。
その少女が彼らに命じた。
「そこから、おどきなさい」
男たちは少女の言葉を理解しかねて顔を見合わせた。ただ、彼らの猛々しい様子を恐れる様子が無いことは見て取れた。広大な野原にある小さな館を、野原に咲き乱れる四季の花々が包んでいるという、自然を意匠した庭である。そこには花壇があるわけではなく、花々の間を縫って通る小道がある。男たちはその緩やかな曲線を持った小道を通らず、花々を踏み荒らして真っ直ぐ通ってきたと言うことである。
エリュティアは繰り返した。
「ニーメナスの苗が育っています。そこから、どきなさい」
ニーメナスという草花がこれからの時期、大輪の黄色い美しい花を付ける。エリュティアは男たちにその苗を踏み荒らすなと命じているのである。反論を試みた男たちは息をのんだ。彼らを見つめるエリュティアの瞳に恐れも迷いもなく、凛と澄んでいて妥協の余地を感じさせなかった。先ほどまで、あれほど荒々しかった男たちは、一転して温和しく命令に従った。
そんな様子を、館から出てきたドリクスが黙って眺めていた。ドリクスが介入して、その女性はシュレーブ国の王女だと説明する余地もなく、エリュティアは男たちの荒々しさを鎮めてしまったのである。沈黙する男たちに、ドリクスは笑顔を浮かべて問うた。
「私がこの館の主人ドリクスです。荒々しいお姿だが、我が館にどのようなご用で?」
先頭の大男が声を張り上げた。
「おおっ、そなたがドリクス殿かっ」
男はそこまで元気よく言って、言葉を途切れさせた。再び、エリュティアの視線を浴びたのである。怒りや憎しみの感情とは無縁の少女らしいが、口を一文字に結び眉を顰めた不満げな視線が男を圧した。
「静かになさいませ。人々やピピスが怯えます」
エリュティアは命令とその理由を説明した。確かに、武装した男たちが張り上げる大声で館の人々は騒然としていたのである、しかし、ピピスとはなんだろう。男たちは首を傾げた。
「ピピス。おいで」
エリュティアの呼びかけに、館の影でこちらを伺っていた動物が飛び跳ねるように駆けてきた。アトランティスの人々がミットレと呼ぶ、小型犬ほどの大きさの鹿の仲間である。臆病な動物だが、良く懐いていて、エリュティアがピピスを眺める視線も優しく和らいだ。彼女のペットらしい。
「無礼の段、申し訳ございませぬ。なにぶん都の儀礼に疎い田舎者ゆえお許し願いたい」
後方にいた青年が進み出て礼儀正しく頭を垂れて謝罪し、言葉を続けた。
「私は、我らが王より北のゴダルク地方を預かる領主ストラタスの三男トラグラスと申します。こちらは長男のエルグレス、続いて次男のオログデス。お目にかかれて光栄に存じます」
「そのストラタス様のご子息三人が何のご用かな」
ドリクスの問いに長兄エルグラスが答えた。
「父より200の兵を率いて王宮の警護に行けと。」
「そう言う話ならば、ディメラス殿が王不在の間の兵権を預かって居られる。王宮にディメラス殿を尋ねられよ」
「いや、父がドリクス殿を訪ね、その意に従うようにと」
エルグレスの言葉に、ドリクスは笑顔の中でぴくと眉を動かした。この青年たちの父親の意図が知れた。ドリクスがジソー王の傍らに侍り知恵を授ける人物だと気づいていて、ドリクスに接近を謀っていると言うことである。
「しかし、ご覧の通り、我が家には兵員は不要」
「それがドリクス殿のご意志なら、それに沿うのみ」
「しかし、何故兵など挙げられた? 加勢に向かうのならネルギエの地の戦場でありましょう」
「まだご存じないのですか」
「何を?」
「ネルギエの地の戦いで、ジソー王が率いる我が軍が全滅するほどの大敗を帰したと」
「まさか」
「ヴェスターの捕虜になった数百の兵を除けば、ほぼ全員が戦死したと」
「我らが王はいかがされた?」
ドリクスの問いはエリュティアも最も知りたいことである。
「王は勇敢にも敵の包囲を突破し、イングバス殿の領地で再起を図って居られます」
次男オログダスの言葉にエリュティアは安堵のため息をついた。トラグラスがそんなエリュティアを励ますように言った。
「王が直属の兵を失っても、まだ我らがおります。真理の神に反旗を翻す輩は、我らの手で討ち取ってみせましょう」
ドリクスが問うた。
「我が王の兵を全滅させるほどの精強なルージ軍と戦って勝利するというのですか」
「なに、奴らはリダルを失い、今度の戦いでアトラスまで戦死したとなれば、残るルージ軍など烏合の衆です」
エルレレスの言葉に、エリュティアが叫ぶように問うた。
「アトラス様が亡くなられたのですか」
「その通り。兵士の槍に心の臓を貫かれ、斬られた腕を残して、ルージ軍はその死体を陣へ持ち帰りました」
「アトラス様が亡くなられた……」
エリュティアは小さく呟いて、全身から力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。傍らのルスララが支えなければ地面に倒れ込んでいただろう。この時のエリュティアの心を読み解けば、感じたものは愛する者が亡くなったという衝撃ではないない。彼女は朧気ながら、このアトランティスの社会が大きな混乱の中にあることに気づいている。彼女が胸に抱えた草花と、人々が困窮する様子を重ねて、何も出来ない自分に心を痛めてもいた。その中で、アトラスがアトランティスを救う人物というイメージをすり込まれた彼女が、アトランティスを救う支柱を失ってしまったという心の動揺だったろう。
泥にまみれたエリュティアの姿から、彼女をこの館の下女の一人と信じて疑わない三人の兄弟は、彼女の名を確認することもなく足早に去った。
エリュティアの心はまだ幼子のようで、男女間の愛の存在など実感として感じることも出来ないらしかった。そんなエリュティアに、ピピスが寄り添って慰め励ますように、湿った鼻面で彼女をつついていた。アトラスが彼の本心をさらけ出すことが出来るのが愛馬アレスケイアだけなのと同様に、エリュティアが本当に心を通わせることが出来るのはこの物言わぬピピスだけかも知れない。
そんなエリュティアと対照的に、悶々とする心の思いを整理した時に、精製されて正体が明らかになったものがアトラスへの愛だと気がついたリーミルがいる。彼女はいま、この都パトローサから西へ、山岳地帯を抜けたところに位置するフローイ国の王都にいる




