六神司院(ロゲルスリン)の使者3
「我が国の館の者どもは、どうした?」
アトラスはこの使者の顔に記憶はなかったが、使者はアトラスを記憶していたらしい。そして、ルージ国の王子がこの国にいることも察していたように、驚きも隠さず言った。
「おおっ、父を失った哀れな子狼よ。神帝暗殺の犯人が留守居役を務める館など、真っ先に詮議の対象になった」
「神帝暗殺の犯人だと」
そのアトラスの言葉に、正使は従者に持たせていた布の包みを解いて掲げて見せた。
「見なされい。神帝を暗殺した犯人が帯びていた剣である」
正使が掲げた短剣の束にアクアマリンがはめ込まれ、青い輝きを放っていた。紛れもなくルージ国王家を示す品である。正使は言葉を継いだ。
「これでも未だ言い逃れをするおつもりか!」
「六神司院よ、謀りおったな。これは我が王が家臣ザイラスに与えたもの」
「そう、ザイラスとか申したな。その暗殺者がこの剣で神帝の命をうばいおった」
「暗殺だと。そのザイラス自身から状況を聞きたいものだ。ザイラスはどうした」
「反逆者は斬首され、その首は塩漬けにされて、反逆の証拠として既にルージ国に届いておるわ」
「六神司院が、ザイラスを殺したというか」
「薄汚い暗殺者の末路などそうでなくてはならぬわ」
アトラスと正使の会話が熱くなる中、王レイトスが疑念を呈した。
「それは異な事を。王の身分でも、神官でもない者が、いかにして神帝に謁見できるというのか」
去るアトランティス議会で、アトラスが神帝と謁見した。アトラスはルージ国王子という身分だが、それですら、フローイ国王の推挙を得た特別な例に過ぎない。ましてや、ただの家臣が神帝に直接に謁見を賜るなどあり得ないのである。そして神帝の周辺には常に護衛の僧兵が控えており、近づくことすらできないはずだ。更に、例えどのような身分の者とて、剣を帯びたまま謁見が許可されることはない。
ルージ国の一家臣が、神帝に接近し、その身を害するなどあり得ないことなのである。ルージ国の家臣が神帝を暗殺したという使者の話は、受け入れがたい矛盾に満ちていた。
「王レイトスの申すこと、ごもっとも。ザイラスが神帝を害することなどあり得ようか。まして、ザイラスは我が家中でも厚い忠誠で知られた男」
「厚い忠誠ですと。熱い忠誠を持つ男が神帝を殺める。では、神帝の暗殺者の意志は、ルージ国の意志だと言うことに間違いあるまい?」
正使の言葉は口が達者という点では、生来無口なアトラスを圧倒した。アトラスに理があるはずだが、正使はそれを逆手にとってルージの謀反に結びつけるのである。アトラスは苛立ち剣の束に手をかけた。正使はその行為を咎めて言った。
「おぅっ、私を殺めなさるつもりか。その見苦しさも反逆者リダルのお血筋か?」
「我が王を侮辱するかっ」
「この六神司院の使者、斬れるものなら、斬ってみるが良かろう」
父を失い、今また兄とも慕う近習ザイラスを六神司院に謀殺されたことを知った若者の心情を考えれば、正使のこの言葉は軽率だった。
「では、望みとおりに」
アトラスはそう言い終わらぬうちに腰の剣を抜き、水平に振るって使者の首を落とした。悲鳴を上げる間もなく使者の首が床を転がり、アトラスは残された体の首の切り口から飛び散った血潮を浴びた。自分の行いの結果に、アトラスは冷や水を浴びせかけられたように冷静になり、王レイトスを振り返った。レイトスはアトラスが謝罪の言葉を発する前にアトラスに声をかけた。
「痛快ではある。しかし……」
衝動的であったとはいえ、横柄な態度が鼻をつく使者を切って捨てたというのを、咎める気はない。あの不遜な態度に、レイトス自身が考えなくもなかった。その想像の中の状況通り、正使の首と胴体に分かれた死体をかたづけ、突然に主人を失ってあわてふためく正使の従者二人を部屋に押し込めるよう兵に命じた。いずれ、首なし死体はあの従者に聖都まで持ち帰らせればよいと考えていた。王レイトスは言葉を継いだ。
「やっかいなことにもなった」
その言葉が、自分が衝動的に正使を殺害したことかと、アトラスは恐縮したが、続くレイトスの言葉はそうではなかった。
「六神司院の使者は、既に各国に出向いておろう」
王レイトスの言葉に、サレノスが賛同した。
「おそらくは、あの正使と同じ事を、各国の王どもに告げているでしょう」
「我々は六神司院によって、反逆者に仕立て上げられたと言うことだ」
「我らからも各国に使いを出せばよろしいのでは。あの程度の陳腐な口上を各国が信じるとは思えませぬ。我らに義があることを説けば、各国も納得しましょう」
