レネン国にて2
デルタスは微笑みながら天幕の中の人々を眺め回したが何も言わなかった。アトラスはそのデルタスの様子を察し、目配せをして近習たちを下がらせようとした。デルタスはそれを制して静かに笑いながらアトラスを散歩に誘った。
「アトラス殿、しばらく二人で、消えゆく月でも眺めながら語りませぬか」
デルタスの言葉に、アトラスは近習に手を振ってついてくるなと指示し、デルタスについて天幕の外に出て空を見上げれば、デルタスとの初対面の日の満月は今はその一部が欠け始めていた。空を見上げるアトラスの姿に、デルタスはふっと素直な笑いを漏らした。
「何か?」
笑いの理由を問うアトラスに、デルタスは視線を背後に向けた。天幕の入り口からは三人の近習が顔を見せ、留まれと命じたにもかかわらずついて来る気満々の様子である。
「スタラスス、オウガヌ、テウスス!」
アトラスはその名を喚んで命令に従えと念を押した。
「忠実な方々だ。アトラス殿の身辺が心配なのですよ」
デルタスは陣の中に置かれた荷の一つに腰をかけ、アトラスにも座るように促しながらそう言った。
「身辺が心配?」
「私がその辺りの闇に刺客を忍ばせ、アトラス殿を誘い出せば、アトラス殿のお命一つでこのルージ軍とヴェスター軍は瓦解いたしましょう」
「そういうものか……」
刺客をという物騒な話題に素直に頷くアトラスを愛でるように、デルタスは朗らかに笑った。ただ、明日の出立の準備に慌ただしい陣の中では、デルタスの笑い声もかき消され、二人の会話に耳を挟む者も居ない。意外にも、たった二人で会話をするには丁度良い。
「やはり、アトラス殿は、見込み通りの、正直で包容力のあるお方」
「かいかぶられては困る。私は我らが王の死に心が乱れて収まらぬ。家臣の者どもにまで酷い醜態を晒している」
「お父上を、我らが王と?」
デルタスがそう言うのは、肉親を父という言葉でなく肩書きで呼ぶのかという疑問である。アトラスはやや考えて答えた。
「そう呼ぶのが、ルージの習わしです」
デルタスは語り始めた。
「私が父と呼ぶべき方は、アトランティス議会の折りに、聖都で数日を共に過ごすだけ。特別な感情はわかず義務的な会話をするのみ。レネン国王としての父親に対する愛情が薄いと言われても仕方がありませぬ。家族というものが良く理解できませんでした」
デルタスの言葉に、アトラスは境遇こそ違え、父に対する同じ思い感じ取った。デルタスは静かに言葉を続けた。
「私が初めて家族というものを意識させたのは、先日、十二年ぶりに帰国した折、私を出迎えた幼いレンスでした」
「レンス?」
「ユマニ王妃の息子です」
その表現で、アトラスはレンスという子どもが、デルタスの腹違いの弟だと悟った。デルタスは、その弟に他の人物には感じない家族を感じたと言うことである。
「レンスは私を兄さまと呼び、シュレーブでの話をねだり続けました。私のつたない経験を目を輝かせながら聞いてくれましたよ。本当に心が安らぐ時間でした」
もともと口数は多くないタチだろうが、そのデルタスが、幼い弟が自分のお気に入りの玩具を兄に与え、兄が好むと聞いた草花を自らからたおって兄の元へ届けてというような些細な出来事まで、楽しげに事細かく話した。ただ、その目にどこか寂しげな不安が漂っている。
「そのレンス殿がいかがされたのですか?」
「いえ。何も……」
「では、何かレンス殿の体調に不安でも?」
アトラスが重ねた問いに、デルタスは話題をそらすように立ち上がった。
「長居をしすぎたようだ。今夜はこれでおいとまいたしましょう。無駄な話をお聞かせしてしまいました」
デルタスの目は微笑んではいるが、口元は固く結ばれて、何かの決意を秘めているようだった。デルタスが現れた時、アトラスは新たな密談かと考えたがそうではなかった。ただ家族の話をしただけである。
(弟のことを語っておきたい)
そういうデルタスの思いを受け止める者は、アトラス以外にいなかったということである。
明くる日の昼過ぎ、行軍の先頭をゆく王レイトスは、王子デルタスを護衛して都へ送り届けると称して、百名ばかりの兵士を連れて本隊を離れ、本隊は王に代わってメノトルとロイテル、戦に熟練した二人のヴェスター軍領主が率いた。明くる日、サレノスとアトラスが先頭にルージ軍を率い、ヴェスター軍はその後に続いた。




