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魔族同居人




通販で販売していた同人誌に収録していた一話です。

ちなみにもう完売してます。







魔族同居人







「なあ、エサくれよ」

「え!!も、もう……?今朝あげたばっかりじゃん……」

「腹減ったもうダメ死にそう」

「なんか微妙に棒読みなのが気になるんですけど」

「体力ねーの、今」

「なんか供給頻度、高くない?」


目の前で三白眼を光らせている男が、かぱっと口を開けて犬歯を覗かせ、迫ってくる。

私は顔を熱くさせながら羞恥に耐え、それでもこの男の言いなりにならなければならなかった。

(一体なんでこんなことになっちゃったんだろう……)

やがて訪れる首筋の痛みを覚悟し、瞳を瞑ってこれまでの成り行きを思い起こす。


この男……大っ嫌いだったはずの、海藤久成との再会を。






確かその日は会社の飲み会で、三々五々帰りの途に着いていた時にことは起こった。


「なあ、いいでしょ〜杉田ちゃん?どうせ経験無いならさ、俺が手取り足取り教えてあげるって」

「け、けっこうです、あの、余計なお世話っていうか……課長、酔っ払い過ぎだと思いますっ」

「酔ってない、俺は酔ってないよ?前から可愛いなーって思ってたんだよほんと」


どの口が言うか、と内心で突っ込みつつ往来で迫ってくる氷上課長の顔を押し退ける。

他のみんなは私を人身御供にして早々に帰った後なので自分でどうにかするしかないのが悲しい。世知辛い現代社会に憂いている暇もなく、氷上課長は強引に近くのホテルへ引っ張っていこうとする。


「ね、ね、休憩だけ、すぐ終わるからさ」

「やです、叫びますよ!?」


鞄で体を遠ざけようとするも上手くいかず、思わず強気な態度で声をあげたら、課長は端正な赤ら顔を般若の如き形相に変えて居直った。


「ああいいよ?そっちがその気なら、俺だってあんたの社内の評判どうにでもできるからね?ただの平社員で地味で仕事もぱっとしないあんたと俺、どっちに軍配上がるか分かってるよね?」

「お、脅しですか」

「人聞き悪いな〜。たった一回寝るだけで出世できるなら安いもんだと思った方が、精神衛生上良くない?」


世の中の大半の女性を敵に回すセリフをこの氷上課長が言っただなんて、きっと社内の誰も信じないだろう。

営業成績で言えば課長に信頼が集まるのは当然だからだ。一介のぱっとしない女性社員の言葉なんか風前の灯火だ。

仕方ないと一瞬でも諦めてしまったせいか体の力がふっと抜ける。その隙を逃さず手首を取られ、きらびやかなホテルのパネル前まで引きづられる。


「大丈夫、優しくするから」


ねっとりとした課長の声に「いやだ!」と叫びかけた時だった。


「うー……がぅっ!」

「わっ!な、なんだ!?」

「へっ?」


下から吠え声がしたので見下ろすと、腰まであるのではと思うほど大きな体躯の黒い犬が、私達に向かってしきりに吠え立てている。


「がうっ、がう!うぅ〜〜……」


呆気にとられて呆然と立ち尽くす私を余所に犬は吠え続ける。

狼の交配種に見紛うほど甘さのない鼻面には皺が寄っていて、鋭い黒の瞳は私でなく課長へ向けられていた。


「なんで俺たちに?しっ、しっ……!こ、コレ、杉田さんの犬!?」


追い払おうとしても決して離れようとしない大型犬に辟易して課長が聞いてきたので、反射的に「いえ」と返しそうになった私は、そこで「ピン」と閃いた。


ご、ごめん、犬クン、ちょっとだけ私を助けて……!


「そ、そうなんです、課長!忘れてました!今日はこの子を散歩に連れて行く日だったんですよ〜〜!」

「……え、え〜〜」


なんで飼い犬が偶然ラブホ前の飼い主を見つけて会いに来るのかという当然の突っ込みはこの際まるっと無視して、とことん犬を利用してやる気満々だった。


「よ、よくここ分かったね〜、は、ハチ!偉いね〜?え?お散歩早く行こうって?だから逃げて来ちゃったの?うん、分かったゴメンね遅くなって!今すぐ行くから!」


ワシャワシャ、と顔を撫でて猫撫で声をかけると、犬は睨む視線をこちらに据え、今にも襲い掛かってきそうな迫力を醸して低く唸り出した。恐怖で冷や汗が背筋を伝ったが、今更引っこみはつかないし、この場を切り抜けられそうな手段はもう他に無い。


(うぅ〜ごめんってば、あんたの飼い主でもないのに!でも今だけ、氷上課長から逃げたらすぐ解放したげるから!)


