摂政デルタス
ルージ・ヴェスター連合軍が、シュレーブ軍の砦を奪って二日目。サレノスの役割が兵の士気を回復することなら、ヴェスター国王レイトスも役割を果たしたように戻ってきた。ただ、率いていたはずの兵は減り、王の身辺を警護する十人ばかりの従卒のみである。
王レイトスが陣に戻ってくるという知らせを受けて出迎えたアトラスは、その兵の数に首を傾げつつ、表現を変えて疑問を口にした。
「デルタス殿は?」
アトラスの問いに、王レイトスは満足げに微笑んで言った。
「デルタス殿は、摂政として王を支える者となられた。これで、我らも背後の憂い無く、前方の敵と戦えるというもの」
「摂政ですって デルタス殿は国に帰れば殺されるやもしれぬと」
摂政というと、王を補佐する地位だが、レネン国は王が充分に政務が執れぬほど病弱だと言うのが王子デルタスから聞いた話だった。それ故、チャラバ家という有力貴族が、第二王子を擁して摂政の座を狙い、その邪魔になる第一王子デルタスを除こうとしているはずだ。しかし、王レイトスの話は、デルタスとチャラバ家の立場が逆転し、デルタスが実質上のレネン国の政務を取り仕切る地位に就いたという。
首を傾げるアトラスに、サレノスが口を挟んだ。
「そのデルタス殿を害そうとしていたチャラバ家のレドトスという男が、よりにもよって隣国のレイトス様に謀反の相談を持ちかけていたのですよ」
王レイトスが補足した。
「一年前、レドトスが儂によこしたのは、デルタス殿の弟君を支えるゆえ、よろしくという内容であった。隣国とはいえ、謀反人を放置するわけにもゆくまいよ」
「しかし、」
アトラスは口ごもった。アトラスが生まれたルージ国でも、アトラスの誕生や成長に合わせて、他国にこの者を引き立て見守ってやってくれという書状や使いぐらいは出しているだろう。チャラバが隣国の王レイトスに使わしたのは、そう言う類の使者であったに違いなく、謀反と言うにはほど遠いのではないか、アトラスはそう考えたのである。
しかし、勘の良いアトラスは気づいた。
(王レイトスはチャラバ家からの書状を謀反の証拠にでっち上げ、隣国の有力貴族の当主を除いてその勢力を削いだのではないか)ということである。
有力貴族とはいえ、突然に謀反を企んだと断言されて混乱し、百名を越える兵で館を囲まれれば、抗うすべもなく討ち取られるだろう。ただ、若いアトラスには自然な疑念が湧いた。
「しかし、レネン国も有力な貴族を失えば、我らルージ国やヴェスター国に対する憎しみも生まれ、デルタス殿も安穏とはしていられぬでしょうに」
「病弱な王の背後で、好き勝手に権力を振るっていたチャラバ家には、他の貴族の中に敵も多い。そのチャラバの敵が、今はデルタス殿を支えていてくれる。そして、何よりデルタス殿には、我が精兵をお貸しした。我がヴェスター国がデルタス殿を信頼しているという証である。デルタス殿を害そうとする者は、もはやおるまい」
王レイトスの言葉にアトラスは頷いたが、ふと思い当たることがある。アトラスは傍らのサレノスに怒りを込めて言った。
「そなた。このことを知っておったな?」
アトラスが思い起こしたのは、彼が聖都から来た無礼な問責の使者を斬った時のこと。返り血を洗い落とし王の間に戻ってみれば、そこにいたのがサレノスと王レイトス、そして王子デルタスのみだった。アトラスが不在の間に三人で今回のことを決めたと言うことである。サレノスはアトラスの疑念を否定しなかった。
「我らが王子には、背後の憂い無く、これからの戦のことのみ、考えていただきたく」
「だから、私に相談もなく事を進めたというのかっ」
アトラスの怒りを、王レイトスが優しい叔父の口調でなだめた。
「アトラスよ、サレノスを叱るな。事は全て私が申し出た。利口なそなたのこと、起きてみれば事の必要性も分かるであろう」
たしかに王レイトスが言う意味はアトラスも理解できた。レネン国から密かに軍の通過を認めると言われても、権力基盤のない王子デルタスを通じてのことである。王子デルタスに反感を持つチャラバ家が、いつその方針を覆すやも知れない。そうなれば、ネルギエの地に向かうルージ・ヴェスター混成軍は退路も補給路も断たれてしまう。戦いに専念するために邪魔なチャラバ家の当主を除く必要があるということである。
不満を抱えたまま、黙りこくるアトラスに新たな記憶が湧いた。王子デルタスが王レイトスと共に都に向かう前日の夜、デルタスが密かにアトラスの陣を訪れて、親しげに語った人物のことである。アトラスは唐突に聞いた。
「レンスどのはいかがされました?」
「レンス殿とは」
「デルタス殿には幼い弟君が居られたはず」
「知らぬな。そのような者には、気づかなかった」
そう語る王レイトスが、やや眉をひそめた。アトラスは察した。その人物の生死は語れぬと言うことだった。唯一、自分を愛してくれた肉親。それを失った王子デルタスの心情が哀れに思えた。




