レニグにて:アトラスの失言
ルージ軍自身の情勢がもたらされたのは夕刻だった。王都レニグに、第一陣に加わって一隊を率いていたバラスが息子ラヌガンを従えて姿を見せたのである。ヴェスター国の主要な領主と、ルージ軍第二陣を率いる領主たちが顔をそろえて、二人を王の間に出迎えた。
バラスは負傷した左腕を首から吊り、股に巻いた包帯から血が滲むという悲惨な姿である。思いもかけない姿に親子を迎えた王宮は緊張した。アトラスが怒鳴るように聞いた。
「バラス。父は、我らが王は、いかがした」
「わかりませぬ」
「わからぬだと」
「我らは王より、『シュレーブ軍の待ち伏せを受けた故、退け』との命を受けました。」
「シュレーブ軍だと」
「我ら自身も進もうとしてシュレーブの奴らめに阻まれました」
バラスの言葉にも誤解がある。リダル王の隊に追従していたバラスの部隊を襲ったのは斜面に陣取っていたフローイ軍の右翼の一部である。ただ、王からシュレーブ軍の待ち伏せという連絡を受けた直後、崖の上から落とされた岩で行く手を遮られるのと同時に、彼ら自身も被害を被っていた。フローイ軍が振る緑旗も、ほとんど垂直な崖の上で、目撃していないのである。話を聞いていた王レイトスが口を差し挟んだ。
「しかし、何故、シュレーブ軍が我らを襲う」
「その目的も分かりませぬ。ただ、先鋒のアガルスス殿の使者がシュレーブの軍旗を確認したと言うのは間違いございません」
「お前は何をしていたのだ」
アトラスの言葉に怒りと焦燥が混じっていた。バラスは冷静を保ちつつ事実を述べた。
「我ら自身も進もうとして攻撃を受け、王の命令を守って退くしかありませなんだ」
そのバラスの言葉に、イドポワ渓谷の地形をよく知る王レイトスを始めとする諸侯は頷いた。あの地形で前方を行軍する者たちが後退しようとするなら、後方にいたバラスらが先に後退してやらねばならないと納得したのである。サレノスらルージ軍の練達した諸侯は別の観点から考えていた。ルージ国は王の命令が絶対でその命令に反することは何人たりと許されない上、戦に熟練した王リダルの判断にも間違いはあるまい。バラスが後退するという判断は間違ってはいない。ましてや、バラスの負傷を見れば、無理をおして前方の様子を探ろうとしたことも伺えるのである。
しかし、バラスの言葉にアトラスのみ激高した。
「臆病者め! 我らが王を置いて逃げ帰りおったな」
その叫びのあと、王の間は凍り付くように静まりかえった。質実なアトランティス人、とりわけルージ国の人々は、怠惰、卑怯といった言葉が投げかけられることを嫌う。その言葉の中でも、最も人の名誉を傷つける卑怯者が逃げ帰るという表現で、アトラスは忠臣をなじったのである。
(失言だった……)
叫んだ瞬間に、アトラス自身がそう考えていた。バラスはアトラスの言葉に黙ったのみで反駁せず、傍らいた息子のラヌガンが、悔し涙を浮かべて反駁した。
「なんというお言葉か。我が父が先の遠征では王と共に戦い、長く忠義を尽くしたのをお忘れか」
アトラスはバラスへの怒りの表情を消すことなく、黙ってラヌガンの言葉を浴びた。心は無垢でありながら、荒々しい武人を装って生きてきたアトラスである。悲しい二面性を持ったこの青年には、それ以外の対応はあり得なかった。ただ、もう少し時間をおけば、この親子に素直に謝罪していたかも知れない。
思いあまったようにサレノスが口を開いた。
「バラスよ。我らが王子は父君の安否を気遣って混乱しておられる。今は、下がって傷の手当てをせよ」
「いえ、我らはアゴース殿に兵を預け、イドポワ街道の入り口に布陣しております。そこで我らが王の帰還を待ちたいと考えます」
バラスは街道から兵を後退させたあと、その入り口部分に、同輩のアゴースと共に布陣しているというのである。僅かでも戦いの状況を嗅ぎ取ったバラスと息子ラヌガンのみが状況を伝えに戻ったというのである。
王の間から姿を消す直前に、ラヌガンがちらりとアトラスを振り返って、怒りと悲しみの表情を見せた。アトラスはそのラヌガンに謝罪どころか何の言葉もかけることもできなかった。ふと見回せば、アトラスを囲むようにいた近習たちも、アトラスに冷ややかな視線を注いで黙っていた。アトラスを中心に兄弟のように育った者たちである。その内の一人、ラヌガンの父を臆病者呼ばわりし、ラヌガンがその罵声に抗議をしたという光景は、他の近習たちの心にも疑問や反感の芽を生んだに違いない。
「リダル王の安否と、シュレーブの意図が分からぬでは我々も動きようがない。どうじゃ、今しばらくレニグに逗留しては?」
ルージ軍の決断を問いつつ、ヴェスター軍の出陣は延期するという決断を匂わせていた。それがヴェスター国王レイトスの決断であるらしい。
「我らが王子よ。第一陣はバラスとアゴースに任せてそのまま街道入り口に布陣。我ら第二陣は王の言葉に甘えて、今しばらくレニグに逗留するのが良かろうと存じますが」
サレノスはアトラスにそう声をかけ、アトラスが黙って頷くのを見て、王レイトスに返答した。
「仰せのままに。今しばらくご厄介になります」




