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有終の花




長かった続き物、これにて幕引きです。












「海藤!」


大きな声で呼ばわりながら、私は駅のホームを駆け回った。

驚いて振り返る人々が私を凝視するけど構っていられない。

(もう会えない)

そう考えるだけで胸が張り裂けそうだったし、何か大事なことを忘れているような焦燥に駆られて居ても立っても居られなかった。

どうしてそこだと思ったのか分からないが、私は人のまばらな駅のホームを駆けずり回り、高い背の、見慣れた逞しい体の男子生徒を探した。

未練はなかったはずだ。

寂しさはもちろんあったが、後悔というのとは違うと思っていた。

それなのに何故、このまま会えなくなるのはいけないと思っているんだろう。

何故、まだ海藤久成に言わなければならないことがあると思い込んでいるんだろう。

肩で息をして、体裁の悪い濁った咳を吐き出して、もう体力の限界だという寸前で後ろから大きな声がかかった。


「杉田摂子!」


フルネームで呼ばれたことに心底驚いて、体がびくっと震える。

たった二週間ぶりくらいなのに、懐かしく感じるガラガラ声。


「海藤君!」


負けじと声を張って、荒い息と共に呼ばわれた声へ応じた。


「よお」


振り返れば、いつもと変わらぬ様子の海藤久成の姿がそこにあった。

紺と緑のチェックのマフラーに制服姿の彼は、大きな黒いキャリーケース以外どこにも変わった様子はない。

……いや、全部が全部、今まで私が見てきた海藤久成ではなかった。

私は荒く息を吐き出しながら、前傾姿勢で彼に近づいていった。


「誰かに聞いたわけ?俺が居なくなるって。……そんで、ヤリ逃げなんぞ許さねえって腹立てて来たわけか」


はっ、と短く息を吐いて、実に嫌味ったらしく話す海藤の瞳は今、微妙に逸らされていた。いつでも、苦しくなるぐらいこちらを真っ直ぐに見つめて来た、燃え盛るような熱を湛えたあの視線が。


「それとも何、ケーサツに訴えるとでも言い出すか?嫌なら金出せって脅すとか?」


くくっと笑う海藤に、私は神妙にゆっくりと首を横に振って否定した。何かを言って反論したいのに、そのどれも、今の彼には届かないような気がして。


「なら、なんだよ。今さら俺になんの用があんの?二度と顔見せんなっつーならその通りになっから、十分だろ。結末としては」


俺たちのママゴトの、と付け加えた海藤は、やはり是が非でもこちらを見ようとはしない。ずっと、線路の向こうのホームか、わたしの後ろにある階段を行ったり来たりしてる。

(海藤、何かを誤魔化そうとしてる)

そして私も、言いたいことが山ほどあるはずなのに、どれも口に出すことが出来ずにいる。


元気でね、今までありがとう、この前のことは無かったことにしよう、あんな形でサヨナラしてごめん、どうして教えてくれなかったの?、随分急だね、これでお別れなんて寂しい、もう会えない?、ずっと会えない?……


口が開いて、また閉じる。

どっどっと、血液を送っていた心臓の音はもう静かで、騒めく雑踏の雑音ばかりが耳に届く。

これで何かを伝えなきゃ、海藤は行ってしまう。

(でも海藤は清々するかもしれない)

そうかもしれないけど、私は?

(今私に会ったことすら消し去ってしまいたいのかも)

そうだとしても、伝えたいことを今、ここで伝えなければ、私の思いはどこにも行けなくなるままなのだ。

(「今日」は「昨日」でも「明日」でもないんだ)

