レニグにて:異変の予兆
そんな会見のあとに準備されていた宴席は、スタラススらアトラスの近習たちを更に喜ばせた。戦の前という状況で、陽気な音曲や女たちの華やかな舞は控えられていたが、大きな丸いテーブルの上には山海の珍味が並べられ、湯気と共に食欲をそそる香りを放っていた。戦に出れば、しばらくは、こういう贅を尽くした食事を取ることはできない。戦の前にふさわしい心づくしだった。
「おおっ、アトラスよ」
先にテーブルに着いていた老女が宴席に入ってきたアトラスを見つけて立ち上がり、その体を柔らかく抱きしめた。
「おおっ。レイケ様もお元気そうで何よりです。ユマニさまもお久しゅう」
「あれは?」
スタラススがその二人の女と彼が仕える王子の関係に首を傾げた。ルージを離れ海を渡ったのは初めてのスタラススにとって、当然の疑問だったかも知れない。オウガヌが笑いながら答えた。
「リネ様とレイトス様のお母君だ。我らが王子の母方の祖母というわけだ。傍らにいるユマニ様はレイトス王の后で王子の叔母にあたる」
この人々の奇妙な会話は神々まで拡大して考えねば分かりにくい。彼らは真理の神ルミリアの元に集い政略結婚を禁じた定めを、自由恋愛という理由にこじつけて破っている。篤い信仰と現実社会の狭間で、祖母や孫という血縁関係に関わる言葉を封じているのである。
宴も半ば、杯を片手にした王レイトスは、そんな神に関わる心情を象徴する言葉を吐いた。
「私はこの大地と、ここで受けるた生を見守る者に、仕えるのみ。神々にはその姿をご照覧いただきたく」
その言葉に、王母レイケは満足げに孫のアトラスを眺め、后ユマニはいままで何度聞かされたか分からないとあきれ顔を浮かべた。レイトスはスタラススらアトラスの近習の顔を眺め回して機嫌良く言葉を継いだ。
「アトラスがそう言い放ったときの六神司院の腐れ神官どもの顔、そなたたちにも見せたかったぞ」
アトランティス九カ国を束ねる組織としてアトランティス議会があり、神帝が君臨する。六神司院とは神帝を補佐する六人の神官集団で構成する組織である。
アトラスがフローイ国の姫を暴漢から救った勇者として、議会に招集されて並み居る王たちや神帝に謁見した。そのとき、六神司院の神官たちが何故かアトラスを挑発した。アトラスは初めての晴れやかな場で高揚した気分でその言葉で神官に反論したのである。この言葉をきっかけに、王リダルが聖都に巣喰う蛮族を平らげる宣言をした。いわばこの戦いを始めるきっかけになった発言だった。
近習たちも、数ヶ月前のアトランティス議会で、アトラスが勇ましい言葉を吐いたことは知っていたが、本人はそれを語らず寡黙な王リダルも蛮族との開戦を決意したことを語るのみで、具体的な様相を知る者はいなかった。
「もっと聞きとうございます」
近習の一人、スタラススは無邪気に話をねだり、他の近習も頷いた。しかし、アトラスは自分の暴言がこの戦を始めてしまったかのような罪悪感を持っていた。彼は眉を顰めて話題を転じた。
「今、気がかりは、聖都の蛮族共の動きでございます」
「蛮族共が我らの動きに気づいて兵を動かせば、聖都の者から知らせが参ろう」
「それで、何かの知らせは?」
「まだ何もないのだ」
レイトスの言葉にアトラスが首を傾げた。
「私たちが聖都を去り、今ここに戻ってくるまで三ヶ月近くになりましょう。その間、何も?」
「聖都にいる我が館の者は何も使いをよこさず、こちらから出した使いも六神司院に追い返されて参った」
レイトスの言葉に、今度はアトラスの傍らのサレノスが首を傾げて尋ねた。
「王が聖都にある自分の館に出した使者を、六神司院が追い返したというのですか?」
アトラスの祖父ウルスス王の時代からルージに仕える忠臣である。その彼の長い経験を持ってしても、聖都が人々の自由な往来を制限した事はなく、ましてや、アトランティス議会の時に各国の王が滞在する私邸に、王が使わした使者を追い返すなど考えられないことだった。
「神帝が病の床に伏したため、聖都を封鎖して、神々の祝福を注ぐ結界を作るとか。神帝の病の回復を図ると言われれば抗いようもない」
「それでどうしたのです」
「今は、聖都の四つの門を僧兵たちが固め、出入りを固く禁じておるとか」
「出陣した我らが王はそれをご存じですか?」
「むろん、知って居る」
「では、我らが王は何と?」
「『儂が兵を率いて直接に出向く故、状況は見たままお知らせしよう』と、笑っておったよ」
レイトスから伝え聞いた言葉は、いかにもリダルらしい明確な言葉だった。宴は王リダルの勇猛さに話題を変えて盛り上がった。その中、サレノスは宴席を眺めて笑顔を浮かべてはいたが、心の中では別のことを考えていた。第二陣は第一陣と異なり、多量の物資を運んでいる。上陸後、荷車で運んだ物資を、細いイドポワ街道を南下するために、荷車の荷を解き、馬と兵士で運ぶ準備を整えねばならない。今まで聞いたことのない聖都の異変への不安を、そういう実務的な作業を考えることで追い払おうとしていた。
彼らが異変の報に接するのは、この明くる日のことである。
アトラスのアトランティス議会での暴言。詳しくは第一部のこの辺りで描写しています。詳しく知りたい方はどうぞ。
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