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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ひとをくったはなし

この話には少しばかり臓物様がアイタタタな描写がありますので、苦手な方はご注意下さいませ!



上半身は人、下半身は魚。気付くまでもなく、彼女はそんな存在だった。


いつから自分が存在したのかは覚えていない。


考えてみれば当たり前の話で、時間という概念を明確な形で捉えているのは人間だけである。周りに同じ種類の生物はいなかったから、彼女は自分の存在がどのようなものなのかを知らず、ただ本能に従って他の魚を捕食し、睡眠を摂り、生きていた。

ある時、自身の空腹を満たすために海中を回遊していた彼女は、一隻の沈没しかかっている船に近付いた。水中に漂う血の臭いを捉えたからだ。

何か、弱っている生き物がいるかもしれない。それならば捕食が容易である。


しかし、その判断がひとつの転機をもたらした。


船の周囲は木片や肉片や、彼女にはよく分からないもので濁り、視界が不明瞭だった。血の臭いが強くなり、鼻も大して役に立たない。

獲物を探すことに夢中になるあまり、警戒が疎かになった彼女は何かに襲われた。鮫だった。

彼女と同じように血の臭いに引かれて来たのか、それとも船をこの状況に陥れた存在なのか、彼女には知るべくもない。彼女は必死で逃走を試みたが、船の残骸が障害物となって逃走を妨げた。そして逃げ切れず、彼女は半身を文字通り食い千切られた。


ごつり、と鮫が歯を噛み合わす音が腹に響き、臍から下がごっそりと失われた。

凶刃を免れ、かろうじて繋がっている内臓と、凄まじい量の血液が海中に漏れ出る信じ難い激痛に噎び泣き、彼女は必死でもがいた。視界が霞み、自分の命があと僅かであることが嫌でも分かる。


その時、彼女の前に漂い出るひとつの「物」があった。


暗い海中でもなお白く見える物体。それは先程の鮫の食べ残し――人間、それも女の下半身だった。それを視界に収めた瞬間、生存本能が爆発するような叫びを上げ、彼女は無意識の内に女の下半身を自らのそれに継ぎ接ごうとした。


勿論、本来ならばたかがそんな行為で他人の下半身がくっつくはずもない。

けれど、人面半魚の彼女は人魚と分類される生物であり、そもそも人魚は人間がその肉を食べれば不老長寿を得る妙薬とされている。その肉の持ち主の生命力が弱かろうはずもない。

むしろ相応の生命力を保有していてしかるべきである。まして、不老長寿とまで謳われるのであれば、それは生半可なものではないだろう。

果たして、彼女が患部にそれをあてがった瞬間から、触れた部位の細胞が驚異的な生命力で融合し、癒着し、いびつながらも馴染んでしまった。

しかし、なんとか生き残ることに成功したものの、魚としての形状を失ってしまった彼女は同時に海で生き残る術を失ってしまった。水の中を自在に泳ぐには、人間の下半身は不便に過ぎる。

多量の失血と慣れぬ動きに彼女は疲弊し、遂には力尽きた。浜辺へと打ち上げられた彼女を発見したのは、その付近の漁村に住む老夫婦であった。


一糸纏わぬ姿で浜辺に倒れ伏す姿に老夫婦は仰天し、すぐに彼女を連れ帰って手厚い看護を施した。


物も言えず、人としての情動を全く持たない彼女を老夫婦は船から落ちた衝撃で全てを忘れてしまったのだろうと大層不憫がり、やがて自身の子供もいないことも手伝って、彼女を自分達の子供として育てることを決意する。


