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セイハロー、セイグッドバイ


だいぶ前のリクエスト企画もの。

海藤が、摂子を好きなのに他の人と結婚する、というお題です。

かなり甘苦い。








ーーーたとえ一度救っても、また見捨てたのなら救わなかったのと同じだ。


そんな風に言われたような気がして、海藤久成は目の前で立ち去ろうとしている女を見送っている。

親父だ。

気にくわない彼の父親に、確かそう言われたあの日は泣く泣く拾った猫を捨てなければならなくなった時だったことを記憶している。

彼の父は動物を好まなかった。

海藤久成は父に反抗できるほど成長してはいなかった。

それだけ。

たったそれだけのことで招いた事象を、海藤久成の脳はいつまでも記憶に残していたらしい。


「じゃあ、さようなら」

「……ああ」

「どうぞお元気で」


自然で、でもどこか心の中に残る不思議な視線と、爽やかな挨拶。

出会った時と同じ印象の別れは、驚くほどすんなりと遂行されてそれきりだった。

家に入っていく細腰の頼りない背中を見送りながら海藤は、仕方がないので彼女と出会ってからの越し方をぼんやりと思い出し始めた。








*セイハロー、セイグッドバイ*








それは、ほんの気まぐれだった。

既に婚約者との契約も済んで、あとは残り少ない独身時代を謳歌しようと遊び呆けていた矢先のことだ。

ようやく結婚をせっつかれなくなり肩の荷が下りた軽薄さで、女でも引っ掛けるかと花街に繰り出したら鼻歌気分に釘を刺すような場面に出くわした。


「おう、女!見たところテメェ、貴族の端くれか?汚ねえナリで分からなかったがドレスの仕立ては上等だ。そこのガキ寄越さねえってんならテメェに金払ってもらおうじゃねえか!」

「なんならその身1つでもいいんだぜェ?」


恐らく人買いであろう男達数人が、少女2人を囲って何やら喚いている。

素知らぬ振りで通り過ぎようとしたのに、2人の内1人の目を見たのがいけなかった。

何か頭の中で一瞬、残像のようなものが過ぎって、海藤の足を竦ませた。

何故だか既視感がある。

なんだ、と思う間もなく、海藤は自分の意志から離れたところで彼らの中に割って入るという行動に出た。

自分でもまったく驚きながら。


「なんだ、あんた。お貴族様が出しゃばるようなこっちゃねえですぜ。こんな女ども、あんたぐらいのクラスならいくらでも選り取りみどりでござんしょ。さあ、行った行った」


人買いの言葉はまったくその通りだった。

だが何故か、海藤は少女2人のうち、年嵩の方の目が気になって仕方ない。

必死に助けを求めているような焦りの傍ら、どこかで何もかもを包み込んで取り込むような包容力を感じてしまったのがいけなかった。

海藤は胸元に手を突っ込んで、その日持っていた遊び金をすべて人買いへ渡してしまった。


「この2人は俺が買う。それで足りねぇなら親方でも呼んできな」

「足りねぇどころか、へ、へへぇ、あんたほどの物好きにゃ滅多にお目にかかれるもんかい!ありがたくいただいていきやすぜ!おう、テメェら、引き上げんぞ!」

「へ、へい!」

「こいつぁ儲けた!」


喜び勇んで引き上げていく人買いをポカンと見つめていた少女2人を、海藤は見もせずにこう言い放った。


「恩を返してぇならついてきな。そうじゃねえヤツはさっさと立ち去れ」


すると、2人の内年若い方は脱兎の如く駆け出して行き、残ったのは海藤と目が合った年嵩の方だけとなった。

しかしそれは、どこかで海藤もわかっていたことかもしれない。彼女は必ずその場に残ると何故だか強い予感がした。


「海藤…久成、さん」

「あ?」

「こんにちは。こんな所で会うなんて、思いもよらなかったけれど」


海藤は振り返って彼女をもう一度まじまじと見た。

あっ、と思った。

既視感などあって当然だったのだ。

彼女は、一昔前なら幾度か海藤と夜会で顔を合わせていたのだから。

こんな、ヨレヨレのドレスを着て、ボサボサの髪型でなければ直ぐに分かっただろう。

彼女の名前は杉田摂子。

その昔この辺りでは名を馳せた有名貴族の一人娘だった。

今は没落の一途を辿って一族郎党、散り散りになったそうだが、彼女はここに残って住むことを選んでいたらしい。

恥を忍んだその心意気なら立派だが、未だに羽振りの良かった時代のままの認識でいるのではと海藤は訝しんだ。

でなければ、人買いから人助けをするような真似など出来るはずがない。


「杉田摂子、か。どうする?俺がさっき言ったのは本音だ。恩返しが面倒だってんなら今すぐ取って返したっていーんだぜ?」


すると、杉田摂子は相変わらず印象的な目でじっと海藤を見つめたあと、ふるふると首を横に振った。恐らく彼女の中にはそんな選択肢など無かったことをわかっていて言ったセリフだった。

