祈るべき神
ギリシャ人部隊の攻撃の成功の割合は一分。アトラス指揮下のルージ軍が加わって四分。リーミルは期待を込めてそう考えていた。失敗したとしても、砦は大きな損害を被っている。フローイ軍を出陣させるのはその時。ルージ軍が大きな被害を出しても、ランロイに予備の兵力千名が居る。その兵士とフローイ軍を合わせれば、仇敵シフグナを討つことは出来る。リーミルはそんな計算をしながら、兵を率いて王都を発ったアトラスを見送った。ルウオの砦と地理に詳しい。そういう理由を付けて腹心のセイディスをアトラスと同行させた。ルージ軍の状況は彼が逐一知らせてくるだろう。
王都に駐屯していたルージ軍は出払った。残る主力は訓練や物資の手配が容易だという理由を付けてグラフラとランロイに駐屯している。
講和したとはいえ関係は危うい。交通の要衝ラグラフラと物資の最大の集結地のランロイ、ルージ軍にとってその二カ所を固く押さえておけばフローイ国が反旗を翻してもルージ軍は有利に戦える。フローイ国もそんなルージ軍の意図は見抜いて、その隙のなさは、あのサレノスの指示だろうと考えていた。ただ、そのサレノスがやや憔悴した気配を見せているのには気づいていない。
アトラスたちがルウオの砦の前面に到着したのは、王都を出発して二日目である。砦がシュレーブ国に奪取されて以来、商人や旅人の往来は途絶えている。
ルージ軍は主力を後方に隠して、二百の兵でルウオの砦の正面の位置に陣を敷き柵を築き始めた。ゴルススが砦の背後から攻撃をかける予定の三日前のことである。
砦に立てこもるシュレーブ軍が、二百か三百の兵でも出して、ルージ軍の柵の建設を妨害してくればありがたい。後方に隠した主力を前線に投入して容易に討ち取って敵の兵力を減らすことが出来る。
ただ、敵は固く砦を守ってその挑発には乗らなかった。
「やはり、慎重な連中ですな」
サレノスがそう称してアトラスたちは頷いた。
ルージ軍の陣の前に柵が出来、後方にいた部隊も移動して陣に天幕を張った。敵は天幕を数えてルージ軍が千名を優に超える兵力だと畏怖すると期待している。
梯子を幾つも敵の砦から見えるように並べた。敵の砦の塀に立てかけて乗り越えるのに利用する。この梯子の数で敵はルージ軍の攻勢が本気だと信じるだろう。
アトラスはサレノスに兵の差配を任せ、その手並みを学ぶように眺めていた。テウススとスタラススは、そのアトラスの傍らに侍り、満足げに顔を見合わせていた。理由は分からないが、アレスケイアで遠乗りに出かけた後のアトラスは、混乱を吹っ切って思いを定めたように落ち着きを見せていた。そのアトラスの視線の先にルウオの砦があった。
ゴルススの攻撃が予定された夜、アトラスたちは、敵からはいつもの様子に見えるよう装いながら、息を潜めてルウオの砦に戦闘の気配を探っていた。ゴルススが戦闘行動を起こせば、こちらからも砦を攻めて援護してやらねばならない。戦況が許せばゴルスス率いるギリシャ人部隊が砦の内側から扉を開けて、アトラス率いるルージ軍を迎え入れる手はずにもなっている。
期待した戦闘の気配はなく夜が明けた。もちろん、ゴルスス率いるギリシャ人部隊の行軍が遅れることもあるだろう。アトラスを始めルージ軍将士はそういう思いで、既にゴルススの部隊が全滅しているという不吉な考えを振り払った。
この日、サレノスは芝を積んだ荷車に火をかけ、敵が砦の前に設置した柵に突入させて、柵の半分を焼き払うのに成功した。ルウオの砦を攻めるのに僅かながら有利になる。そのサレノスの目に成功の喜びはなかった。
この夜もまた、期待したゴルススの夜襲の気配は無かった。サレノスが朝日を背景にしたルウオの砦を眺め悲痛な呟きを漏らした。
「ゴルススよ」
そんな日が三日も繰り返された。ゴルスス率いるギリシャ人部隊が持参した食料も尽きかけている頃である。ゴルススの攻撃は失敗した。誰も口には出さないが、そういう思いがルージ軍に広がっていき、何より、サレノスは焦燥感を見せていた。
フローイ軍の将セイディスが口を開いた。
「ゴルスス殿は砦にたどり着けなかったのでは?」
サレノスはその言葉にゴルススの戦死のニュアンスをかぎ取ってぴくりと眉を顰めた。セイディスは言葉を継いだ。
「今はこちらから攻撃かけるしかないものと思われます。ルージ軍に比べれば敵を少数。総攻撃を駆ければ砦は奪えるでしょう」
しかし、アトラスは別のことを考えていたと言わんばかりに、セイディスに尋ねた。
「セイディス殿。砦に何か変化があるようには見えぬか?」
「変化ですと?」
「旗差し物が増えた。夜のかがり火も増えている。しかし、兵の気配が失せた」
アトラスの言葉に、サレノスはその意味を察して思った。
(儂も、老いたか)
その言葉に自分自身の年齢へのあきらめと同時に、アトラスの観察力に感嘆もしている。
「なるほど」
セイディスもそう頷いた。以前、この砦を偵察に来たときには、敵兵は砦からあふれるのではないかと思われるほどの数を感じさせ、その士気は旺盛で攻めるなら攻めてこいと言う士気が砦から溢れかえるようにも見えた。
今の砦にはその気配が途絶えていた。アトラスは決断した。
「今夜は、我らもゴルススの攻撃を待って、兵を待機させる。ゴルススの攻撃がなければ、明日の夜明けと共に兵を休ませ、夕刻を待って総攻撃に転じる」
明日の夕刻に攻撃を開始するという。心の混乱に、サレノスの返事が一呼吸遅れた。
「承知。至急そのように」
アトラスはそのサレノスに優しい視線を注いで言った。
「サレノスよ。さすがのそなたも、息子の安否に心乱れるか」
サレノスはアトラスがゴルススをサレノスの息子と表現したことに戸惑いを覚えつつ、指摘を否定はしなかった
「我らが王は何もかもお見通しのようで」
「ゴルススに行けと命じたのは私だ。結果がどうあれそれは私の責任。ただし、たった今、この時、私はそなたに息子を奪ったことを謝罪はせぬ。いまはゴルススの武と知恵と運命を信じるべき時。祈る神があるなら、今は保護の神ではなく戦の女神に祈れ」
サレノスは黙ってアトラスの言葉を受け入れ、戦の準備のために立ち去った。
その夜も明け方を待っても、ゴルススの攻撃の気配はなかった。失望感を夕刻の総攻撃の意欲に変えねばならない。いよいよその決意を固めねばならぬとサレノスが判断したとき、日は既に高く昇り、敵味方の姿は明瞭に見えていた。
意外なことに、この時に砦が騒然とし始めた。剣を交わす音や戦闘の気配が膨れあがった。
(どういう事だ? 何が起きている?)
ゴルススたちなら夜陰に紛れて奇襲。日が高いうちに戦闘を始めることはあるまい。アトラスたちはそう信じて疑わなかった。状況が飲み込めぬまま、アトラスとサレノスは顔を見合わせた。




