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父子、サレノスとゴルスス

 その日の昼過ぎ、兵士たちが集められ、砦の中央に仮設された祭壇の王リダルの棺を囲んだ。戦いで焼け残っていた物見櫓に登ったアトラスは、サレノスとヴェスターの将で王レイトスの代理人ロイテルを従えて、兵にこれからの戦いの意味を叫び続けていた。兵に混じるバラスやアゴースら指揮官が、そのアトラスの言葉に呼応するように、抜き身の剣を天に振りかざして兵士たちを鼓舞した。

「私は審判のジメスとともに、敵を討ち果たし、我らが王リダルと共に果てた者たちへの弔いのはなむけとしようぞ。我が忠節なる兵士どもよ。この中に、誰か私に続く者はおるか?」

 アトラスはそんな問いかけでスピーチを締めくくった。兵士たちは口々に戦に加われる喜びを叫び、剣と盾を打ち鳴らした。その叫びは、アトラスの名に代わって砦の内外に響き渡った。

「アトラス、我らが王子、アトラス!」

「牙狼王リダルの息子、アトラス!」

「真理のルミリアと審判のジメスの祝福を受けし者、アトラス!」

 アトラスはそんな叫びを上げる兵士たちに手を振って答え終えると、物見櫓の梯子を下りていった。サレノスはアトラスを見送りつつ、彼が優秀な生徒であり、熟練した役者だと言うことを知った。長いスピーチもアトラスの心の叫びではなかった。王や王に殉じて戦った兵士たち命のこと、彼らの勇敢な戦いぶりなど、兵士の士気を鼓舞する言葉のいくつかはサレノスたちが彼に示唆した。アトラスは提示された言葉を、彼自身の意志であるかにようにつづって叫んでいたのである。結果はサレノスらの期待通り、王の棺を眺めた兵士たちはその精神的な衝撃を敵愾心へと変質させた。


 兵士の喚声に包まれながら、アトラスは自分の幕舎へと足を進めた。アトラスのスピーチに近習たちも興奮し、アトラスを讃えて浮かれ騒いでいた。アトラス自身は心も体も自分の物ではないように空虚だった。同時に石でも詰め込まれたかのように重く固く閉ざされていた。そのアトラスにサレノスが声を掛けた。

「我らが王子よ。私の幕舎で茶でもいかがかな」

「サレノスよ。いまはそっとしておいてくれ」

「いや、静かに過ごしたいのであれば、私の幕舎こそ、うってつけでありましょう」

 サレノスの言葉にアトラスは自嘲的に笑った。たしかにその通りで、自分の幕舎に戻れば兵士だけではなく、近習たちで賑やかになるに違いない。近習たちが苦手にするサレノスの幕舎で何かの理由を付けて人払いをすれば、相手にするのはこの老人だけですむ。

「では、後で」

「いえ。今でなくては。父王リダル様の事をお話申さねばなりませぬ」

「我らが王のことだと?」

「いえ、ルージ国に君臨された我らが王ではありません。アトラス様のお父君としてのリダル様の姿を、ご子息としてのアトラス様に」

 意外な言葉に、アトラスは手振りで近習たちに先に自分の幕舎へゆけと指示をし、サレノスが導くまま幕舎へと入った。


 サレノスはアトラスに椅子を勧め、傍らに控えていたゴルススに命じた。

「我らが王子にハラサ水などをお持ちせよ。蜂蜜はたっぷりと甘く」

 サレノスが言ったハラサ水とは、蜂蜜で甘く味付けをした水にハラサと呼ばれる柑橘系の果汁を入れ、香り付けにその皮を刻んで入れる。アトランティスの人々の一般的な飲み物である。忠実なゴルススはサレノスの命令に異議は唱えなかったが、首を傾げながら幕舎を出ていった。ハラサと言われても、行軍に持参する食料ではない。ゴルススは陣の物資に存在しないハラサを探してしばらく戻ってくることはないだろう。アトラスはサレノスが最も信頼する側近を体良く遠ざけたことに気づいた。これからする話は、他の者に聞かれたくないと言うことである。

 サレノスは思い出をたぐるように話し始めた。

「先の遠征の折、私は二人の息子を同行させ、その二人ともを失いました。懐かしい故郷に帰ってみれば妻も病死しており、私は天涯孤独の身の上となりました。帰国後に王位についたリダル様は私を哀れみ、都の北に領地を下さり、そこで余生を暮らせと。二度と戦場には戻らずとも良いと」

 アトラスはサレノスの言葉に納得した。ルージ国では毎年の祭りに各地の領主が都に集う習慣である。アトラスも子ども時代から各地の領主とは面識があった。その席では見かけなかったと言うこととに納得がいった。サレノスは言葉を続けた。

