アトラス対グライス
シュレーブ軍からやや遅れて前進し始めたフローイ軍も、正面のルージ軍の戦列と接触して戦闘が始まっていた。フローイ軍が長く東に伸ばした戦列の右翼側は、ルージ軍の端から側面、更に、その背後を脅かす体勢で有利な戦いを進めている。
しかし、本来は兵数が豊富なシュレーブ軍の隣で、有利に戦える場所だったかも知れないが、シュレーブ軍の戦列との間に隙間が空いたために、左翼側は一転して不利な戦場となった。そこでフローイ国王子グライスが戦っている。前衛の兵士たちの一進一退の戦闘が続く中でも、戦経験が少ないグライスでさえ、味方がじりじりと押されている戦況が肌で感じられた。彼自身も剣を構えて傍らの副官ロットラスに頷いてみせた。彼自身の手勢を率いて前衛の戦いに加わるという決心である。
その時、グライスは信じられないものを見た。前衛で戦うルージ軍兵士の向こう、グライスの剣の切っ先など、とうてい及ぶはずのない場所で翻っていたルージ国王家の旗が、揺らめいたかと思うと、兵士を連れて一斉に前線に突入してきたのである。あの旗の下に、ルージ国王子アトラスが居る。
「おおっ。戦の女神よ、感謝します」
アトラスと剣を交わすことを望み続けたグライスは、この戦況の変化を喜んだが、副官ロットラスは眉をひそめた。新たに突入してきた部隊に、シュレーブ・フローイ連合軍の戦列が食い千切られ、勢いに任せて突入するルージ兵と入り乱れ、指揮もままならない乱戦に陥ったのである。敵味方が入り乱れる中、グライスは剣で天を指し示す姿勢で叫んだ。
「アトラス。牙狼王リダルの息子アトラスよ」
心根の純粋な若者の叫びは、戦場によく響き渡り、兵士たちの怒号や剣戟の喧噪を超えてアトラスに届いたらしい。アトラスは自分の名を呼ぶ者の姿を探すようにグライスの方を眺めた。グライスは存在をアトラスに誇示するように叫んだ。
「私はフローイ国第一王子グライス。リダルを討った者だ」
「運命の神の槍の穂先にかけて。ここで巡り会えたことに感謝を」
「アトラス殿との一騎打ちを所望」
「おおっ、望むところ」
若者の勇敢な名乗り合いだが、戦に長けた者から見れば、未熟で滑稽な姿に見えたかもしれない。なにしろ、彼らの周りでは両軍の兵士が入り乱れて戦っていて、一対一の戦いができる状況ではなかった。しかし、この二人の若者はそれをしようとした。
二人は戦う兵士たちをかき分けるように体を寄せ、一合、二合と互いの剣を合わせ、盾で相手の剣を防いだが、その間にも傍らで戦う兵士たちが振るい合う剣、突き出す槍、振り回す盾まで避けねばならない。彼らの足下には既に地に伏した兵の死体や、その死体が投げ出した武器や盾が転がっていて、足下もおぼつかない。その中、グライスが振り下ろした剣を払ったアトラスが、勢いよく払う盾の縁で、グライスの脇腹を襲った。剣に手慣れた者が、本来は防御の為の盾を武器として使うというのは良くあることだった。アトラスの盾の衝撃は、革の鎧を通して、グライスに呼吸が止まるほどの激痛を与えた。
痛みに呼吸を崩したグライスに、アトラスが剣を振り下ろそうとする刹那だった。偶然か、運命の神が定めた運命かは分からない。グライスの背後で戦い、一時の勝利を収めたフローイ兵の一人が、戦闘を求めて次のルージ兵を捜した時、その視線の先にアトラスが居た。兵の槍の穂先は的確にアトラスの左胸を正面から捉えた。
自らも剣を振るってルージ兵と戦いつつも、主人の様子を見守るのに余念がない副官ロットラスの位置からは、のけぞったアトラスの背に槍の穂先が貫いて見えた。
そして、アトラスが振下ろしかけていた剣を防ごうと振り上げたグライスの剣は、胸に槍の衝撃を受けて伸ばしたアトラスの左腕を捕らえた。アトラスの左腕は肘から先が盾をつかんだまま、盾の一部であるかのように地に落ちて転がった。グライスの動きもそこまでで、アトラスの盾の衝撃で折れた肋骨の激痛に耐えて剣を地に刺して体を支えた。
副官ロットラスは新たな叫びに気づいて視線を転じた。
「我らが王子をお救い申せ」
そんな叫びと共に投げられたバラスの手槍は、再度アトラスを刺し貫こうとした兵を捕らえた。サレノスがその手兵でようやく確保していた脱出路から、バラスが突入してきたのである。グライスが負傷したのを見て取った副官ロットラスも、新手の敵の突入に不利を悟って剣を鞘に納めて、グライスに肩を貸して前線を離れた。