「ハチって顔かよ、そんな大型犬……。ほんとに杉田さんの犬なの?アパートじゃなかったっけ、家?」

「お、大家さんが最近変わりまして、今はペットオッケーになったんです。ハハハ……それじゃ、課長、お疲れ様でしたー」


課長に怪しまれてあれこれ聞かれる前に、スタコラサッサとその場を辞した。

チッと舌打ちする音が背後で聞こえたが振り返る余裕もない。何しろ、いつ犬が私から離れるか気が気でなかったので、私の意識は大半が隣の黒い大型犬に注がれていたのだ。

だがそんな不安を煽るどころか、犬は先ほどの威勢はどこへやったのかというほど大人しく従ってついてきてくれた。ほっと胸を撫で下ろす傍ら、どこか拍子抜けもする妙な感覚のまま、私はからがら飲屋街を抜け出すことに成功したのだった。


かくして、その夜の一難は無事に去ったかと思われた。




ーーーところが。




この日本昔話みたいな犬の救出劇には、なんと、全米が度肝を抜かれるほどスペクタクルなオチがついていたのである。







「え?」

「え?じゃねーよ。助けてやったんだから礼をしろっつってんの。当然でしょ」


私は確か、犬と歩いていた。


そのはずだ。

そのはずである。

それが、ど、ど、どうして……


「ど、どちら様でーーー」

「はあ?お前、覚えてねーの?」


犬が、突然、成人男性に変貌したーーー???


何を言っているのかわからないと思うけど私も分からない!


け、けれど今目撃した一部始終を簡単に説明するとそれである。

紛うことなく、隣を歩いていた黒い大型犬は、この無人の公園に着いた途端に成人男性にメタモルフォーゼした。


……やっぱり自分でも何を言ってるか分からない。


「お、覚えてるも何も、え?あの、今あなた……」

「あー。犬だったけど?それよりほんと覚えてねーわけ、俺のこと」


それより?

それよりで片付けていい問題なのソコ!?


「覚えてったって、あなたみたいな若い男性……と……って、あれ?」


今まで犬が人間になったことばかりに思考を奪われて(当たり前だと思う)よく確認せずにいた顔を改めて見たところ、どういうわけか心当たりがある。

しかもそれは、すこぶる思い出したく無い類の顔立ちであって……。


「か、海藤……久成、くん?」

「あ、やっぱ覚えてんじゃーん。お前杉田だろ?」


そう。

よくよく確認したその顔は、なんということでしょう、中学時代にいじめられていた相手と似通っているではないか。

しかも運の悪いことに、どうやら本人確定っぽい。

今日は一体なんなのだろう、仏滅だったっけ?

はっ!も、もしや、さっきの飲み会でどっかぶつけて打ち所が悪くて幻を見てる?

もしくは飲み過ぎて悪夢の真っ只中?


「おーい、杉田。杉田セツコさーん?大丈夫かー、意識ありマスかー?」


現実逃避すんなー、と声をかけられ、目の前で大きな手の平をぶんぶんと振られ、意識の確認をされてしまった。

はっ、として私はぐるぐる考え過ぎる思考の輪からなんとか外れると、改めてかつての同級生を見て瞠目した。


「か、か、か、海藤久成!?な、なんであんたが、っていうか犬、あの犬は、あれ???」

「うるっせーな!ちょっとは年相応の反応できねーのかよ、耳元でぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん……あと勝手に呼び捨てにしてんじゃねーよ馴れなれしい」


即座に毒を返してくるその憎たらしさ、変わってない!

やっぱり海藤久成の大人バージョンだ!

……てか、だから、さっきの犬からの一連の出来事は一体なんなんだよー!


