ネルギエの陣にて
フローイ国王ボルススが、夜半、予測したように、シュレーブ国王ジソーが敗戦の全貌を知ったのは夜が明けてからである。身軽な姿で逃げるために重い甲冑を脱ぎ捨て、剣も捨て、負った傷から血を流しつつ槍を杖にした敗残兵たちが、ネルギエの本陣にたどり着き始めたのである。しかし、その数も数十人で途絶えた。三つの砦を合わせれば五百を超える兵士が居たはずだから、生き残った兵士がこれだけというのは全滅といっても良い。砦からは連絡が無く、状況を調べるために出した斥候が戻ってきた。
「何、砦が落とされたと? どの砦じゃ」
居並ぶ将軍たちを傍らに控えさせ、そう問う王ジソーの怒りの表情に、余計なことに触れて自分に怒りが向くことを恐れた斥候は短く答えた。
「北の砦、三つ全て」
斥候の答えに、王ジソーは怒りにまかせて手にした杯を投げつけた。
「馬鹿な。一夜にして? エムススの阿呆はいったい何をしていたのだ」
「それが、エムスス殿は討ち死にされたと」
その報告に絶句する王ジソーに、居並ぶ将軍の中でひときわ大柄な男が進み出て言った。
「我らが王よ。勝敗など時の運。イドポワの門の大勝利に比べれば、エムススが守る砦の敗戦など取るに足らぬもの。私が到着した今、恐れることは何もございませぬ」
「おおっ、ザガラックよ、よう言うた。さすがはシュレーブ一の勇者ぞ」
王ジソーは、昨日、都から増援を連れて到着した将軍を頼もしげに眺めた。この男にそう言われてみれば、まだ、シュレーブ軍単独でさえ、ルージ軍やヴェスター軍を圧倒する兵力がある。
同じ頃、シュレーブ軍の東に陣を敷くフローイ軍の王の天幕の中で、王ボルススが部下の報告にあきれかえってため息をついていた。
「やれやれ、砦を三つともくれてやるとは気前の良いことだ」
一つや二つならともかく、全て奪われるというのは計算違いだったと笑うのである。ただ、シュレーブ軍の豊富な兵の動員力から見れば、まだまだ有利に戦えるに違いない。
王子グライスが尋ねた。
「これからどうなさいます?」
「知れたこと。運命の神の御心のままに」
王ボルススは運命の神の名を挙げたが、運命に頼るまでもなく次の一手は決まっている。ただ、彼はやや首を傾げて居並ぶ家臣を眺めた。
「問題は、誰を使いにやるかということだ」
数人が進み出ようとするのを制して、一人の小柄な老将が進み出て、軽く頭を下げて申し出た。
「私が参りましょう。この老骨ならば、たとえ斬られても惜しくはありますまい」
「おおっ、レアフッダスよ。行ってくれるか」
王ボルススはその名を呼んで笑顔を浮かべた。グライスもよく知っている。若い頃から王ボルススに仕えた忠臣で、グライスも子どもの頃に剣の手ほどきを受けたことがある。王ボルススは肩をすくめて言葉を継いだ。
「しかし、老骨などとは言うてくれるな。そなたは私より二歳は若い。それに、生魚喰らい(セキキルシル)の連中は愚鈍なほど義には篤い。そなたなら斬られることはあるまいよ」
レアフッダスは黙ったまま微笑んで王に応じた。先般の戦いで討ち取ったルージ国王リダルの遺体は丁寧に荼毘に付してある。その遺骨を目と鼻の先にいるルージ軍に返還にゆくのである。
【生魚喰らい(セキキ・ルシル)】新鮮な魚を酢と油で和えて食す習慣のあるルージの人々に対する蔑称