果たせる哉彼女はこう言って返した。


「あんなお金、今の私には返すあても無いけれど、それでも救ってもらった恩を無碍になんて出来ません。私で出来ることなら、あなたの言葉に従います」


腐っても貴族だ。

ヨレヨレのドレスにボサボサの髪、それでもその瞳の中に湛えてあった「何か」が海藤久成を呼び寄せた。

海藤はその日から、女を一人飼うことにした。








飼うと言っても屋敷に招くことはしなかった。

すでに婚約者のいる身、しかも結婚を真近に控えている立場で面倒事を起こしたくは無い。

そんなわけで杉田摂子の住む場所へ案内されることと相成り、ボロいソファに座らされて出がらしのお茶を啜っている。

彼女は思った以上に清貧な生活を強いられているようだった。


「あ、あのう」


恐る恐る杉田摂子が聞くので、


「なんだ?」


と何の気なしに答える。

さっきから気に掛かっていたことだが、杉田摂子はどういうわけか必要以上にこちらに対して怯えるような態度を取っていた。


「わ、私で出来ることなら、と言ったんですけど、でもその、これといって特技もないし、ですね……」

「敬語」

「え?」

「とりあえずその敬語はいらねぇ。貴族だろ?アッパーだろうがミドルだろうがおれは気にしねえ」

「あ、はい……」


素直に従う。

この辺り、本当に元・栄華を誇った貴族の端くれか、と問いただしたくなるほど、どうやら彼女はかなり謙虚な性格の持ち主のようだ。

それもそうか、と海藤はひとりごちる。

夜会でもそういえば、1人壁際にぽつんと花になっているタイプだった気がする。群がる女どもの向こう側に彼女を見つけた時、親父はあれほど派手な性格なのに、はて、どうしたことかと不思議がったものだ。


「1つ、言っておく」

「は、はい!」

「俺は別に無理難題を言いつけて暇つぶししようとか、何か考えがあってアンタらを自由にしたわけじゃない。単なる気まぐれだ」

「は、はぁ……」

「だから特別何かを望んでもいないってのを分かってほしい。いいか?俺が飽きたらこの契約……とでも呼べばいいのか、とにかく関係は終わりだ。俺とアンタの間には恩も何もない」

「え……」

「じゃあどうやって恩を返すかって?こんな風に意味もねえ会話をしてりゃいいのさ。願っても無い条件だろう?だからビビるなよ?あとあと命を取ろうなんて魂胆もねぇさ。俺がそれをして何の得があるってんだ」

「はあ、確かにそれもそうか……」

「金と暇、どっちを取るか賭けをしたようなもんだ。俺は金で暇つぶしを買ったと思えばいい」

「私で役不足ではない?」

「気にすんな。俺はとりあえずアンタのその目が気に入った。そいつを見に来りゃそれでいいぐらいにな」


相手は今いち状況を飲み込めていないようだった。さもあろう、海藤だって少し自分が何を言っているのか分からないし、こんなことをしようと思いついたのも初めてのことだ。

……多分。

どこか、ざわざわとする胸の奥に違和感を覚えるが、それは無視しておく。


「じゃあ、また明日」

「ああ、ご馳走さん」


こうして、割とすんなりと期限無しの通いの日々が始まった。







「あ、こんにちは、海藤さん」

「なにしてんの」

「出がらしのお茶をこうしてガーゼに包んで拭くと防臭効果と殺菌作用があるから、取っておくの」

「へえ」


ボロだが広い屋敷を管理しなければならない彼女は、近所の労働者達に知恵を叩き込まれて立派な使用人と化している。

海藤はしかし、それをむごいとは少しも思えず、むしろくるくる立働く彼女を好ましく感じていた。

父親は借金を苦に自殺、母も後を追い、1人生き抜かねばならないその生活は、側から見れば悲惨なものかもしれない。

その辛さを思うと計り知れないものがあるが、杉田摂子の瞳には少しも響いているところがない。それが、なおのこと好ましく思える要素の1つとなっていた。

通い始めて3日、摂子は大分打ち解けて、海藤の目をようやくマトモに見れるまでになっていた。(今までは目が合おうものなら即座に逸らしていた)


「海藤さんって不思議な人ね」

「あんたには言われたくないな」

「そう?好き好んでこんな貧相なのを相手するなんて。あの夜会の時だってあなたは選り取り見取りだったのに、こんな縁も無ければ私があなたと話すことなんかなかったでしょうに」