彼女は老夫婦から「真魚」という名を貰い、人間社会に混じって生きることを余儀なくされた。



              × × × × ×



あらかじめ用意しておいた細い紐で、相手の喉を真横から絞めた。


指先に力を込めて紐を引き絞ると、器官と食道が圧迫された相手の口から声にならない吐息が漏れる。

悲鳴が漏れると厄介だから、この手段は都合がよかった。真魚の腕力なら死に至らしめることも可能だが、鮮度は高い方が「持ち」がいいことを彼女は既に学習している。

じたばたと足掻いていた相手から、不意に糸の切れた人形のように全身の力が抜けた。ようやく失神してくれたらしい。抵抗しても逃げられないのなら、「獲物」になるしかないのが自然の摂理である。


真魚の足は消耗品だった。


それに気付いたのは、足を得て数年経ってからのことである。最初は足の違和感に始まり、少しずつ細胞が摩耗したのか継ぎ接ぎした部分から徐々に腐り始めたのである。

元々が他人の物である以上仕方のないことかもしれないが、真魚にとっては死活問題だ。腐敗の進行を止めるために患部を摘出し、健康なものとの交換に思い至ったのはごく自然な流れだった。これが一体、何度目なのか真魚はもう忘れてしまった。けれど、生きるためなのだから仕方ない。長きに渡って人間社会のことは学んだが、生存本能の前に全ての倫理は無意味となる。


駅から少し遠くて薄暗い、人気のない路地。真魚は失神している女の子を軽々と背負い、段々思い通りに動かなくなってきた足を半ば引き摺るようにして歩き出した。たとえ警察に聞かれても、友人を自宅に送るとでも言えば必要以上の咎め立てはないだろう。


「ねえ」


そんなことを考えながら歩いていると背後から声をかけられ、真魚は振り向いた。胸の辺りまで伸ばされた黒髪がさらりと揺れる。


見覚えのない女の子が立っていた。


小柄な、色白の人物である。ラフなパーカーを着て、人好きのする笑顔でこちらを眺めていた。


「あたし、ちせっていうの」


にこにこと、目の前の状況が何も分かっていないかのように、少女――ちせは言葉を紡ぐ。


おかしい、と真魚は思った。


目の前で行われたことを見ていなかったのだろうか。それならば気にする必要はない。適当に誤魔化せば話は済む。

そう判断し、無難な言葉を選ぼうと訝しげな視線を向けると、ちせは変わらず太平楽な表情で、真魚の言葉を待たずに奇妙な台詞を口にした。


「あたしね、あなたにとっても会いたかったの」


意味が分からない。眉を顰める真魚に、ちせは更に続ける。


「最初はね、半分だけじゃしょうがないかなって思ったんだけど……ぜーたく言っちゃダメだよね」


幼い仕草でうんうんと頷き、一歩、こちらへと足を踏み出す。真魚は無意識に一歩後退した。無邪気な表情と瞳の奥に潜む、狂的な何か。真魚の首筋にいやな汗が浮かび、肌が粟立った。人間のそれよりも余程鋭敏な彼女の本能が、全力で警鐘を鳴らしている。


「半分しかないって考えるより、まだ半分もあるって考えた方がお得感あるもん。だから――」


目の前の存在は、危険だと。


真魚は咄嗟に背負っていた「獲物」を放り捨て、逃走した。獲物はまた探せばいいし、それよりも目の前の脅威から逃げる方が彼女には重要だったのだ。


けれど、遅かった。


後手に回ってしまった真魚に勝ち目はなかった。

ちせは予想外に素早い動きで地面を蹴り、真魚の背中に肉薄する。


「人魚さん、いっただっきまーす」


何かが押し当てられ、ばしんっと腰を中心として全身に痺れるような衝撃が走ったきり記憶がない。



              × × × × ×



今日はなんていい日なんだろう。


ちせは物凄いるんるん気分で包丁を研いでいた。部屋に運び込んだ「食材」は逃げ出したりしないように椅子に縛り付けておいた。先に首を落としておこうかとも思ったのだが、鮮度が落ちて味が落ちるのは避けたい事態である。


何せ久しぶりの獲物だ。大事に食べたい。


自分がいくつなのか、ちせはもう覚えていなかった。

途方もない年月の中で、ちせの記憶は新しい記憶を仕入れる度にところてんの如く古い記憶が押し出されてしまう。けれど、そんな中にもどれだけ年月を重ねようと消えない記憶があった。


