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愛と謀略と

「長い大戦になるやもしれぬな」

 祖父が冗談とも本音ともつかない口調で言った言葉に孫娘が即答した。

「でも、お爺さまは短く終わらせるおつもり」

「儂の心を読みおるのか。では、儂の次の一手は?」

「強い者から討つのでは? でも、損害を被るのは私たちではなくてシュレーブであって欲しいわね。私たちはシュレーブが北方から来るルージ・ヴェスター連合軍を討つお手伝いを。でも、一番手柄は私たちに転がり込んできそうな気がするわ」

 うまく立ち回れば、兵の損耗はシュレーブ国に負担させ、フローイ国は勝利の実利を得ることもできるだろうというのである。事実、この後の情勢は彼女が語ったとおりになる。ボルススは孫娘の回答に満足するように質問を続けた。

「その次は?」

「シュレーブ国は南から来るグラト国とも戦っているはず。最初の戦場で一段落つけば、私たちはそこを救援にいくの、時間をかけてね。戦場に着く頃には、シュレーブもグラトも疲れ切っているんじゃ……」

 リーミルはそこまで言いかけて口ごもった。侍女頭にかしづかれて新婚の二人が姿を現したことに気づいたのである。美しい新婦は、シュレーブ国から大勢のお付きの者を伴って輿入れをしてきた。新婦にその意識かあるかどうかは分からないが、シュレーブ国はその者たちの中に密偵を忍ばせて、フローイの内情を探り出そうとするだろう。もし、そういう役目を背負うとしたら、フェミナの背後に忠実に控える侍女頭もその一人である。

 リーミルは祖父との血なまぐさい話題を即座に変えて、二人に笑顔で声をかけた。

「今、二人の仲のよい様子を、お爺さまと噂をしていたところなの」

 リーミルの言葉に、グライスは戸惑うように妻を眺めたまま黙りこくった。新婚の妻のフェミナは、硬い笑顔で会釈を返しただけである。ボルススは笑顔を浮かべてはいたが、新婦の腰のあたりを撫でるかのように念入りに眺め、素直に不満そうな本音を吐いた。

「なんと言うことだ。まだ、未通娘(おぼこ。処女のこと)ではないか」

 もちろん、傍らのリーミルにやっと聞き取れるほどの呟きである。リーミルは朗らかに笑った。祖父は、女など初夜の内に自分の所有物にしてしまえと言いたいのである。リーミルの見立てでも、新婦の足取りは滑らかで、初めて男と体をかわした女の危うさはなかった。何より、妻が夫に甘える様子もなければ、夫が妻を気遣うのにも慣れてはいない。どこかよそよそしい気配が夫婦を隔てていた。長いテーブルの上座にボルススが座り、右にリーミルが居る。ボルススは手招きをしてテーブルの左側、リーミルの正面の席に二人を招いた。ボルススは不満そうな表情を消し、人の良さそうな老人の笑顔である。

「仲の良さそうな様子に、この爺の孫の顔が浮かぶようじゃわい」

 そう声をかけるボルススの視線が、グライスの表情を撫でた一瞬のみ、冷静で計算高い色を帯びていた。さっさと跡継ぎを生ませるのだぞと要求しているのである。

「さあ、さあ」

 リーミルが打ち鳴らす手の合図で、給仕が運んできた朝食の料理と皿をテーブルに並べた。数枚の空の深皿が目の前に、テーブル中央の大きな皿に盛ったパンやあぶり肉や果物。新婦のフェミナは背後の侍女頭を困惑した顔で振り返った。シュレーブからフェミナに付き従ってきた侍女頭もやや戸惑いを見せた。

 シュレーブでは王侯貴族の食事はメニューごとに一人分づつ供される、テーブル中央の大皿から自分で分け取って食べる習慣はないのである。新婦の戸惑いに気づいたグライスは新婦の目の前の皿を手にし、拳大の大きさのパンを数個と、炙り肉を大きな木の匙で三すくい、野菜の酢漬けを二すくい、別の皿から幾つかの果物を添えた。

「自分で、好きなものを、この皿にこうやって取り分けて食べるのだ」

 グライスはそう言って、その皿を新婦の目の前に置き、山羊の発酵乳を新婦のカップに注いだ。新婦は夫のなすがまま受け入れているようだったが、困惑が隠せない。仲の良い家族が食事をする光景なのだが、フェミナの生まれでは、身分の低い者どものすることで、家族とはいえ貴族がほかの誰かに食事の皿に料理を移すことなど考えられないのである。常に食事の傍らに侍る給仕の者がそれをする。そして、新婦は山盛りになった料理の分量にも怯えるような気配を見せた。

