ルージにて2
「では、万事、手はず通りに」
港に入った船を下りて用意された馬に乗り換えたリダルは、配下の者どもにそんな短い命令を発したのみである。王はわずかな従卒を従えただけで、王都に戻る隊列を離れて、海岸縁の街道を北に向かった。二十日後の挙兵のために成すべき事が多い。そんな忙しい時期である。リダル王は息子のアトラスにさえ北に向かう説明をしなかった。もともと無口で頑固な性格で、配下に説明を求められるのを嫌う。アトラスはそんな父の後姿を見送るしかなかった。ただ、配下の者どもが王の行為に不安を漏らさないのは、王に対する忠誠以上に、人としての信頼といえた。
アトラスは突然に笑顔を浮かべた。
「ああっ、アレスケイア。私が居ない間も元気にしていたか」
アトラスは王都からの迎えの人々の間に愛馬アレスケイアの姿を見つけて、愛おしそうにその鼻面を撫でた。アレスケイアもまた、一月ぶりの主人との再会に興奮して、荒い鼻息で主人に撫でられていた。
「おおっ、我らより仲の良いことだ」
アトラスとアレスケイアの姿を眺めたラヌガンはそう評した。アトラスに仕え、将来王となるアトラスを支える近習の一人である。他の近習たちも声をそろえて王子と愛馬の仲の良さを褒め称えるように笑顔を浮かべた。
しかし、アトラスが心に秘めた悩みを打ち明けることができるのが、この物言わぬ愛馬だけだと言うことを知る者は、近習の任を解かれてシリャードに残ったザイラスのみである。
もともとアトランティスには、馬という動物は居なかった。先の大戦で海を渡って周辺諸国に攻め込んだアトランティスの人々は、そこで初めて、住人たちが利用する馬を知った。アトランティスの保守的な人々の中には、未だにこの動物に不安や嫌悪感を持つ者たちもいるが、ルージ島の人々の気性には馬がよく合った。この地では最初に持ち込まれた数十頭。持ち込まれる数が増えるにつれて、今や二千頭近くになり、荷物の運搬や乗馬に広く人々の生活に密着していた。
(どんな戦だったのだろう)
若者たちはそんな動物よりも、老人が思いで話として語る戦場を舞台に、自分の姿を当てはめて胸を踊らせていた。ただ、最初は勢いもよく占領地を広げたアトランティス連合軍も、やがて国力を失い、負け戦に転じた。その戦いの悲惨さを、青年たちが思い浮かべることはなかった。国力を失い、兵力も減じたアトランティスは、アトランティス九カ国を統べる十番目の国家であり、宗教の中心地でもある聖都に、アテナイを中心としたギリシャ諸部族の軍の駐留を認めるという屈辱的な条件で講和した。いまのアトランティスの中央には二千人にも及ぶアテナイ軍が駐留しつつ、アトランティスを監視下においている。アトランティス人にとって屈辱的なことに、真理を司る太陽神ルミリアを信奉する彼らに対して、アテナイ人たちは毎年夏に行われる自分たちの神の祭りに朝貢を求めていた。