幼いころに食べた、人魚の味である。


ちせが住んでいたのは人口数百にも満たない小さな漁村で、彼女はそこで祖母と二人暮らしをしていたのだが、ある時、漁師の人が「珍しい魚が獲れた」と大声を上げながら帰ってきた。

それは、人の顔と胸部をしているが他は全て魚という奇妙な魚だった。他の皆はそろって気味悪がり、海へ捨てようと騒いだのだが、ちせはその魚から漂うえも言われぬ香りに強烈に惹かれた。


「捨てるくらいならあたしが食べる」


そう言って半ばもぎ取るような形でそれを貰い受けると、その足で裏の森に行き、人目のつかない大きな木の洞に入り込んで、生のまま鱗も剥がしていない尾の部分に齧りついた。肉を咀嚼して骨すらも砕き飲み下す。


筆舌に尽くし難い美味だった。


あとはもう夢中で引き裂いて肉をむしゃぶり、柔らかい胸部を貪り尽くし、頬肉すら歯で刮ぎ落として嚥下した。今まで感じたことのない充足感がそこにあった。


しかしそこから、ちせの人生は狂った。


人魚の如何なるご利益か、その時点からちせの身体は年を取ることを止めてしまったのだ。

数年後には祖母も亡くなり、排他的な村人は幾年経とうと全く姿の変わらないちせを気味悪がって近付かなくなった。けれど、ちせは反省も後悔も全くしていなかった。それどころか村を出奔し、余りある時間を使って人魚探しを始めたのである。探さずにはいられなかった。それほどに、人魚の肉の味が忘れられなかったのだ。勿論空振りも珍しくなかったが、中には当たりもあった。とはいえ、最初の味を超える肉には未だ出会えていない。

そんな年月を過ごしている内、ちせは徐々に人魚の放つ芳香のようなものを嗅ぎ分けられるようになっていった。滅多に食べられるものではない人魚をいくつも口にしたせいか、それとも彼女の人魚に対する食の執念がそうさせたのかは定かではない。


そして各地を流れに流れ、ちせはこの街で僅かだが人魚の匂いを嗅ぎつけた。


最初は信じられなかったし、自分の嗅覚を疑ったりもした。まさか海以外の場所で嗅ぎつけるとは予想だにしていなかったからだ。


そして数日間探し回った結果、ちせは「彼女」を発見し――現在に至る。


芳香が薄い理由と街中を人魚がうろついているワケはすぐに分かった。彼女の下半身は人間のそれで、明らかに人魚ではない。何をどうしたのかは不明だが、何らかの方法で得たのだろう。

ひたすら人魚が食べたいだけのちせにとっては、食べで(・・・ )が減って勿体ないという以外の感情はなかった。



              × × × × ×



意識を取り戻した真魚は、自分の置かれている状況を正確に理解した。


手首は両方合わせて細いロープで縛られており、両足はそれぞれ椅子の足に固定されている。

先程の衝撃はどうやらスタンガンらしく、腰の辺りが火傷したようにひりひりと痛み、手指の先に痺れが残っていた。


「あれぇ、起きちゃった」


ひょこっと、ドアの向こう側から自分を襲った張本人が何気ない調子で顔を覗かせた。友人を相手にするように気安く、あまりに平凡で、呑気な調子に場の空気が弛緩しかける。

そこで、真魚は気付いた。ちせは真魚に反応を期待しているわけではない。ただ、自分で料理の順序を確認するように思ったことを口にしているだけだ。相手に人格なんか求めていない。