言いたい文句はぐぬぬ……といううめき声の中にかき消えた。

何しろ、こいつが犬だと分かった途端に、今までなぜか忘れていられた恐怖がじわじわと這い上がってきて、自然と体が後退し始めたのだ。

けれどそれを阻止するかの如く俊敏な動作で海藤が間を詰めてきた。

捉えられた腰に回る腕はしっかりとしていて、見かけ通りとてもではないが逃げられる気がしない。

絶体絶命とはこのことだ。


「コラ、何逃げようとしてんだよ。言っとくけどさっきの借り返してもらうまで帰す気ねーからな」

「ひ、ひいぃ……!」


ニヤリと笑む口から目立つ犬歯が光るのを見て背筋にゾッと悪寒が走った。

これからどんな阿鼻叫喚の拷問が待ち受けるのか。

ろくでもない想像しか浮かんでこない私は、その日初めて氷上課長のセクハラが恋しくなった。







……と、ここまでが冒頭に至る顚末である。

頭がこんがらがりながらも説明された海藤の事情を掻い摘んで説明すると、なんと海藤久成は狼族と吸血鬼のハーフらしい。

いまどきB級映画だってそんな盛りまくった設定をつけないだろうに、実際問題として彼は実存していて、しかもこれは厄介なことに現実だ。

夢なら覚めろ!と、何十回と頬をつねって腫れるまで試したんだから、いい加減これは現実だと受け止めるしかないのだ。

でもって海藤は、私を助けた見返りとして、私の体……つまり、彼にとっては「食事」を要求してきた。

彼の「食事」はどうやら私たちのそれとは、当たり前といおうかまったくの別物らしく……。


「ねえ、なんか長くない?今日……」

「…………」


首筋をガジガジと噛まれてからちゅーっと吸われていると、血が回らなくなるのか、それとも吸っている海藤による妙な副作用なのか、体がとろんと溶けて頭もぼーっとしてくる。

何も言わずに吸っている海藤は聞いているのかいないのか、唇を離す気配がない。

痛みと気持ちよさが綯い交ぜになって身体を通り抜けるこの感覚は、この2週間ほどでだいぶ慣れてきた。


「はー、生き返る。やっぱお前の血うまいわ。顔も身体も全っっ然好みじゃねーけど」

「…………」


ようやく口を離したと思ったら余計な一言が添えられてきてムカッ腹が立つ。

せめてご馳走様くらいは言ってもらいたいものだ。


「ん?ちっと長かったか?喋れねえ?」

「……んーん。ちょっと……ぼーっとしてるだけ……」


三白眼の鋭い目元を珍しくくりっと大きくして、これまた珍しくこちらの様子を窺ってきた。いつもより食事タイムが長くなったことは相手も自覚しているらしい。


「悪ぃ、でも、ま、仕方ねーんだって。処女な上にお前ぐらい血と魔力旨いヤツそうは居ねえから。てか見つかんねーし」

「ま、まさか、……他の人との食事、制限してるとかじゃ……」

「いや、特別そういうことはねーけど。……まあ、無意識に食う量減らしてるとこはあるかもな〜。お前のが旨いもん」


脱力しようにもすでに脱力してるから溜息を吐き出すくらいしか出来なかった。

名残惜しそうに噛み跡をペロペロと舐められるのも、もうなすがままだ。


海藤はいわゆる「魔族」なんだそうで、人間の血液による栄養と魔力を蓄えることで活動できるらしい。しかし、それは誰でも良いというわけではないのだそうだ。それというのは狼族とのハーフという特異な体質が所以で、人並み外れた嗅覚(体臭というより魔力を嗅ぎ分ける)を持ち合わせているがため、彼が言う所の「旨い」人間でなければ吸う気にもなれないのだとか。私は運良く(?)グルメな彼の舌に合う人間だったらしい。そんな事情を知ったからか、助けられた恩を汲んでか、私もかれこれ1日3回以上の食事に付き合わされ、しかもその行為に慣れようとすらしている所である。


