表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/491

レニグにて:近習たちの夜

 同じ頃、レニグの都の郊外に陣を張って駐屯する第二陣のルージ軍の天幕の一つに、オウガヌらアトラスの近習たちが居た。アトラスに口にした理由は様々だが、それぞれがこの陣に用を見いだしたと称して、アトラスの身辺を離れてここに集っているのである。

「それにしても、我らが王子のあの言葉は、何とも嘆かわしく、腹立たしい」

 オウガヌが何度繰り返したか分からない言葉を、腹立ちが収まらぬまま繰り返した。言うまでもなく、アトラスが敗残兵を連れ帰ったバラスとアゴースに放った、臆病者という失言のことである。オウガヌはとりわけバラスの息子のラヌガンと仲が良い。そのラヌガンが悔し涙を浮かべてアトラスに反駁した姿が焼き付いているのである。テウススやスタラススも思いは同じだった。しかし、やや冷静になってみると、王子から距離を置いてしまったことに罪悪感もわく。

「もどった方がよいのでは」

 スタラススの言葉を全て聞きもせず、その結論を否定するようにオウガヌが尋ねた。

「どこへだ?」

「むろん、我らが王子の元へ。我らは近習となるときに、王子への変わらぬ忠誠を誓ったはず」

「忠誠だと。忠誠は王たる者の資格にこそ捧げるもの。その資格を持つ我らが王リダル様は既にこの世に亡く、その息子の才覚は父に遠く及ばぬ」

「オウガヌよ、言い過ぎだ」

 テウススの非難に、オウガヌ自身がそれを自覚していたらしく口ごもったが、突然に視線を転じて話題を変えた。

「おおっ。犬が残飯でも漁っているのかと思うたわ」

 天幕の入り口にちらりと姿を見せた人物に、オウガヌはそんな言葉を投げかけたのである。スタラススとテウススは振り返ってその人物を記憶の中に辿った。下級兵士というイメージがあって、ゴルススという名は記憶していない。ただ、サレノスの傍らに侍っている青年だと、その顔を覚えていた。下級兵士の持つ槍を小脇に携え、闇の中で律儀に見回りをしていたのだろう。それもまた、下級兵士の重要な仕事の一つだった。ただ、彼が身につける衣服や甲冑は身分にふさわしくなく、貴族が身につける物に近い。

 ゴルススはオウガヌの侮辱の言葉を当然のことのように受け入れた。

「俺が犬に見えるというなら、その通りだろうよ。俺にはサレノス様という仕えるにふさわしい主人が居る」

 話の内容は謙虚だが、下級兵士が貴族に示すべき敬意は感じられず、オウガヌは苛立ちを深めた。

「サレノスだと? 老いぼれの主人は見限って新たな飼い主を見つけた方が良さそうだな」

 そんなサレノスへの侮辱の言葉に、自分に対する侮辱には顔色を変えなかったゴルススが苛立ちを隠さずに言い返した。

「しかし、お前たちはどうだ? 飼い主も持たぬ野良犬に見えるぞ」

「この下賤の者が、我ら貴族に何を言うか」

「ほぉ。私のような下賤の者が主を持ち、貴族が主もなく吠えまくる野良犬とは、不可解なことだな」

「野良犬だと」

「忠誠心を失って、主人の下から逃げ出した犬など、ただの野良犬にも劣るだろうよ」

 オウガヌはアトラスの元を離れたという彼らの会話を、ゴルススに聞かれていたことを知った。ゴルススも盗み聞きをしていたわけでは無かろう。静まりかえった夜半に、陣の中を見回っていたら興奮した会話が聞こえてきた。騒ぐ者どもを確認しようとやって来てこの状況に陥ったと言うことである。

 反論の言葉もなく、オウガヌはこの無礼者を切って捨てようという衝動に駆られて剣の束に手をかけた。その時、新たな声が響いた。

「愚か者がっ」

 サレノスだった。一瞬、近習たちはサレノスが貴族に無礼に言葉を吐いた部下を怒鳴ったのかと思ったがそうではない。彼の視線は言葉と共に近習たちに向けられていた。サレノスは静かに言った。

「儂は、我らが王子に詫びねばならぬ」

 意外な言葉に近習たちは首を傾げたが、サレノスは直ぐにこの理由を続けた。

「お前たちが、儂の側をうろついておるのは、我らが王子が、姑息にもお前たちに儂の身辺を探らせているのだと思うていた。しかし、そうではなかったらしい」

 サレノスはここで言葉を荒げ怒鳴るように言い放った。

「今この時、王子を支えるのがお前たちの役割。それを放棄するとは何事かっ。我らが王リダルがご健在なら、前たちの命はなかったものと考えよ」

 その言葉にオウガヌが反駁した。

「サレノス殿。暴言が過ぎよう。我が父ストパイロはそなたと同格。いや、我がファスヌ家の家柄は、そなたの家柄より尊かろう」

 オウガヌは、先ほどはサレノスに仕えるゴルススを犬とあざ笑い、今はサレノスの血筋が自分に劣るというのである。ファヌス家を数代前に遡れば、彼の祖先は、王家の姫を嫁に迎えた実績がある。その王家の血筋の僅かな濃さを誇るのである。オウガヌは決して無能な若者ではなく、王家に対する忠誠心も厚いが、その根拠は王家の血筋が全てで、彼は自分の血筋の良さを鼻にかけることがある。