「青の終焉」を書き終えてから、ずっと考えていた。

お話の主人公たちと違って、臆病なまま終わってしまった私。

咲かない花を抱えていながら偽りの花で満足し、結局その重みに耐えられなくなった。その我が儘へ、海藤を巻き込んだ。

何処かで何かが掛け違っていたなら、それを正す言葉があったのではないか。

「さよなら」の先に、私の花も、海藤の心も救える、「何か」が。


「用ねぇの?じゃ、俺コンビニ寄って買うものあっから。元気でな」


ポケットからイヤホンを出した海藤は、まともに私の方を見ないまま背を向けて歩き出した。

赤いスニーカーが、一歩、二歩、と進んだところで、私は「本!」と叫んでいた。

まったくの無意識に。


「え?」


当然、相手は胡乱な目で振り返る。

でもその目は、ようやく私をまともに捉えてくれていた。


「本、返して。あの、送った、本」


途切れ途切れ、そんなもの返すわけないじゃないかと思いつつ、海藤の三白眼を見返しながら言った。

結局うやむやになったバレンタインの申し出を今この時持ち出すなんて思ってないだろうし、そもそも海藤のことだ、そんな本捨ててしまったに決まってる。

なんて引き留め方をしてんだろうと、思いつきで口走ったことを後悔していると、一歩、二歩、と赤いスニーカーが引き返してきた。

え、と思って顔を上げたら、海藤は腰をかがめて、黒いキャリーケースから何かを取り出し始める。


「海藤……くん?」


まさかと思いながら見守っていると、果たして彼は、私が望んだ一冊の本を左手で持って差し出してきたのだった。


「はい」

「これ……」

「……返せ、って言いに来るなんて思ってなかったんだけどよ」


少しヨレている、読まれた形跡のある文庫本は、確かに私が海藤にあげたものだった。藍色の地味なブックカバーがその証拠だ。

受け取ろうとして、少し手が震えて海藤の冷たい指にぶつかってしまう。

途端に、寒空の下、初めて本の話題で盛り上がったこと、突然のキス、抱きしめさせて貰ったこと、汗を気にしながらも手を繋いで帰ったこと、海藤と触れ合った日々の記憶が蘇って、目頭が熱くなった。

冷たい皮膚と火のような視線が、私が知る一月半の彼氏だった。

泣いてしまいたくなくて、誤魔化すように、確認するフリでパラパラと無意味にページをめくる。

そしてーーー


「…………」


小さな紙が挟み込まれているのを見つけて、はっとした。

私の目尻から、とうとう抑えきれなくなった涙がこぼれ落ちていた。


「読んで……くれたんだ。あの本の……」

「うん。読んだ。挟まってた手紙」


聞いたことのない、海藤の優しいガラガラ声が降ってきて、とてもではないが顔を上げることが出来ない。

溢れ落ちた涙が白い小さなメモ紙に水玉を描いた。


「返事書いたはいいけど、お前が俺に近づくことなんて、もう二度とねーだろうなって思ってたから、今すげぇ想定外なんだけど」

「私だって……」


きっと開いてもくれないだろうなと思っていた。

バレンタインに送った「届かなかった手紙」に、私は往生際悪くも望みを託していた。


『海藤くんへ

また会ったら、今度は友達になって下さい

杉田摂子』


そんな陳腐な望みを叶えてくれるはずもないだろうし、万が一読んでくれたとしても破り捨てられて終わりだと思いながら、小さい紙切れに書いて本に挟み込んだのだ。

私はこの期に及んで海藤を心底信用していなかった自分に気づき、羞恥でいっぱいになった。

本当に正さなくてはいけなかったのは、こんな風に一方的な捉え方しか出来ない自分の考え方だったのだと、今ならよく分かる。

(ずっと、何もかも悪い方へ決めつけていたのは私の方だった)

