シュレーブ国出陣1
シュレーブ国の都パトローサには既に八千を超える兵が集まっていた。動員すれば、さらに数千が加わるだろう。それだけではない。その海軍はアトランティスの人々が女神リカケーの海と呼ぶシラス湾に百を超える大小の軍船を浮かべていた。
中原の肥沃な大地からもたらされた富と人口の結果で、その兵力は他国を圧倒するに違いない。ただ、その王はこれからやってくるはずの三カ国の軍に焦りを見せていた。
「フローイ国のボルススは何をしているのだ」
「パロドトスさまが領地の通行を許すかどうか不安だとのこと」
「パロドトスにも良く言い含めてあるだろうに」
「ボルスス様のご懸念も最もかと」
「出陣後、背後の糧道を断たれるというのであろう」
アトランティスの国々がアトランティス議会の元にまとまる以前、フローイ国は中原への野望を露わにしてシュレーブ国の領土を繰り返し侵した。それがパロドトスが治める国境の地で、繰り返される戦で身内を失った者が多く、領主から民に至るまでフローイを憎むことが甚だしい。パロドトスとその民がフローイ国に抱く憎しみは、国境の守りとして申し分ない効果を持っていたのである。
ただ、フローイ軍の増援が必要な今は、国境の領主パロドトスにフローイ軍の通過を認めさせねばならない。そのため、時期を待てと命じてある。フローイが邪魔になった折には存分に戦わせてやると示唆しているのである。
王の娘の教師であり、王の傍らに侍る謀臣ドリクスには、王の心を読み取るように、王が心に秘めた計画を察していた。シュレーブ国王ジソーは、先の遠征には加わっては居らず、兵の運用という経験では初心者に近い。初心者らしい虫のいい想像を膨らませているに違いなかった。フローイ国とシュレーブ国が連合すれば、ルージ国を首魁に仰ぐ三カ国の兵力を上回る。その三カ国は今は自分たちが謀反の首謀者だとされていることには気がついて居らず、彼らを待ち受けるシュレーブ国とフローイ国は一方的な奇襲をかけることができる。初戦で三カ国の主力を殲滅し、彼らの国を一気に占領する。シュレーブ国が得るのは新たな領地と、神帝暗殺の首謀者を葬ったという栄誉である。この段階でフローイ軍は国を遠く離れて補給に苦しんでいる。補給を絶ってやればフローイ軍は戦わずして自滅するだろう。それからフローイ国へ進軍すればいい。フローイに残存する兵力はわずかで、シュレーブ国の大軍を差し向ければ容易に落ちる。ルージ国とフローイ国を手に入れてしまえば残りの国は自然にシュレーブ国に服属するだろう。五年。国王ジソーは時の長さをそう見積もった。五年後にはこのシュレーブ国がアトランティスに覇を唱えている姿である。
そして、今また、国王ジソーは新たな名案を考えついた。
「ドリクスよ。フローイ軍をいくつかに分断してやるというのはどうだ?」
「分断?」
「半分を南からやってくるグラト国への振り向けさせる。残りをルージ国とヴェスター国と当たらせるのだ」
シュレーブ軍に加わるフローイ軍は三千、多くても四千というところか。その軍を二つに分けてやれば、邪魔になったフローイ軍を除くときに都合がいいと言うのである。国王ジソーは得意げな笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「どうだ、この計略は?」
ドリクスは少し考える振りをして言った。
「王よ。名案でございます」
ドリクスにとって、王の虫のいい考えには不安が膨らむ。ただ、この国王の性格を考えれば、今はいさめても効果はあるまいと考えたのである。
神帝が暗殺された後、この一月半というもの、神殿の奥で重病で伏せっている神帝の回復を神々とともに祈念するという名目で、聖都は堅く封鎖されて何者の出入りも許されてはいない。
ドリクスはシュレーブ国の都パトローサに、シュレーブ国もアテナイ討伐の兵を挙げる準備をしているとの噂をばらまいていた。この都パトローサに巣くう各国の間諜たちは本国にそんな情報を送っているだろう。
この時、王宮に飛び込んできた使者が、腹立たしげだった王ジソーの表情を一変させた。
「王よ。フローイ国ボルスス王が出陣を快諾されました」
「左様か。そうでなくてはならぬ」
使者の言葉に大きく頷いて、傍らのドリクスに語りかけた。
「いよいよ、我がシュレーブの覇業の始まりぞ」
アトランティスを統治する神帝への謀反人どもを葬るとか、占領軍アテナイからアトランティスを解放するとかは眼中にない、王ジソーの目の先にあるのは<アトランティス全土にシュレーブ国の支配を広げる自分の姿である。
聖都シリャードにいる占領軍司令官エウクロスが、遙か彼方からやって来た甥のエキュネウスに語ったことがある。
「この大陸には九つの国があり、その軍は互いに他国に向けて牙を研いでおる。我らギリシャ連合軍に対する憎しみの眼が我らに向いているように見えるが、我々が居なければ、奴ら野獣は口を開けたとたんにその牙で隣国の喉元を食いちぎっているだろうよ」と
まさしく、そのエウクロスが語った通りの様相が始まろうとしている。今は、神帝暗殺の嫌疑を着せられたルージ国を首魁とするヴェスター・グラト連合軍をシュレーブ国とフローイ国が討つという図式だが、やがて、覇権を得ようとする国々によってアトランティス全土は血なまぐさい戦場になる。
ドリクスは東の窓辺から聖都シリャードの方向を見やりながら、この悪しき流れを作り出した者どものことを腹立たしく考えた。もちろん、アテナイ軍のことではなかった。聖都に巣くう六神司院の者どもである。ルージ国が神帝暗殺というが、真に暗殺をしたとすれば、神殿の奥に隠れたあの者どもだろう。神帝オタール、その地位に就くまでは、このシュレーブ国の王位継承権を持った王子だった。若き頃のドリクスの生徒でもあった。ドリクスは若い頃のオタールの快活で素直な人柄を懐かしく思い出しながら、今は運命の赴くまま行動するしかあまるまいと考えていた。