「それでは、この剣で、儂がそなたらの首をもらい受け、我らが王子にお届けもうそうか」

 サレノスが腰の剣を掲げて見せた。第二陣を監督せよとの指図と共に王から託された剣である。束にアクアマリンがはめ込まれた、紛れもない王家の品である。しかし、興奮したオウガヌはそれをあざ笑った。

「我らが王子の才覚がリダル様に遙かに及ばぬのと同様に、そんな剣など所詮は模造品。リダル様の持ち物に及ばぬ」

「まだ言うかっ」

 静かな声音だった、それだけにサレノスが僅かに抜いて鞘から覗いた白刃に、灯明の明かりが反射して冷たくぞっとする迫力があった。サレノスとオウガヌのやりとりを見守るしかなかった近習たちの表情が、意外な展開への驚きに変わった。オウガヌ自身もレノスの肩越しに見えた人物に驚きを見せた。

 思いもかけず話題の主が姿を現したのである。アトラスは静かに言った。

「オウガヌの言うとおりだ。私の才覚はとうてい父には及ばぬ。私は冷静さを欠き、思慮に浅いところがある」

 今まで当事者の一方だったサレノスとゴルススは、仕える主に返す言葉も持たなず黙りこくる近習たちを眺めた。アトラスも無言で近習たちを眺めていたが、振り返ったサレノスに視線を移して言った。

「サレノスよ。この者たちは、今まで愚かな私を支えてくれた良い近習たちだ」

 アトラスはサレノスにオウガヌたちを許せと語っている。サレノスはそれを悟って白刃を鞘に収めた。アトラスはそのまま皆に背を向けた。

「我らが王子よ。何処へ」

 スタラススがようやく言葉を発し、アトラスが短く答えた。

「バラスとアゴースの陣へ」

 アトラスは、第一陣に加わって兵を撤退させてきた者たちの所へ行くというのである。王子の背を追ったスタラススの声が響いてきた。

「何をなされます?」

「臆病者だと罵ったこと、バラスとアゴース、そしてバラスの息子ラヌガンにも詫びねばならぬ」

「では、このスタラススも共に参ります」

「良い。一人で行く」

「しかし……」

「くどいぞ」

 アトラスを載せた愛馬アレスケイアのひずめの音が遠ざかっていった。

 スタラススが戸惑い肩を落として天幕に戻ってきた。テウススが言った。

「追いかけぬのか?」

「しかし、我らが王子がついて来るなと……」

 そのスタラススをサレノスは怒鳴った。

「馬鹿者め。我らが王子の元を離れる時には、勝手な理屈をつけおったくせに。今は王子を追うのと、追わぬのと、どちらが忠誠か。儂はもう何も言わぬ。お前たちがそのおろか者の頭で考えよ」

 その言葉に、スタラススとテウススが顔を見合わせ、次の瞬間に駆けだして行った。

「お前は、野良犬のままか?」

 取り残されてたたずむオウガヌは、そんなゴルススの侮辱の言葉に、一瞬怒りの表情を見せたが、直ぐに後悔の表情に変えた。もちろん、アトラスの能力を父に及ばないと言い放ったことを思い起こしてのことである。ゴルススは言葉を継いだ。

「王子の言葉が失言だったのなら、お前の言葉も本心ではあるまい、感情に走り、口が滑っただけだろう。犬なら犬らしく主人のやり方を学べ」

 ゴルススはオウガヌに自分の失言の非を認めよというのである。サレノスはその皮肉を込めたアドバイスを支持しながらも、ゴルススの物言いに苦笑したくなる。オウガヌが血筋によって他者に不遜な態度とるのだが、このゴルススもまた高貴な血筋などまるで気にかけぬ、貴族を犬呼ばわりする不遜さを持っている。ただ、このオウガヌという誇りのみ高い若者はもう一押ししてやらねば動き出すきっかけがつかめぬだろう。そう考えたサレノスはオウガヌに短く言った。

「行けっ」

 オウガヌは戸惑いと怒りの視線をゴルススとサレノスにちらりと向けた後、天幕から走り出ていった。

 サレノスは天幕の入り口で、闇にとけ込む彼の背を眺めた後、空に視線を移した。雲一つ無い空に無数の星が輝いていた。気づけば、ゴルススも傍らで同じ空を見上げている。サレノスはぽつりと言った。

「ゴルススよ。お前はまだ儂を父と呼ばぬか」

 サレノスの言葉に、ゴルススは少し間をおいて頭を下げた。

「畏れ多いことを。私は農夫の倅のゴルススにて」

「ややこしい、父と子だのぉ」

 サレノスはそんな言葉をため息とともに吐き出した。父と息子の関係を考えながら、王リダルのことをその息子アトラスに語って聞かせてやらねばならないだろうと考えていた。しかし、それもアトラスが帰国し、王位に就いて戻ってきてから。一月以上は先だろう。この夜、サレノスもアトラスの帰国が中止になるとは想像もできずにいた。

 聖都シリャードからの使者がやってくるのは明くる日のことである。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