海藤が誠意をもって、私へ届かないかもしれないと思いながら書いてくれた一言を何度も読み返しながら、自分の愚かさを思い知った。

たったの一言、それだけで世界が変わることもある。

可能性を生み出すのはいつも、自分次第なのだ。


『杉田へ

また付き合ってくれるなら考える

海藤久成』


「引っ越すとこ、こっから1時間ちょいくらいの所だから、まあ、またボロアパートだろうけど、それでもいいなら会いに来いよ」

「……」


私は涙を拭いながらこくりと頷く。


「もうさ、触んねぇから」

「……っく」


言い返そうにも、しゃっくりしか出て来なくて困る。

だから、せめてもの伝達手段として、さっき一瞬だけ触れた冷たい手をとって、ぎゅっと握った。

涙を拭うので忙しくて上げられない私の顔の前に、屈んだ海藤の顔が降りてくる。

消えない火を灯した真黒の瞳は、優しげな温度を初めてこちらへ向けてくれて、心臓が止まるかと思った。


「杉田。俺、謝んないからさ、」


ひたと視線を合わせて海藤は言った。

それが何を意味するのかなんて、もちろん嫌という程分かっている。


「だから、またな」


こくん、と頷いた私の頭をくしゃくしゃに撫でて、海藤は笑った。

つられて、泣き笑いでいびつな顔をした私をまた笑いながら、彼は電車へ乗り込んでいった。


「またね!海藤くん!」


本と小さな手紙を抱えて叫んだ頃には、電車の向こうの野卑な笑顔はとうに見えなくなっていた。

けれどもう、悲しくはない。

咲かずに終わるはずだった花から小さな種がこぼれ落ち、やがて芽吹くだろうことを知っている。

それが咲くのかどうか、今はまだ分からない。

けれど、きっと強く逞しく成長して、また種をつけるだろう。


「またね……」


ぐすっと鼻をすすって、私は駅を後にする。

一抹の寂しさが一瞬胸をざわめかせたが、それは一瞬のことだ。

だから、振り切るように顔を上げて、舞子に連絡した。

話したいことはたくさんある。

けれどまず謝ることから始めようと、少し憂鬱になりながらケータイを手に取った。







「杉田さん、惜しかったわねー、この前の『青の終焉』。まさか最終選考で落ちるとは……」

「恋愛小説にしてはテーマが取っ散らかり過ぎてたらしいです。自分でもその辺は自覚しながら、有耶無耶にしちゃってたし……」

「でも勢いはあったし、私は面白かったけどなー!」


関川部長が私以上に悔しがってくれるから、それほどショックを受けずに済んだのかもしれない。少女小説の恋愛小説大賞に応募した私は、見事に選外となった。考えてみれば、冷静とは言い難い精神状態で書き上げたものを然程の推敲もせず応募したのだから当然といえば当然かもしれない。それに、編集部の方から的確なアドバイスを頂けたのは十分な収穫といえるし、悪いことばかりではない。


「それに、今、書きたいことがけっこうあるんです。落ち込んでなんかいられません!」

「お?杉田さん、いつになく燃えてるねー!いーぞいーぞ、その調子!文化部だからって熱血しない道理はなーい!……ちなみに、新作はどんな感じで?」

「はい、『有終の花』っていうタイトルで、主人公は恋に憧れる女の子なんですけど、失恋したことで本当の恋を知るっていう甘苦い話を……」


体の内側から次々に溢れ出るアイディアを関川部長と話していると、ふと、海藤もこんな風に新しい毎日を楽しんでいるかなと思いを馳せる。

出来れば彼も、時々こんな風に私のことを思い出して欲しい。

例えこの先交わることのない道を歩んでいるとしても、お互いがお互いを思い出す時、辛い思い出にならなければいいなと、そんな風に思えるようになった自分を少しだけ好きになった。


私が今抱いている種は、どんな花をつけるのだろう。

そして、海藤が咲かせる花はどんな色なのだろうか。


華やぐ会話で笑い合う傍ら、ぼんやりと未来のことを思って凪ぐ胸の奥で、確かに何かが芽吹いている。

花を咲かせることすら知らなかった私が育んだそれは、偽りでない、大輪の花となっていつか誰かを幸せにするのかもしれない。

その時、やっとあの海藤との一時の恋を、有終の美として語り合うことができるのだろう。


(海藤。今、どうしてる?)


私は、その時をただ心待ちにしている。












有終の花・了







書いていて非常に楽しかったです。

この後の2人は、友達のままでも良いだろうし、再び付き合い始めても面白いし、はたまただいぶ大人になってから再開しても良いような感じでしょうか。


有終とは、始めるのは簡単だけど綺麗に終わることは難しい、ということから来てるそうで、有終の花っていうタイトルは摂子の希望を込めた形を取りました。綺麗に終わった花、的な。





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