アトラスが言うのは正論である。六神司院の使者の口上に、王レイトスがすぐさま疑念を抱いたように、家来の一人が神殿の奥に侵入し神帝を殺めるなどできることではない。第一、アトランティス解放のために兵を挙げると宣言したルージ国に神帝を殺める動機はないのである。
アトラスの言葉に、王レイトスとサレノスが顔を見合わせたが、この時は王レイトスが若く純粋なアトラスの説明役を買って出た。
「国は利によって動く。よいか、アトラス殿。シュレーブ国とフローイ国でさえ、六神司院の言い分など端から信じては居るまい。ただ、六神司院の宣司によって、奴らは我々を滅ぼす口実を得た」
「シュレーブ国とフローイ国は、アトランティスを蛮族から解放する我らの敵に回ったというのですか。自国の利のために?」
「そうだ。そして今、事実には尾ひれがつけられ、ルージ国が初戦で大敗した、リダル王が戦死したという事が広く喧伝されているはずだ。その状況で、成り行きを見守っている他国はどちらにつくと?」
「我らの敵側に?」
「その通り。ここはシュレーブと一戦交え、シュレーブ国とシュレーブ国をあやつる六神司院には真理の女神の加護はないことを示さねばならぬ」
王レイトスの言葉にサレノスが頷いて同意した。
「まずは一戦あるのみですな」
「勝つ見込みは?」
「なければ作りましょう」
サレノスはそう言い、アトラスに向き直って言った。
「デルタス殿の言葉通りなら、次の戦で我らが相まみえるのは、増援を受けたシュレーブ軍が五千、フローイ軍が二千あまりかと。それなら、今の我々にも見込みがありましょう。ただし、ここに他国の軍が加われば……」
「我々が不利になると」
「我らが王子には、まず敵を討ったのち帰国していただくのがよろしいかと」
アトラスが帰国と王位継承の儀式は、とりあえず日延べし、まず現状の兵力で一戦せねばならない。それについてアトラスに異存はない。しかし、彼は気がかりな人物の名を口にした。
「では、デルタス殿のことは」
レイトスはアトラスの言葉に答えず、笑顔に少し眉を顰め、肉親に語りかける優しさで話題を変えて言った。
「おおっ、すまぬな王子よ、そなたの姿に気づかなんだ。あの畜生めの血が臭いおる。まずは血で汚れた御身を洗い、衣服を改めてまいれ」
レイトスは傍らに控えていた侍従に顎をしゃくって合図し、血まみれの王子のために風呂と替わりの衣服を準備しろと合図をした。アトラスも改めて自分の姿を眺め回して、この凄惨な姿が、他国の王の前で不敬に当たるのではないかと悟ったらしい。何も言わずに侍従に導かれて王の間から姿を消した。
レイトスはサレノスに目配せをして、この間に留まるように伝え、別の侍従に命じた。
「デルタス殿をお連れ申せ」
この時、サレノスは察した。昨夜の庭園でのこと。静かに月光が降り注ぐのみの闇の中である。木々の影に一人、忍ばせておけば、庭園での会話など聞き取れただろう。この王はデルタスがアトラスに仕えたいと言ったことと、その意図を知っているのである。
アトラスを体良くこの場から下がらせたのは、これからデルタスと話す内容を聞かせたくはないと言うことである。
サレノスには、サレノス王の意図をそれ以上のことを察することはできなかったが、レイトス王の決意を秘めた表情から、ただならぬ事を言い出すに違いなかった。
衣類を改めて、アトラスが王の間に戻った時には、王の間に控えていた兵士や重臣は姿を消しており、王レイトスの傍らに控えるサレノスと、ややうつむき加減に考え込むデルタスの姿が見えた。王レイトスがアトラスが戻ったことに気づいて声をかけた。
「おおっ、アトラスよ。たった今、デルタス殿との相談も成った。我らは、明日の昼に出陣する。今回は儂が先陣を努め、デルタス殿には我が陣に加わって頂いてご案内を願う」
本来なら自分が不在の間に、出陣という重要なことを決めたのかと腹立たしくも感じるかも知れないが、この時のアトラスは、レイトスの先陣という言葉に惑わされた。
「私に父の敵を討たせてください。先陣は是非、この私に」
「焦るではない。レネン国を通過するまでのこと。それから先、先陣はルージ国に譲る故、ネルギエでは大暴れをしてみせるがよい」
ヴェスターとルージ軍は戦のために隣国レネンを通過する。その時のみヴェスター軍が先導するというのである。先陣を任せるというのならアトラスに異存はないらしい。
デルタスはそんなアトラスを眺めているようだったが、心に隠した感情が悲しみや戸惑いの表情になって移り変わっていた。
アトラスは手にした短剣を固く握りしめた。元は父のもの、今は信頼する近習の形見となったものである。復讐を誓っているように見えた。