 リーミルは笑いながら言った。

「グライス、優しい弟。その山盛りの皿は私に回してちょうだい。新婦はまだ旅と祝いの席の疲れが残っている様子。食事は軽めに。パンを一つ、炙り肉とナミッツ(酢漬けの野菜)を少し、果物は姫のお好きに」

 グライスが姉の指示に従おうとしたのをフェミナが立ち上がって制した。

「お気遣いは無用に。自分でいたします」

 そう言ったものの、下々の者どものすることをしなければならないという屈辱感もにじませている。新婚の夫はどう手助けして良いか戸惑うように、黙って妻を傍らで眺めていた。リーミルはそんな弟に指示をした。

「グライス。姫には、水で割ったワインをさしあげて」

 フェミナがカップに注がれた山羊の発酵乳の香りに眉を顰めていたのに気づいて居たのである。フローイの人々には普通の朝食の飲み物だが、味と香りにやや癖がある。どろりとした喉ごしも気になるかもしれない。香り付けにワインを入れた水なら、シュレーブ出身者でも気にせず飲めるだろう。

 細やかな配慮をしつつ、リーミルの心は別にあった。弟の妻に対する不慣れな態度に、あの女に不慣れなルージ国のアトラスの姿を思い出していたのである。まもなく、フローイ国はアトラスのルージ国と剣を交える。その時、あのアトラスをほかの誰かに殺させたくはない。殺さねばならないなら自分の手で……。そんな残忍な愛がリーミルの心をよぎっていた。

 国王ボルススは、そんな家族の食事の光景を終始機嫌の良い笑顔を浮かべて眺めていた。その祖父の笑顔を途絶えさせるように、唐突にグライスが声を上げた。

「それで、私の出陣は?」

 これから始まるはずの戦がいつ始まるのかと問うているのである。食事の場に似つかわしくない話題だった。リーミルはパンを千切る手を止めて、ボルススの様子をうかがい、それから、その視線をさりげなく正面に移した。グライスの表情は真剣で、フェミナはただ戸惑いの様子を見せていた。しかし、フェミナの背後に控える侍女頭の目は、シュレーブ国に密かに伝える話題を一言でも聞き逃すまいと緊張感を見せていた。

 ボルススはその侍女頭にも聞こえるように、優しい祖父の体を繕って語りかけた。

「その話は、まだ良いではないか。婚礼の祝いも、まだ明けてはおらぬ。聖都シリャードに使わした弔問の使者もまもなく戻って参ろう」

「しかし、出陣の準備が」

 弟の言葉を制するようにリーミルが優しく言った。

「出陣は運命のニクススにお任せなさい。今は愛の女神フェイブラが、貴方たちを見守っているわ」

 ボルススはグライスをなだめるように、しかし、フェミナの背後にさりげなく注意を配りながら言った。

「しかし、我らも是が非でも、シュレーブ国ジソー帝と力を合わせて戦わねばならぬ」

 ボルススの考えるとおり、フェミナの背後の侍女頭の目がきらりと輝いた。ボルススは続けた。

「しかし、気がかりは、シュレーブ国のバロドトス殿のこと。ひどく我らを嫌っておる。我らがシュレーブ軍と合流するのを快くは思うまいよ」

 聖都シリャードのアトランティス議会に各国が集い、アトランティスが統一される前、国境を接するフローイ国と中原の覇者シュレーブは盛んに領土争いを起こした。バロドトスはフローイ国からシュレーブ国へ進入する街道が通る領地を治める領主である。両国の境にあるだけに常に戦闘の中心となり、領土は乱れ、数多くの者たちを戦乱で失っている。更に、フローイにとっては計略の一つに過ぎないが、今の領主バロドトスの祖父と叔父がフローイ国の闇討ちで命を失っていた。アトランティスが統一されて20年以上になるが、今に至るまで、バロドトスにとってフローイは身内の敵の国、憎しみは増すのみなのである。

「我らフローイ国がシュレーブ国のジソー王の元に駆けつけるとき、バロドトス殿は我らを快く通してくださるだろうか」

 ボルススはそう言って思わせぶりに善人らしいため息をつきながら、腹の底では考えている。

(これで良い)

 まもなく、ルージ国、ヴェスター国、グラト国が、聖都シリャードに巣くうアテナイ軍駆逐のために兵を進める。アトランティスの聖都シリャードが、シュレーブ国中央に位置するため、六神司院ロゲルスリンの詔を受けたシュレーブはその三カ国の侵入を撃退せねばならない。

 いかに中原の覇者とはいえ、一カ国で三カ国を相手にするのは分が悪い。必ず参陣をせかす使者がフローイに来るはずである。その時、侍女頭から情報を伝え聞いていたシュレーブのジソー帝はフローイ軍のために入り口を大きく開けてくれているだろう。ただ、この時、フローイ国の人々はバロドトスという一領主がフローイの命運を左右するとは考えては居なかった。

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