アトラスの誤解
ゴルスス率いるギリシャ兵の活躍でルウオの砦を墜とし、アトラスは勢いに乗ってその西の国境を越えたシフグナの関所も占領した。
(風通しが良くなった)
アトラスがそう感じたのは、フローイ国の山岳地帯を抜けてアトランティス中原に大きく広がる平野へと出たことばかりでははなく、シュレーブ国の雰囲気が感じ取れることである。田舎じみた質朴さの中にどこか生真面目さや規律を感じさせるフローイ国内とうって変わって、自由な雰囲気がある。ただ、シュレーブ国というイメージから想像する絢爛な文化国家の雰囲気はなく、この土地から感じるものはのどかな田舎の雰囲気。一般の民の姿で物見に出した兵が持ち帰る情報の中には人々の表情にどこか暗さとずるがしこさがあるという。ともあれ、山を抜けて人々の雰囲気が変わるというのは興味深い経験だった。
入り口が開いてみると、情報の風通しも良い。ヴェスター国から商人に扮した密偵が到着してヴェスター国の状況を告げた。昨年、ネルギエの戦いの時に、ルージ軍・ヴェスター軍の通行を許したレネン国が、今は中立を保ってヴェスター軍の通行を認めないという。とすれば、ヴェスター国はイドポワの門と呼ばれる狭隘な地を抜けてシュレーブ国へ侵攻せねばならないが、シュレーブ国はその地に砦を築いて防御を固めてしまっている。ヴェスター国は国王レイトス自身が兵を率いて、国境の突破を試みているらしいが、シュレーブ国内に進出するのは未だ先になりそうな気配だった。
アトラスは、これからの戦の前線になるシフグナの関所と西のルウオの砦を盛んに行き来して状況を見極めていた。彼自身が物資の運搬の護衛をするという名目である。
ルウオの砦に戻ってみれば、ギリシャ人たちが砦の物資を馬の背に積んでいた。シュレーブ軍が砦に蓄えていた食糧や矢など消耗品の類である。彼らが勝ち取った物資と言えた。
敵から奪った物資の大半を東のシフグナの関所に送り届け、フローイ国の旧都ランロイに蓄えられた物資を運ぶ中継点になってしまうと、ギリシャ人たちのこの砦での仕事は終わる。彼らを前線に移動させて戦わせねばならない。
アトラスはヴェスター国王レイトスがイドポワの門の突破に苦戦する様子を耳にしながら、このルウオの砦を攻略したギリシャ人部隊の功績を評価している。彼らがこの砦を奪うことが出来なければ、アトラスも今のレイトスと同じようにシュレーブ国へ出る道を閉ざされて苦戦していたはずだった。彼らの戦功に報いてやりたいという思いの中で慌ただしく時が過ぎて、その機会を失っていた。
その機会を作り出したのは、意外にもフローイ国王女リーミルだった。彼女はルウオの砦に姿を見せて状況を見聞するや否や、さい先の良い戦勝の宴を催そうと申し出て、その日取りまで決めた。
戦の物資に加え、二十日後に予定された出陣前の宴の物資が砦に届き始めた。運び込まれた百三十二の樽はワインの芳香をさせていたし、三十二頭の牛が杭に繋がれていた。ともにアトランティスで縁起の良い数字とされている。
宴の日、樽はその蓋を開けられ、牛は神に捧げる儀式の後で屠られた。酒の香りと香ばしく焼ける肉の香り。夕刻からの宴を期待する雰囲気が盛り上がる中リーミルが供を連れて姿を見せた。
驚いたことに、リーミル一行はギリシャ人の女性や子供たちを連れていた。ギリシャ人兵士たちが驚き、駆け寄り、寄り添う様子を見れば、彼らの身内だと分かる。宴はギリシャ人家族で盛り上がった。披露されたものはギリシャ人たちの歌と踊り、それに会わせるルージ軍兵士の手拍子だった。アトラスもその一体感の中の一人だった。
歌の合間を見計らって、リーミルは手を叩いて話を聞けたと立ち上がった。
「ギリシャ人たちよ。遠征の折には我が祖父すら悩ませた勇者たち。今回のルウオの砦の戦いは見事でした」
彼女はやや沈黙を置いて付け加えた。
「このたびの褒美に、お前たちと家族の自由を保障しましょう。そして、家族には王都の近く、ホロオナの湖の畔に土地と家を与え、湖とその周辺の森での漁の権利を与えましょう」
リーミルが言うのは、今まで山の中に隠れていた人々が、平地で生活を営むことが出来るように計るということである。土地と家まで与えるという申し出に、ギリシャ人たちは素直に喜びを表した。サレノスはそんな彼らをやや眉を顰めて眺め、リーミルは同じ表情を浮かべて、ギリシャ人と共に喜ぶアトラスを眺めていた。
宴も終盤になり、リーミルはアトラスを砦の小屋の一つに導いた。女が男を誘う雰囲気ではなく、姉が間抜けな弟を説教するために物陰に誘導する雰囲気である。
「リーミル様のご配慮には感服した」
アトラスは素直にそう言った。リーミルは意味深な笑みを浮かべて答えなかった。サレノスが彼女の笑みを読み解いて言った。
「人質と言うことですな」
リーミルはあっさり認めた。
「さすがね。歴戦の将は、状況をよく読んでいらっしゃる」
彼女はため息をついて肩をすくめてアトラスを眺めて言葉を継いだ。
「でも、この坊やときたら」
「どういう事だ。何か裏でも?」
物わかりの悪いアトラスに、リーミルが諭した。
「貴方の勇猛果敢なギリシャ兵たちは、やがて聖都で同胞と戦うことになるわ。その時に戦を躊躇するばかりか、貴方に反逆の剣を向けない保証はあるの?」
アトラスは目の前のシフグナの戦いの先にシュレーブ国との戦いを抱え、更にその最終目標は、聖都に駐留するアテナイ軍の駆逐である。その大事な最終局面で、ギリシャ人たちが寝返って同胞のアテナイ軍に荷担する危険があるというのである。ただ、彼らの家族をフローイ国の監視下に置けば人質として、彼らが裏切る可能性は減る。
更にリーミルの心の中では別の危機感がわき上がっていた。蛮族どもと考えていたギリシャ人たちが、正規の訓練を受け指揮官に恵まれれば恐るべき能力を発揮する。もし、フローイ国内の鉱山奴隷たちが蜂起し、能力のある指揮官に恵まれたら、兵力が乏しくなっているフローイ国は危機にさらされる。
彼女は話題を変えた。
「ルナイロスへ遣わした使者に続いて、ルチラナとクサントルへ出した使者も戻ってきたわ。貴方たちがパロドトスに遣わした使者も間もなく戻ってくる頃でしょう」
アトラスは素直に頷いた。リーミルは言葉を続けた。
「出陣前にしっかり話を合わせておく必要があるわね」
彼女たちは敵の様子を探り、敵の混乱や内部分裂を誘う使者を各地に出していた。ただ、聖都を目指すルージ軍に対して、フローイ軍は王の仇のパロドトスを討つという名目のみ掲げている。どの地をどんな順に攻撃するか、互いの意図を細かく打ち合わせておかねば、両軍の連携は取れない。