「あの、それで……私っていつまでお食事と寝床を提供すれば……」

「魔力溜まるまで」

「それって具体的にはいつ頃……」

「分かんねーよ。んなもん。つか、普段は狼になってやってんだから我慢しろよ」


色々あべこべな言い分に辟易しながら、現状を客観視して妥協せざるを得ないのは確かだ。

元凶に指摘されるのは腹立たしいとしても。


一応、これまでの成り行きを簡単に説明しておきたいと思う。


あの日、氷上課長から救出される手助けとなった海藤(犬)に見返りを求められた私は、2つの条件を提示された。

一つ、食事と住居を提供すること。

二つ、海藤の性質を他言しないこと。

一つ目については断固抗議したかったものの、「二つ目を証明させるためにも必要条件」と、半ば脅しのように眼光鋭く主張されたらぐうの音も出なかった。

流され体質の私としてもしかし、妙齢の男女が一つ屋根の下に住まうことにはさすがに抗議せざるを得ない。かといって彼に別の住居を提供できるほど高給取りでもなし、そうして私から恐る恐る提案したのが「普段は犬の姿でいること」だった。

はっきり言って四つ脚の状態で腰までタッパがあるような大型犬は苦手の部類だったが、家族でも恋人でも友達ですらない男を住まわせるよりはよっぽど気が楽だ。海藤は渋々ながら私の再三の訴えについには降参して、ワガママで横柄な半人間半犬の同居人が出来上がった。


「なあ、今日はアレやんねーの?」

「あれ?」

「ものすげーハグの嵐とキスの雨と……」

「きゃー!ご、誤解を招くような言い回ししないでよ!それ、犬の姿だった時でしょ!」

「帰ってきて早々、玄関口で激しく求められてな〜。いや、俺もさすがにあそこまで明らさまに誘われたことはなかったわ」

「あーあーあー聞きたくなーい!」


真顔でうんうんと頷いている海藤の言葉を、耳を塞ぎ大声を上げることで阻止しようとしたけどあまり上手くいかない。

3日前くらいだったか、飲み会でしたたかに酔っ払った私は、玄関先で「でん」と座って出迎えた気高い雰囲気の大型犬が可愛く見え、ついついその……箍が外れてしまった。


「ふわーん、可愛い可愛い、でっかいもふもふのわんちゃん可愛いよぅ〜〜〜。はあー癒される。もう一生抱きついてたーい」


……その後、約10分ほどハグやキスをしまくった後、その場で寝落ちした。

翌朝気づいた時にはパジャマ姿でベッドで寝かされていて、隣では犬化したままの海藤がじっとこちらを見ていた。

さーっと血の気の引く音を聞きながら昨夜の一部始終を思い出したのは言うまでもない。


「いーぜ?今おんなじことしたって。特別に許してやる」

「ごめん、って何度も謝ったじゃない。蒸し返さなくたって……」


同居人という単語に似つかわしくない上から目線は常のことだが、ことあるごとにそのネタを引っ張ってこられる方が心臓に悪い。

でも不思議なほど、中学の時の最悪なまでの印象を薄れさせるくらいには心を許せる、同居人としては悪くない相手にもなりつつあった。


(犬の時はびっくりするほど行儀良いし、人間の時は、偉そうな態度除けば基本的に無茶なことしないし。……それに、適度な距離を保ってくれている)


そんな節度を保った関係を結べる相手とは、中学時代の彼はあまりにかけ離れていた。

もちろん海藤も私もいい年になって、多少分別というものを覚えたことが要因だろうけど、それでもここまで同居人として上手く行くなんて誰が想像できただろうか。

最初は恐怖の二文字しかなかった半獣半人の特異体質も、私と海藤の間に置いてはもはや潤滑油以外の何物でもなかった。

ペットはやはり心に潤いを与えてくれるものらしい、と海藤には死んでも口に出来ないようなことを考えながら、こちらをまじまじと見ている同居人に視線を合わせた。


(あ、やば……)


思いの外真剣な感じの瞳に、視線を逸らさずにはいられない。


(困るなあ、こういうの。私のバカ)


馬鹿もここに極まれり、だろうが、最初ははた迷惑な同居人だったはずの彼に時々感情を乱されることには、もはや言い訳も追いつかない。

何しろ今まで恋人なんか居たこともなかった低スペックの女に、いきなり同棲なんてハードルが高過ぎるのだ。

あまり気付きたくはなかったけど、海藤久成という男は、時々三白眼の極薄な目元を細めると嫌に男前度が上がったり、お風呂から上がった時の無防備な上半身(裸)を見た時には色気すら漂わせていたり、とにかくその……ちょっと困るぐらい、心臓に悪い。犬の姿だったら普通に接したり話しかけたり出来るのに、人化した途端色々戸惑ってしまうのは、男性慣れしてないせいだということで片付けてしまいたいのに、日々そんな言い訳も難しくなっていく。

