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レニグにて:月下の庭園

 夜も更けかけた頃、ヴェスター国やルージ国の者どもは、軍議の席を食事の場に移し、それも終わった。もちろん酒を飲んで騒ぐという雰囲気ではない。つい今朝方まで、間近に迫った出陣準備で慌ただしかった宮殿内も静まりかえり、兵士たちの不安な囁きが風に乗って静かに広がるようだった。アトラスの近習たちは郊外の陣に戻り、残されたサレノスがまだ残された仕事があると言わんばかりに、アトラスの傍らに侍っていた。

「我が王子よ、リダルの血を引く者よ。レイトス王が言われたこと、心に刻まれましたな」

 サレノスは王の死という表現は避けながら、アトラスのその役割を担う覚悟を決めよというのである。

「分かっているというに」

 アトラスはそう言ったが、進むべき方向を見失ったように落ち着き無く視線を泳がせていた。偉大な王、偉大な父を突然に失って混乱が収まらないアトラスに、サレノスはなんとかこの若者の心を落ち着かせねばならない。我が王子という普段用いる敬称を捨て、サレノスは若者をその名で呼んだ。

「アトラス様。お父上も静寂の混沌ヒュリシアンから見守っておられましょう。まずはお気きを鎮めて我らルージの民を導く決意を固めなされ」

「くどいっ」

 アトラスの苛立ちの言葉に、サレノスは言葉を返そうとして不意に黙り込んだ。月の光に照らされた庭園の一角に居る人影に気づいたのである。隠しておきたいルージ国の混乱する様子を誰かに聞かれてしまった。そんな思いである。

 その人影は存在を隠そうとする気配はなく、ただ自然に夜空を眺めているように見えた。男は静かに言った。

「月が冴え渡っています」

 独り言か、アトラスやサレノスに語りかけたのか分からない。ただ、その声には記憶があった。

「デルタス殿か」

 サレノスの問いかけに、別の形で声が帰ってきた。

「月の光に照らされる花々もまた美しい」

(そうではあるまい)

 サレノスはそう思った。アトラスはレイトスと近しい関係だけに王宮の中心に近い位置に寝所が与えられている。一方、デルタスは王子の身分とはいえ他国の使者である。与えられる寝所は王宮の離れに位置するはずだ。デルタスがここにいるということは、何かの理由があって足を運んだと言うことである。

 相手の意図を察する一瞬の間の後、花壇を形作る岩の一つに腰掛けていたデルタスが静かに言った。

「他には誰も居らぬ様子。しばし、話し相手でもつとめては下さいませんか」

 ここに居る者以外に、会話の内容が漏れる心配はないから、三人で密談をしようと誘っているのである。デルタスは自分が座っている岩と間隔を置いて並んでいる二つの岩を、手を伸ばして指し示した。その物静かでおおらかな仕草が、今まで混乱していたアトラスの心を静めるかのようで、アトラスは静かにデルタスと向き合って座った。サレノスはデルタスの意図を伺うようにアトラスの傍らに立ちつくしたままである。月がアトラスとサレノスの背後から射していて、デルタスには闇に閉ざされた二人の表情を読み取ることはできない。しかし、それを気にする様子もなく、デルタスは話を始めた。アトラスは月の光に照らされたデルタスの表情に、静かな微笑を読み取った。

「先ほど、レイトス王の前で私が申したこと、一句たりとも事実と相違ございませぬ。しかし、全てはフローイ国のボルスス王の受け売りです」

「では、デルタス様を我らに遣わしたのは、フローイ国だということですか?」

「そういうことになるでしょうか」

「そういう内情を我らに明かして良いものですか」

「シュレーブ国のジソー王はともかく、フローイ国のボルスス王は、私がここで明かすことなど気にもとめますまい」

 アトラスが口を開いた

「しかし、どうして私にそのようなことを明かすのです?」

「見たところ、正直なご気性。そして、心を隠す者より露わにする者の方が信頼が置けましょう」

「私が正直だと?」

「正直であられる。今の貴方の心の乱れが、お顔に滲んでおりますよ」

 思いもかけない言葉に、アトラスは質問を転じた。

「では、ジソー王やボルスス王はいかがでしょう。シュレーブ軍とフローイ軍が、我が先鋒のアガルススと、我らが王リダルを討ち取ったことで勝利したと考えて兵を退きはすまいか」

