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銀の腕輪

 明くる朝、王ボルススは、物見の兵の報告で、ルージ・ヴェスター軍が昨日の戦場から姿を消し、先に奪った三つの砦から撤退も始めているた事を知った。国境の砦まで捨てるというのは、彼らがシュレーブ国内を通過し、聖都シリャードを攻略する意図を捨て、帰国するということである。


 初夏の戦場の跡には、小雨が降り始めていた。グライスたちは戦場に戻っていた。戦場に取り残されていた味方の兵の死体を埋葬せねばならないのである。

 死体の山の中に、まだ息がある兵士が居た。駆け寄ってみたが、敵の槍に腹をえぐられて、生き延びる望みはなかった。この兵はこの状態のまま一夜苦しみ続けたと言うことである。グライスは渇きを訴えた兵に革袋の水筒の水を与え、一口飲み干すのを待って、水筒を短剣に持ち替えた。兵は彼の意図に気づき、それを望むようにこくりと頷いた。兵を苦痛から救う。そんな名目があるにしても、兵の心臓を貫いた短剣に、グライスは一人の兵の命の重みも背負うようだった。


 見晴らしのいい地形である。ネルゴーラ川の川辺に目をやれば、背後はネルゴーラ川で逃げ場が無く、三方から包囲されるよう攻め立てられたシュレーブ軍が戦っていた場所はシュレーブ兵の死体が折り重なり、その数は数千に上るだろう。負傷し戦えぬ者も含めれば、全滅と言っていいだろう。

 探索の兵たちが、その折り重なった死体の中に王ジソーの姿は見つからなかったことを告げた。おそらく、少数の護衛に守られながら戦場を脱出するのに成功したのだろうが、何処にいるものか見当がつかない。

 グライスは死者の剣や盾が散乱する地を眺めてさまよった。遠目に見えるネルゴーラ川の川筋と、死体を眺めてみれば、昨日の戦闘の位置がおよそ見当がつく。しかし、アトラスと剣を交わした場所を特定することは難しそうだった。

 この時、朝日が何かに反射してグライスの目を射た。見つめてその正体を探れば、銀の腕輪である。見事な細工の腕輪でフローイで作られた物に違いなく、そんな高価な物を身につけるのは兵士ではあり得ない。その腕輪をはめた左腕の側にあるのは、形状から察すればルージ軍の盾で、やはり普通の兵士が持つ安価な物ではない。高貴な者の武具である。

 切り落とされた人間の腕という残酷な光景に相対して、グライスは昨日の記憶を辿った。あのとき、アトラスはグライスの前面にいて、左腕を払って、この盾でグライスの左の脇腹を襲った。その衝撃でグライスは地に倒れ、アトラスは止めを刺すようにグライスに剣を振り下ろそうとした。グライスの左後方にいた兵士がアトラスに槍を突き出し、その側面にいたロットラスは兵士の槍がアトラスの体を貫くのを眺めた。アトラスが振り下ろす剣を受けようと切り上げたグライスの剣が、兵の槍にのけぞるアトラスの左腕を捕らえ、この銀の腕輪をつけた左腕がここにある。

 荒ぶる記憶を整理してもグライスの心は晴れなかった。グライスはアトラスの左腕を指さし、短剣を渡して傍らの兵士に命じた。

「その腕から腕輪を外し、腕と盾と共にこの短剣も埋葬せよ」

 アトラスが残した左腕と盾、それをグライスの武器と共に埋葬する。再び戦場で雌雄を決したいという意思を込めた、フローイの伝承に基づいた行為である。

「腕輪はいかが致しましょう?」

 兵士の問いにグライスが答えた。

「洗い清め、都の姉上にとどけ……」

 グライスは少し考え、言葉を継いだ。

「いや。姉上には私が持参する」

 姉の思い人の死を知らせる品物を届けるだけではなく、その状況も伝えるのが自分の責任だろうと考えたのである。敵味方に分かれた戦場で、アトラスが敵国の姫から贈られた腕輪を付けていた。アトラスもまたリーミルを深く愛していた。グライスはそう考え、その二人の絆を断ち切ったことに罪悪感を感じているのである。


 グライスは遙か南を眺めた。おそらくこちらは小康状態を迎えるだろう。しかし、シュレーブ国の南部ではルージ・ヴェスターに賛同して兵を挙げたグラト国が聖都シリャードを目指して攻め上り、シュレーブ軍の一隊と戦っているはずだ。この勝敗の行方についてはまで情報はなかった。

 戦いはまだ始まったばかりといえた。今は戦を眺めているだけの国々も、有利な側につこうとするだろう。ひょっとすれば混乱に応じて隣国の領土を侵して新たな火種ができるかも知れない。アトランティスの大地を揺るがす戦乱の舞台は幕を開けた。

「フェミナ。すまぬな」

 まだ帰国できそうにない事態を、グライスは都で彼の帰りを待つ新妻を思い浮かべて、ため息と共に小さく詫びた。グライスの指揮下にある兵士たちが、味方の兵の死体の埋葬に混乱し疲れ切る中だが、ほんの僅か生じた一人の人間としての心の隙間に、妻への思いのみに心を満たすことは許されて良いだろう。


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