悔しいが、どうやら私は安い女だ。


「……変な女だな、お前。まあ前から変で暗かったけど」

「へ、変……?暗い、って……」


ソファに寝そべった海藤は、欠伸を噛み殺して何でもないように言った。


「普通、こんな不審者住まわせねーし、最悪ケーサツに突き出すだろうし、まずもっと怖がるだろ、常識的に」


言われてみればその通りなのだが、どういうわけかどれも頭に浮かんだことが無いくらい私の選択肢には当てはまらない。

ケーサツに突き出したいのはどちらかと言えば氷上課長だったし、尊大な態度のせいで忘れそうになるが、私は思ったより海藤に感謝の念を抱いているらしかった。


「その通りなんだけど、今の海藤くんなら私は中学の時より好きだよ。ちゃんと話してくれるし、犬の時なんか可愛いし」

「……脳みそ沸いてんじゃねーの」


悪態をつかれたけど、不思議そうに眼を見張るその険しい顔すらなんだか慕わしく思えて、ダメージにもならない。

相手の言う通り脳みそが沸いてしまっているようだ。


「なあ」


ソファの前で座り込んでいた私を引き上げ、海藤がまたも話しかけてくる。今日は普段にも増してなんだか饒舌だ。


「なに?」


硬いお腹のあたりに持ち上げられて仕方なく馬乗りになって見おろすと、相変わらず表情の読めない真顔で海藤は言った。


「腹減った」

「ま、また?」


よほど空腹だったのか、魔力の消費が激しいのか、なんだか供給量が多過ぎる気がしないでもない。血ってどんだけ無くなると生命の危機に瀕するのだろうとちょっと青ざめていると、海藤が上半身だけ起き上がってさっきとは反対側の首筋に顔を押し付けてきた。


「んっ……」


ぷつ、と皮膚の裂ける音が体に響く。

少しの痛みと、体液を吸われる気持ち悪さが行き過ぎると、今度は体がぽかぽかと温まっていく心地よさでいっぱいになる。

血を分ける代償として海藤が施している効果らしいが、心地いいのはいいのだが、なんというかその、下腹のあたりまで妙にざわつき始める自分のはしたなさだけはどうにかしたい。

正直、恥ずかしくて居た堪れない。

血液を提供するとき、これだけが私の悩みの種となる。


「ん……うっ……」


必死に声を抑えようとするのだが、ひとの気も知らないで海藤は無意識に時々私の体を撫でてくる。

今日もまた両手が腰や脇の下辺りを掠って、否が応でも妙な気分が昂ぶっていってしまう。


「まだ眠い?」

「んー……」


耳元でハスキーな低音が閃く。

心地よさと怖気とで震え、またも下腹に妙な熱が溜まっていく。

眠気は吹き飛んでいたが、それを悟られるのはなんだか嫌な気がして曖昧に返事をした。


「落ちねえな……」

「?」


溜息と共に吐き出された言葉はあまり聞いたことのない凄味のある声で、なんだか怖い気がしたけど、宥めてくるような手が優しく、また、吸った傷口を癒すかのように舐める舌先が心地良くて聞き流していた。


その意味を、海藤が実はだいぶ自制して吸う量を抑えていたこと、本来なら一度正体を知った人間は骨までしゃぶって食い捨てること等と共に知るのは、まだまだ先のことだった。


ついでに毎回生じる妙な快感の正体もまた、海藤に依るところが大きいというのも、この時の私は知る由もない。


「なんでもねぇ、そのうち分かるよ」

「ん……」


打って変わって耳心地の良い甘い声が、油断ならない状況の合図だと知るのもまたこの時ではない。

だから私は、同居人のスキンシップに頭から溺れきって、その日は眠る時まで海藤の食事に付き合った。

これが後の日常になるという悩みの種が蒔かれたことは、発芽する時まで気づかないまま。


「おやすみ、摂子。良い夢を」


ことさらに甘い声で夢へ促され、海藤の腕に体を預けた私は素直に意識を手放した。









終わり









人間になってくれるならでっかいわんこでも世話できそう、というか人間になるわんこはわんこじゃないですね。



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