初陣の後
日が高く昇る頃になっても、未だに兵士たちは昨夜の興奮は冷め切らず、中央の砦は焼けた物見櫓や幕舎からくすぶる煙と共に、興奮や喧噪を砦の中を満たしていた。アトラスは新たに張られた天幕の中にいた。戦いの中の緊張感が薄れてみると疲労感が全身を覆ったが、興奮は冷めずに眠る気にはなれない。兜を脱ぎ、鎧を外すにつれて、昨夜の経験がよみがえってきた。
中央の砦を迂回して進んだバラスの部隊が、砦の南から火矢を射かけた。思いもかけぬ方向から攻撃を受けた砦が動揺するのがわかった。その隙を突いて、サレノスがアトラスを伴い砦の正面から攻めかかったのである。バラスの部隊に退路を断たれ、北から本格的な攻撃を受けたと気づいた敵の砦は更に混乱を深めた。サレノスとアトラスは砦に侵入した、かがり火が倒れて火災が広がり、その灯りで照らされた砦の中で、混乱し敵味方も分からないシュレーブ兵を、右腕に白い布を巻いて味方だという合い印にしたルージ軍の精兵が襲った。混乱から回復する間もなく殺戮される様子は一方的な虐殺とも言えた。
同じ頃、ヴェスター国ロイテルが北西の砦を攻撃しているはずだった。サレノスは北西の空を焦がす灯りにロイテルが有利に戦いを進めている気配を察するとともに、兵をまとめた。五十人ばかりの元気な兵と傷ついた五十の兵を砦に残し、休息する間もなく南東の砦を目指した。
バラスの部隊は中央の砦の南で火矢を射かけ、盛んに松明の明かりをかざして存在を誇示したのみで戦いには加わらず、サレノスとアトラスの突入と共に、南西の砦へと兵を進めていたのである。既に南西の砦のシュレーブ兵と戦い始めているに違いない。サレノスはその加勢に向かったのである。
間もなく南西部の砦も落ちた。バラスは砦を焼き払わせて、加勢に駆けつけた部隊と共に中央の砦に戻ってきた。ヴェスター軍のロイテルも落とした砦を焼き払って中央の砦へと姿を現した。やがて、後方の宿営地にいた兵士たちも、アゴースに率いられて中央の砦へと到着した。もちろん、ルージ軍・ヴェスター軍その全ての軍勢をこの規模の小さな砦に収容することはできず。砦を中央にいくつもの天幕が張られ、新たな宿営地が広がった。
三人の近習がアトラスの天幕を見つけて飛び込んできた。
「我らが王子よ。初陣で敵将エムススを討ち取られたとか」
テウススが自分のことのように喜びを顔に浮かべ、アトラスに飛びつくように手を握ってそう言った。オウガヌもまたうらやましそうに語った。
「我ら近習も鼻が高い。しかし、次の戦では我らの手柄を王子に披露せねば」
しかし、その祝福を受けるアトラスの顔に喜びがない。スタラススが心配そうに眉をひそめた。
「体のお具合でも? 怪我でもなされたのですか?」
「いや……」
アトラスは口ごもった。戦の興奮と混乱で心の整理がつかず、心情を説明しがたいのである。昨夜の戦いの中、シュレーブ軍の将エムススも傷つき、サレノスは彼を討つ役割をアトラスに与えた。アトラスの心には敵将を討ち取った名誉心など無く、狩りで他の誰かが傷つけた獲物を仕留めた時のような、後悔に似た思いを心に残しただけである。何より、アトラス自身の感覚では一晩中駆け回って剣を振るったというだけで、そこには彼自身の意志は介在していない。何のための戦いだったのか、自分は何のためにいるのか、自分に問いかけつつ、周囲に配慮してその疑問や悩みを表情に出すことがためらわれていた。
「しかし、なんと言うことだ」
オウガヌが非難を隠そうともせず言った視線の先に、アトラスが左腕に付けた銀の腕輪がある。近習たちはそれがフローイ国の王女リミールからの贈り物だと知っていた。アトラスは口ごもりながらもその説明をこじつけた。
「いや。これを身につけておけば、フローイ国の奴らへの憎しみが薄れることがないからな」
「さすがは、我らが王子の思慮は奥深い」
スタラススは素直に寝台に腰掛けたまま身動きしないアトラスを褒めたが、アトラスの心情を正直に語れば、本心を心に秘めねばならない環境で、唯一姉のように接したリーミルなら心を打ち明けられそうに思えるのかも知れない。そして、更に皮肉なことに、彼は上着の下の胸に、シュレーブ国王女エリュティアから贈られたクレアヌスの胸板と呼ばれるお守りを身につけていた。彼女の無垢な包容力を思い起こせば、アトラスは孤独が癒されるような気がするのである。しかし、その両国がいまは敵だった。
近習が雰囲気を盛り上げようとすればするほど、考え込むアトラス。そんな場に伝令の兵が現れて言った。
「我らが王子よ、使いの者が」