仮に求め、相手に人格を見出してしまえば、それは調理ではなく殺人に変わる。


「じゃあ、もう始めた方がいいよね。お腹もへったし」


ちせはのんびりとした様子でひとりごち、台所に向かった。

そして戻って来た時には、手に刺身包丁と小さな鍋を持っていた。


「とりあえず、血抜きからしちゃおう」


魚にする、ごく当たり前の行為。だが、日常的だからこそ、その異常さは尚際立った。血液が噴き出ると思われる首筋に鍋をあてがい、刺身包丁を振りかぶる。鈍く閃く銀色。


「――ッ!」


食べられる。捕食される。海では当たり前だった、生存競争。久しく感じたことのなかった恐怖心が全身を支配する。鮫に襲われたあの時のように、真魚は滅茶苦茶に暴れた。思い切り両腕を突き出して刃の部分を押しのける。


「うあ!?」


押しのけられた刃先がちせの頬を浅く切り裂き、その拍子に椅子が真魚の身体ごと横倒しになった。

縛られているので身体を守ることもできず、全身に衝撃が走る。


「このぉ……!」


激昂した声が室内に響き、次の瞬間には更なる衝撃が真魚の腹を急襲した。どん、と重く伸し掛かる圧迫感から強制的に酸素が排出させられる。咳き込む間もなく、真魚の腹に馬乗りになったちせが包丁を両手で力強く握る。


「死んじゃえ」


傷付けられた憤激でぎらつく双眸と酷薄に歪んだ唇で、ちせは包丁を振り下ろした。ぞぶっ、と腹を殴られたような奇妙な感覚と異物感。それに伴った熱のようなもの。遅れて激痛。


「……っ」


苦悶の声を押し殺し、真魚は死にたくないという本能に従い――。


「え」


噛みついた。


全身の力を込め、首を伸ばす。腐敗が進み剥がれやすくなっていた下腹部の結合部がみちみちと音を立てて外れ、内臓部が剥き出しになったが構わず、その分稼げた距離を使ってちせの肩口にぎちゃ、と牙を潜り込ませた。


「ひぎっ……ぁああ!」


ちせの肩口が噛み千切られ、傷口から血が溢れ出す。しかし真魚はもう止まらない。離れようとしたちせを上半身だけで押し倒し、ぞろりと牙の生えた口を大きく空ける。魚が獲物を捕える理由は、捕食以外にありえない。あとは一方的な蹂躙だった。真魚は明確な捕食者から単なる餌へと変貌を遂げたちせの上半身を徹底的に貪り尽くす。首、鎖骨、乳房、構わず牙を突き立てた。痛みに身悶えする身体を押さえつけ、響く哭声を気にも留めない。目玉を抉り、臓腑を咀嚼し、神経線維を引き裂いて齧る。ごり、と肋骨を牙で挟み込んだ。

これまで真魚が社会的な制裁を受けた試しがない理由が、これだった。いくらかたち(・・・)が人に近くても本質が魚である彼女には、鮫にとっての小魚と同じように如何なる人間も餌に過ぎない。彼女が襲った人間の下半身を覗いた残りの部分は、例外なく真魚の「食糧」になっていたのだ。死体が出なければ、事件にならないのはいつの世も変わらない。その点だけを考えれば、真魚の行為は文字通り「足がつかない」のだ。


頭蓋を噛み砕き、中の柔らかな脳髄を啜る音が不気味に反響した。



              × × × × ×



豊富な栄養をたっぷりと摂取したおかげで先程の腹の傷もすっかり塞がっている。

人間ほど量と保存状態に優れたタンパク質は他にない。新しく得た下腹部の辺りを撫でながら、真魚は軽く嘆息した。ぴったりと接合された患部は、前回よりも随分馴染みがいい気がする。既に残りの部分は頭皮と頭蓋骨くらいで、他は全て真魚のお腹の中に消えている。思ったよりも収穫だったかもしれない。

満足げにげっぷをひとつすると、真魚は唇の周りをぺろりと舐めた。



「ごちそうさまでした」





〈了〉


題名にはふたつの意味を込めました。どっちもお互いを食べる気まんまんなのである意味フードファイトです(笑)。ご拝読ありがとうございました!

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