「それは無いでしょう。彼らが殲滅するはずだったルージ軍の主力は、その半数以上が無傷で退きました。そして、今はアトラス殿が率いてきた増援もございましょう。更には、ヴェスター軍も無傷で残っております。そのような軍勢をそのまま放置するわけにはゆきますまい。是非とも一戦して殲滅をと望んでいるはず」

 そんな言葉を聞きながら、アトラスはやや別のことを考えていた。残されたルージ軍の兵力が、敵に脅威を与えているというなら、その功績は兵を無事に戦場から撤退させたバラスとアゴースにある。その二人を臆病者呼ばわりした記憶が、アトラスの心の底に罪悪感をにじみ出させた。デルタスはアトラスそんな心も知らないまま話し続けていた。

「あなた方に王の仇討ちという戦う理由があるのと同時に、彼らにも一戦交える必要があるということです。ただし、我が国の意図を盛り込めば、両勢力の間に位置するレネン国が戦場になり、荒れ果てるのは避けたいともいえましょう」

 デルタスの説明は明快だった。ネルギエの地で一戦するということについて、両陣営とレネン国の目論見は一致しているのである。二人の王子の会話にサレノスが割って入った。

「しかし、ボルススの提案となれば、ネルギエの地に何か姦計が隠されていて、我らをおびき寄せる算段でもしていると言うことでしょうか」

「それも無いと考えます。ネルギエの地は村を除けば北に人が渡ることを許さぬ深い川があるだけの荒れ地です。未踏死の良い地形で伏兵を置くこともできますまい。彼らにできるとすれば、これから戦場となる地に堅く防御陣を敷き、いくつかの前線の砦を作る程度でしょうか。戦は敵味方が正面からぶつかることなりましょう」

「真正面から? こちらも望むところ……」

 衝動的に勇ましい言葉を排吐いたアトラスが口ごもった。彼は帰国するという予定になっているのである。

 星空に包まれた美しい庭園の中に、再び静けさがもたらされた。その静けさの中、デルタスが微笑を消して再び語り始めた。自分が目撃した戦の状況である。もし、幾多の人々の死を無駄にせずにすむとしたら、イドポワ街道の出口で自分が見たことを、この場でルージ国を代表するアトラスとサレノスに伝えておくことだろう。アガルスス率いるルージ兵が死ぬまで戦い続けたこと。戦いの後、シュレーブ軍は怒りにまかせてルージ兵の死体を切り刻むように乱暴に扱って野に晒していること。門の内側の出来事は目撃していないが、フローイ軍兵士から伝わってきてのは彼らが、自軍の兵士の死体と共にルージ軍兵士の死体ばかりではなく王の愛馬まで敬意を込めて葬ったことである。

 アトラスとサレノスは静かに頷いて話を聞いた。デルタスが語る言葉は、戦いの直後に、バラスが偵察のために送り出した幾人もの兵士が持ち帰った情報を裏付けていた。いつの間にか、明るく輝く月が中天に達し、アトラスとサレノスの表情も露わに照らし始めていた。

 意外に静かな二人の表情を確認したかのように、デルタスは意外な申し出をした。

「私をルージ国で、アトラス殿の元で、お使い下さらぬか。シュレーブで育った経験が役に立ちましょう」

 あまりに意外な言葉に、アトラスとサレノスは耳を疑うように絶句した。国と国との間に同盟を結ぶというのでは無く、小国とはいえ一国の王位継承権をもつ王子が、他国に仕えたいというのである。そのような例は、老練なサレノスも聞いたことがない。

 驚くのも当然だといわんばかりに苦笑を浮かべたデルタスがその理由を語った。

「レネンに帰国すれば、私は殺されましょう」

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