「選り取り見取りってのは選ぶ権利があるにはあるが、俺が話したいやつが寄ってくる訳でもないしな。あんたは寄って来なかったし」

「と、当然でしょう」

「高嶺の花を気取ってたわけか?」

「馬鹿言わないで、あなたに袖にされるのをわかっていて群がる蝶なんかいないってこと」

「ふむ、俺の周りは蛾の集まりで、アンタが蝶だったと」

「だから、違くて!」


こういった、他の女とは調子の違う会話もよく弾む。要するに相性が良いのだと思う。

側に居て楽だと感じる相手を、男友達以外に見つけたことなど今日までなかった。

海藤はこの辺りから、マズイと感じ始めていた。婚約した相手を、お荷物と思い始めている自分に気づいたのだ。


「私を買ったのも暇つぶし、なんて言えるほどお金があったらなぁ、お家も再興できるのに」

「お、言うようになってきたじゃねえか。そしたら俺が協力してやろうか?持参金なんぞなくても、俺なら……」

「……」


はじめて会話が途切れた。

2人とも、妙な流れになったのを嫌い、数分、気まずい空気が場を濁す。


「結婚式、いつなんだっけ?」

「あと、10日もねぇな」

「それなら、私とこうして会うことももう無いね。……あなたが望むのなら、私は嫌と言えないけれど、きっとそんなこと望まないでしょう?」

「……」


心の底から、会えなくなることを嫌だと思う自分に気づいたのは、その時だった。なにも構えることなく、過去も未来もなく、体裁も気にしない、そんな相手が伴侶だったらどんなに良いか。

杉田摂子だった。

その相手は、杉田摂子だったのだ。


「お家再興の、助けくらいにはなってやるさ」


本音では無かったので声が変になった。わかっていても、海藤はそう言わなければならなかった。


「ありがとう、でも、今でももう充分なくらいよ。こんな私を拾ってくれて、本当にありがとう」


まるで別れの台詞のようだった。









結婚式は壮大に執り行われた。

アッパークラスでは飛ぶ鳥を落とす勢いの海藤家の跡取りが婚姻を機に後を継いだのだ、当然であった。

だが花婿の心中は穏やかでなかった。

これをもって杉田摂子の元へ堂々と行くことが叶わなくなった。

そうなると、何故か是が非でも行きたいという気持ちが強まっていく。深夜に忍んで会いに行くことを、もはや禁忌とも思わなくなっていた。


「海藤さん、ダメ、帰って。こんな時分に新婚の旦那様が来る場所ではないと、あなたが一番分かってるでしょう?」

「俺が望むまでだ。そう始めに言ったろ。まだ全然飽きてない」

「だって、今まで……」


そう、こんな夜更けに訪れたのは初めてだった。明らかに男女の仲を示唆する時間帯。


「海藤さん……ダメ」

「摂子……頼む」

「あ……」


夜着を取り払い、とうとう諸肌に触れた海藤は胸の中で快哉を叫んだ。

やっとこの女を全て自分のものにできる。

買ったのだ。

この女は、俺が遊ぶために、買ったのだ。


「いやっ……!」


しかし、摂子の反応は著しく悪かった。

目に涙を浮かべ、いつでも海藤を受け入れてくれていたあの瞳には拒絶の色しか浮かんではいない。

だが、自覚した以上こちらももう止まることはできない。

海藤は摂子を抱いた。

一晩中、嵐のように激しく抱き潰し、彼女は終始、涙が枯れるほど泣いたままだった。







結局それが別れの合図となった。

こうなった以上、もう、以前のように話をして終わり、というわけにはいかないし、何より昼に通うことができないわけだから、前の関係に戻れるはずもない。

進退窮まった2人は、どちらからともなく別れを自覚し、切り出すことになった。


「もう、会うこともないだろう」

「ええ……」


海藤の言葉に頷く摂子は、しゃっくりを止められずにいる。

せめてその口から未練の言葉を聞きたかったか、彼女は海藤が買ったのだ。

恐らく言わないだろうと思ったし、結局最後まで聞けずに終わった。



「何故、最後まで責任を持てないとわかっていてそれを拾ってきた?それは見捨てたのと同じなのだぞ」



生き物を嫌う父親の言葉が過ったとき、あの頃から自分は何も変わってない、そう自覚した。

結婚した妻とはつつがなく暮らして行くことができるだろう。

けれど、杉田摂子と話していたときほどの充実感を味わうことはもうないだろうと思った。


その後、風の噂でどこかの没落貴族の娘が死んだとの報告があった。

まさかと思って杉田摂子の屋敷に行ったらもぬけの殻で、近所の者に聞いて回ったらどこかへ引っ越したとわかって胸を撫で下ろす。

生きている、そう知っただけでも儲けものだった。

あの猫のように、自分は彼女の人生に少し関わっただけで、それは無かったことにもできるはずなのだ。


(最後まで責任を取らなければ、買わなかったのと同じだ)


呪いのような父親との台詞を胸に反芻させると、海藤は家に戻った。


じゃあさようなら、と、自然で、でもどこか心の中に残る視線を、眼裏に思い浮かべながら。











セイハロー、セイグッドバイ・了





この二人が一緒になっていたらすごく仲のいい夫婦だったでしょうね。

なんでも頃合いというものがある、そんなお話にしたかったのでした。



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