ボルススの孫リーミル
アトラスはルージ軍を率いてフローイ国セイタルの港町に上陸し、速度が全ての目的であるかのように南下した。周囲は山岳地帯で、街道の合流地点にある町や関所を押さえておけば、母国への連絡路を絶たれる心配はなかった。
しかし、アトランティスの中原は見晴らしは良くとも、どこから敵に攻められるか想像がつかない。聖都を目指す長い補給路をいつどこで敵に食いちぎられるか。その不安を抱えて戦わねばならない。
そして、アトラスはフローイ国の王都を目前にして、旧都へ攻勢を転じた。王都は絢爛さはあっても、旧都が実質上のフローイ国の力の源。それを占領したときに、ルージ軍は戦いを継続する物資を得、フローイは戦の継続の意志を揺るがせるほどの打撃を受けた。フローイ国王ボルススが旧都に異常なほど富と権力を集中させている事を見抜いたロユラスの慧眼に寄るところが大きい。
しかし、シュレーブ国にそう言う都市があるだろうか。シュレーブ国を代表する王都を占領しても、幾つもの都市の一つに過ぎず、王はその都を代えて戦い続けるだろう。では、どう戦うべきか。その策を剽軽な笑顔の中に生み出すロユラスは居ない。
フローイ国にとって、旧都を占領され民や兵が飢え、フローイ国全土を戦火に晒しても、ルージ軍と戦うという選択肢も会ったはずだが、王女リーミルは機転を利かせて講和という方法でフローイの民を守った。
シュレーブ国王ジソーにそれほどの器量があるだろうか。戦場を移動させつつ、シュレーブ国全土を戦火に巻き込んでゆくのではないか。
(私というのは、なんとちっぽけなのだ)
アトラスは独り言を口にした。この半年間のことを振り返れば、アトラスは敵対した二つの大国の半分を屈服させたように見える。しかし、それは様々な情勢を事細かく繋いで勝利に至る策を練ったロユラスと、その策を間違いなく実行したサレノスら歴戦の将兵、敗北を講和にすり替えたリーミルという指導者の器量の結果であって、アトラスの能力ではなかったのかも知れない。アトラスの心に妙な無力感が湧いた。ただ、もし、アトラスに才覚を認めるとすれば、彼の前に広がる運命を濁りのない心で取捨選択し続けてきたことだろうか。
続く独り言に無力感と劣等感をはき出そうとしたアトラスはそれを飲み込んだ。部屋の入り口にルチラスとルトラスらを連れたリーミルの姿が見えた。彼女に弱気な独り言を聞かれたら、辛辣な皮肉を浴びねばならないだろう。彼女をルウオの砦の一室に招いたのはアトラスとサレノス以下数人のルージ軍である。互いの情報を出し合ってこれからの策を練る。
リーミルはルージ軍の情報を尋ねもせず、腕の長さほどの布の巻物をテーブルに広げさせた。巻物の中央を横切る青い線がルードン河だと判別でき、王都や聖都を示す印が加わってシュレーブ国の地図だと判別できた。幾つもの線で区切られたエリアには名が書かれていて、シュレーブ国の領主たちが支配する場所だと知れた。
リーミルはその最も西のエリアを指して言った。
「ここがシフグナの地。そしてシフグナと我がフローイ国の国境の関所に我々の軍が居ます。関所から街道を北に向かえばルナイロスの地」
彼女はシフグナの北のルナイロスを指さして言葉を続けた。
「北のルナイロスは、もともとシュレーブの威勢をおそれてその勢力下に入った土地。ここを治める領主ラクナルはシュレーブに対する忠誠はありません。我らが攻め込まぬなら中立を守りたいと返答をよこしました」
彼女は指さす先を変えて言葉を続けた。
「シフグナの関所からの街道を南へたどれば、フェイナとクサンドルの地があります。フェイナもクサンドルもシフグナと同様に元は独立国。フェイナはシフグナの領主パロドトスの義理の弟が治めています。シフグナを攻めるなら、このフェイナも敵に回るでしょう」
リーミルの言葉にアトラスが問うた。
「シフグナを攻めるには、フェイナも同時に攻めねばならないと言うことか?」
リーミルはアトラスに笑顔を向けただけで、言葉を続けた。
「クサンドルは我が祖父ボルススが以前から調略の手を伸ばしています。我らが声をかければ蜂起する重臣たちが続出します。それだけではなく、フェイナをくれてやると言えば、欲に駆られた彼らは、我らではなくフェイナを襲うでしょう。フェイナはもちろんシフグナも動揺します」
アトラスが心配するような、兵の一部を割いてフェイナに攻撃の手を向ける必要はないということである。リーミルは指さす先を変えて語り続けた。
