戦いの角笛鳴る
時はやや戻る。アガルススがシュレーブ軍の猛将ナグマルとの一騎打ちをしている頃、王ボルススは陣を離れ、街道を見下ろせる位置から、孫のグライスと共に眼下を行軍するルージ軍を黙って眺めていた。
王ボルススの背後には、一千人を超える前衛部隊が陣を敷いており、グライスが率いる三百の兵もいる。更にその後ろには王直卒の四百の部隊が控えていた。前衛部隊の左右には門の押さえをするための、ほぼ五百づつの部隊が両翼を広げている。もちろん斜面の森に隠されて、街道からは見えないだろう。
イドポワの門は険しく人が登ることを許さない場所だが、その手前の小高い場所を選んで狼煙の準備もしてある。狼煙を上げれば向こう側でも見えるだろう。ただ、その狼煙を上げるのは、目の前のルージ軍の隊列が、全てイドポワの門をくぐり終え、後続のヴェスター軍の隊列が姿を見せてからのこと。見上げても、狭く切り取られた空に太陽は見えないが、その太陽が姿を現して、西に傾く頃、彼らフローイ軍の戦闘が始まる予定だった。
「リダル王はどこに?」
武将たる者にとって、あこがれもあり、敵としても一目見ておきたい相手である。リダルが海を渡って遠征したのは、アトランティス軍の異境の地の遠征も終わりに近い時期だったという。アトランティス軍にとって兵力を損耗し、兵の補給も途絶えがちで、不利な戦いが続いていた頃である。
当時のリダルは十八を少し超えていたと言うから、今のグライスと同じぐらいの年齢だったはずだ。幾度もの退却戦の最中、僅か三百ばかりの手兵を率い、数倍の敵を繰り返し潰走させたという武功は、リダルの名を畏怖と共に敵に知らしめると共に、今に至るまでアトランティスに半ば伝説のように語り継がれていた。アトランティスの人々は炉端で神話でも話すように子供にリダルの武功を話してきかせるのである。グライスもまた、子供の頃にそんな話を聞かされた者の一人だった。
その王は意外にも、グライスの正面にいた。
「あれがリダル王だ」
王ボルススは馬の轡を曳く男の姿を指さした。たしかに、その男に付き従う従卒が掲げる旗は王の身分を示す旗である。ただ、男は従卒がするように馬の轡を取り、時折、興奮する愛馬の首筋を優しくたたいてなだめていた。王がこの馬にかける愛情が感じ取れた。もし、王リダルの心を察することができるなら、家族に愛情を見せることが苦手な男が、素直に愛情を返してくれる動物に心を許す姿である。
「未だ間があろう。敵の姿をじっくり眺めておくのも良い」
ボルススが孫にそう言ったとき、イドポワの門を急ぎ足で戻ってくる一人のルージ兵の姿が見えた。緊急のようで、何かを叫びながら駆けてくる姿だが、その声はボルススが居るここまでは届かない。王リダルが何かを怒鳴るように命じた姿と共に、ルージ軍はぴたりと行軍を止めた。
この時、イドポワの門の向こう側から歓声が沸き風に乗ってグライスの耳にも届いた。グライスは緊張し、王ボルススを眺めた。
「ジソーめが、逸りおったか」
憎々しげにそう呟いたボルススに、グライスはあの使者がリダルに戦闘開始を告げに来たのだと知った。目の前のルージ軍が全て門を抜け終わるのを待つべき戦闘が、始まってしまったと言うことである。
「この機会を逃してはならぬ」
王ボルススは戦闘を開始するという。グライスは疑問を呈した。
「しかし、まだ、リダルは私たちがここに居ることを気づいては居らぬでしょう」
「なんの、奴のこと。門の外で待ち伏せされていたと知れば、ここにいる我らにもすぐに気がつこう」
事実、乱れる隊列を整えながら、ルージ国王リダルの視線は、斜面の森の奥を探るように注がれていた。
王ボルススは配下に命じた。
「突撃の角笛を吹け。我がフローイの緑旗を掲げよ」
手はずは定められている。フローイ軍の左翼五百はイドポワの門を目指す。門の向こうの敵が容易にこちらに戻って来ることができないようにする押さえである。
右翼の一部は狭い街道がこの斜面のある空間で視界が開ける場所に岩を転がし、通路を塞ぎ、新たな敵部隊がこの種面に面する街道に入ってこれない押さえとなる。やや遅れて中央に位置する軍勢が一斉に前方の街道にいる敵に向かって駆け下るという手順である。街道上の敵は三百に満たない。中央の陣の兵士八百に踏みつぶされるだろう
「我が王よ、私は?」
グライスの疑問はもっともだった。王ボルススは両翼の部隊と前衛部隊には攻撃を命じながらも、本来は中央に位置するグライスの部隊には何も命令を出さなかったのである。
「お前は、儂が命を下すまで、ここで戦の流れを黙ってみておれ」
王の本陣の全面に位置していた中央部隊も、三百のグライスの部隊を残して斜面を下っていった。王ボルススは、街道が見渡せるこの位置まで本陣を前進させた。ただ、そこで王の直卒部隊は動きを止めた、王と王子の周りに残された兵力は、グライスとボルススが率いる七百ばかり。斜面の下に長く伸びたルージ軍の隊列は三百人足らずだろうか。その隊列の伸びきったルージ軍に千八百あまりのフローイ軍が襲いかかっていった。
戦を教えるのに、ルージ軍が見渡せるここほど良い場所はないだろう。右翼からルージの兵士どもの悲鳴が響いてきた。街道がこの斜面で視界が開ける位置で、フローイ軍右翼の一部が急な斜面を利用して、岩を転がり落としたのである。王リダルに続くアゴースやバラスのルージ軍部隊は、その岩によって道を塞がれ、てしまったのである。