「その王が先般、我が館に姿をおみせになりました」

 アトラスはサレノスの言葉に再び小さく頷いた。アテナイ討伐を宣言し、ルージに帰国したとき、王は行き先も告げぬまま、僅かな従卒を従えて北の方に姿を消した。あれはサノスの領地へ行ったと言うことである。サレノスは言葉を続けた。

「領地を良く治めているとお褒めの言葉を頂きましたが、我らが王の本心が領地ではないことが察せられました。口ごもる王に、戦のことかと問うと、王は頷かれました」

「そなたに兵を率いて出陣せよと命じたか?」

「いえ。私の手を取って懇願をされました」

「懇願だと」

「我が息子を傍らで支えてやってくれと。あの気高い王がですぞ」

「まさか……」

「リダル様はルージ国の厳格な統率者であると同時に、一人の父親でありました。我らが王子よ。いまは王リダル様を一人の父としてお考えなされませ」

 アトラスはサレノスに答えず、話題を転じた。

「そなたはその申し入れを受けたと言うことか」

「いえ、私は戦にでる気にはなれませなんだ。このままこの地に身を潜めていたいと。ひょっとすれば、孤独な身の上を恨み、私はこの世界に拗ねていたのやもしれません」

「拗ねるなど……」

 アトラスはこの老人の意外な言葉に自嘲的に微笑んだ。拗ねるというなら、むしろ現在の自分のことかも知れないと考えたのである。サレノスの言葉は続いた。

「王はその権力を背景に私に出陣を命じることもできたでしょう。しかし、王はそれをなさいませんでした」

 たしかに、姿を消していた王リダルが都に戻ってきたのは、姿を消した時の姿そのままで、王都バースでの軍議での王の破格の喜びを見れば、サレノスの登場は意外な出来事であったに違いない。

「そんなそなたがどうして参陣を?」

「あのゴルススが、私に参陣せよと勧めてくれました。老いたりといえど、武人として、果てる時は戦場でという私の志を見抜いているようでした」

「ゴルススとは何者なのだ」

「幼い頃に農民だった両親を失って、身よりもなかったため、小間使いとして私の身近に置きました。他に身よりのない者同士です。いつしか、私は失った息子の面影をゴルススの姿に求めるようになりました。我らが王の姿と、私自身の武人としての本懐、そして息子のことを重ねて考えると、もう一度戦で手柄を立てて、我らが王にゴルススを貴族の身分にとりたてて頂き、私の後継者にと考えました。しかし、それも私の身勝手。この世を拗ねたジジイが、ゴルススを言い訳にに利用して戦場に戻る夢を果たそうとしたのかも知れませぬ」

 サレノスは自分の心を問うように黙り込み、静かにアトラスの表情を眺めた。血のつながらない息子のためにというサレノスの言葉に、アトラスは一人の父親の気配を感じ取ることができる。ゴルススにもまた、密かに父を敬愛する息子の雰囲気を持っていた。アトラスにはあのリダルが自分のために懇願したという姿を思い浮かべることはできなかった。ただ、この血の繋がりのない父子の姿と重ねた。アトラスがリダルという人物を、自分の上に君臨する厳格な王ではなく、一人の父親として認識した瞬間だったかもしれない。


 サレノスが幕舎の入り口に姿を現した若者にそう声を掛けた。

「早かったの」

「兵士の一人がレニグの町で買い求めて持参しておりました」

 軍の物資としてではなく、兵士が個人的に市で商人から買い求めていたと言うことである。戻ってきたゴルススはハラサ入りの水が入ったカップを二つ、父とアトラスのためにテーブルに置いた。サレノスが言った「早かった」というのは、息子に明かしたことのない秘密を聞かれてしまったということである。

 

 ゴルススは幼い頃からサレノスの身辺で過ごし、彼が過去に身につけた剣や甲冑を眺めて、武人としてのサレノスに敬愛の情を抱いていた。サレノスが夕日を眺める表情や、冬の寒さに拳を握りしめる姿や、焚き火の傍らで夜空の星々を見上げて物思いにふける姿など、日常生活の中の光景の中に、サレノスが過去の戦場に思いを巡らせていることに気づいていた。そして、ゴルススの目から見れば、サレノスの中に戸惑いと迷いが生じたのは、戦友として姿を見せたアガルススという男から聖都シリャードの様子を聞いたときからである。

 サレノスの王への対応ぶりは穏やかだったが、王が帰った後の迷いは増したように見えた。ゴルススがサレノスに参陣を勧めたのはそんな時である。サレノスという人物の迷いを払い、思いを果たして欲しいという願望だった。サレノスは決断した。

 ただし、その決断の背景に、ゴルススを跡継ぎにしようという意図があったということに、ゴルスス自身が気づいたのはつい今し方、サレノスの言葉を漏れ聞いた時である。

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