「そして、関所から南西にあるのがルチラナの地。ここは元々我らフローイ国の押さえのための兵が駐屯していた地です。代々シュレーブ王家に忠誠の厚いカルスス家の者が土地を治め、今はストラヌが当主を務めています。忠誠が厚いというのはやっかいですが、手兵は三百にすぎず、フローイ国と直接に国境を接することはなく国境の守りは薄い」
リーミルはざっとシフグナの地の周囲の情勢を説明してのけた。もちろん未だ年若い彼女だけの知恵ではなく、彼女を支える重臣たちの考えも入っているだろう。事実、彼女の言葉にルチラスやルトラス満足げに頷いていた。
リーミルは自分たちの情報の開示を終えて、ルージ軍の情報を求めた。
「それで、パロドトスの様子はいかが?」
言うまでもなく、フローイ国とシフグナは仇敵に当たる。仇敵から使者を出すのを避けて、ルージ軍からパロドトスの動向を探ると称して降伏勧告の使者を出していたのである。
こちらは、シフグナに憎しみで凝り固まったフローイ国の兵も加えて六千の兵と吹聴した。シフグナに残された数百の兵など、すぐさま蹴散らして、シフグナ全土を蹂躙すると脅すというのはリーミルも知っていた。
アトラスは使者が持ち帰った口上を伝えた。
「パロドトス殿は降伏を受け入れるには、重臣たちの意見をまとめる時間が必要だと」
「それでその時間はいかほど?」
「重臣を説得し、意見をまとめるのに五十日と」
「では、彼らが増援を得て守備を整えるのに二十五日はかかると見て良いでしょう。私たちは彼らが守りを固める前に攻めねばなりません」
「パロドトス殿が重臣の意見をまとめるのを待たぬと?」
「シフグナの地は領主パロドトスの一存で動きます。重臣の説得など、戦準備の時間稼ぎの口実に過ぎません」
明快にそう言いきったリーミルに、サレノスは心の中で舌を巻いた。
(さすがは、ボルスス様のお血筋)
状況に応じて大胆な決断をするアトラスが父のリダルの血を引いているなら、状況を整理して謀略を組み上げてゆくリーミルの能力は亡きボルススの血を引いていた。彼女はその血筋に従うかのように、先代の王ボルススのごとく、これから進むべき道を明快に示した。
「では、関所に置く五百の守備兵で北のルナイロスへ睨みを利かせましょう。そして、ひとまずクサンドルにはフェイナをくれてやりましょう。喜んで食いつくでしょう。私たちはその間に、ルチラナに攻め入り後顧の憂いを一気に絶ちましょう。そして勢いに乗る兵をシフグナに向けてパロドトスを誅殺し、シフグナを手に入れる。いかがです?」
リーミルの言葉にサレノスが問うた。
「北のルナイロスはいかがされる所存で?」
「ルナイロスが我らの戦に中立を保つようなら、シュレーブ国に反逆するも同じ。主家に反逆するものは信用できないから潰しましょう。彼らが主家に忠実で我に敵意を見せれば邪魔者です。関所の守備兵で潰せばいい」
「どちらにせよ、シフグナを獲った後に、排除するというのですな」
サレノスの問いかけにリーミルは当然だといわんばかりに頷いた。サレノスはリーミルの言葉を否定せず問いを重ねた。
「では、クサンドルはいかがされるおつもりか」
「欲に目が眩む者は、金をちらつかされれば今度は我らを襲う。そんな者たちを生かしては置けぬのは道理でしょう」
シフグナを討った後、機会をうかがってクサンドルも潰すという。表情も変えず言葉を紡ぎ出すリーミルに、アトラスは戦の裏にこういう意図が秘められているのかと、驚きの表情で眺めていた。そのアトラスが突然に不快な感情を露わにした。
「やめろっ」
アトラスは、優しげな笑みを浮かべながら、彼の顎から頬を撫でるリーミルの指先を払った。まるで愛玩動物を愛撫する手つきで、アトラスが自分の所有物であるかのような扱いだった。手を振り払われた彼女は、怒りもせず、くすりと声を上げて笑っただけである。この行為を彼女に問えば、サレノス以下、アトラスの配下の者の前で、彼がリーミルの支配下にあるようなイメージをすり込むためと答えるだろう。しかし、その意図の中にアトラスに対する一片の愛情が無かったかと追求すれば、余裕の笑みを一変させて戸惑いを見せたに違いない。
リーミルに付き従ってきた者たちは、異論を唱えず、満足げな笑みを浮かべて居るのみだった。ルージ軍にも、アトラス以下、リーミルの策に反対を唱える者は居ない。
彼らの攻撃目標が決まったかに見えた。アトランティス中原の大国シュレーブを周辺の領地を一つづつ食い荒らして奪い取ってゆく。そういう戦になるだろう。そんな常識的な予感が覆されつつあることを彼らまだ知らなかった。
戦に戸惑い迷うのはアトラスばかりではなかった。ここから東にイチするシュレープ国の王都でもシュレーブ国王ジソーが、幾つもの情勢変化の中に混迷を深めていた。




